このたび森田一弥さんとともに『京都土壁案内』をまとめられたアトリエ・ワンの塚本由晴さんに、本のこと、土壁のことを聞きました。 聞き手:編集部 中木・井口
─出来上がった本を見た率直な感想を聞かせてください。 変わった本ができたなと思いました。 だいたい私を写真家に起用するとは大胆です。でもやっぱり素人写真は「眠い」ですね。ああ恥ずかしい。 縦書きと横書きが混ざっているとか、写真に文字が載っているのが珍しく感じたけれど、土壁のラインナップはよいですね。 よくこれだけ短期間に見て回れたなと。天気が味方した。 ─本書の写真とそのキャプションは塚本さんですが、土壁の解説は初めての試みですね。 最初のほうは苦労しましたけど、蓑庵から後は掴んでこれた気がします。 「壁」を僕らは普段からあまりしっかり見てないんだな、ということがわかりました。窓には注目するけど壁そのものにはなかなか目をやらない。でも、じっと見るとそこにはいろんなことがあって面白いと思う。ガラスやスチールでは、そういうことがなくて、特にこれは土壁だからいえること。 土は種類もあるし、色も多い。 特に水を入れてねちょねちょにしてから乾かすというプロセスが、石や木でつくるのとは違うので興味があります。 ─写真は最初のほうは迷いながら撮られていたようですが、どのあたりから何を掴んで撮りやすくなったり、どういうところに気をつけるようになりましたか? とくに蓑庵は光が弱かったので苦労しました。でも弱い光だからこそ浮き上がってくるものがいろいろあって、そこが面白いと思いました。材料の肌理が写真を通して伝わるといいなと思いました。 一力亭の真っ赤な壁を撮りながら、今や土壁はまちの中では相対的にとても軟らかい感じがして不思議な存在だなと思いました。
─少しはバラバラな京都の風景に貢献しているでしょうか? 京都はまだいいですよ。京都は人が強い。「私が京都」みたいな京都人がいる。それは、京都が空襲で焼けなかったし、大地震で壊れることがなかったからでしょうね。そういう人がいる限り、町並みは壊れても再生すると思います。続けてやってきたことが全部じゃなくても資源として残っている。 過去の人間がやってきたことの蓄積が残っていて、それが今も楽しめるというのが「京都ならでは」ですよ。 東京はそれがない。地形は残っているから、昔はこうだったと推理するのは面白いと思うけど、ずっと同じものを残してきたというのがないので、寂しいですね。
─今回は京都を巡りましたが、他の都市や田舎にも面白い土壁がありそうですか? あるんじゃないでしょうか。石積みも含めて色々見てみたいですね。版築のブロックとか見てみたい。 できれば土地のもので建築をつくることができたら、それに越したことはないし、土は典型的にその場にあるものでつくったものだしね。 土壁は古い技術だけど、時代が巡って最も説得力のある技術になっていくと思う。 背の高い建物じゃなければ土でつくれるし、手に入りにくいほど高価な土もあるけれど、土は足元にあるという意味ではタダだからね。土はそういう意味でもいいなと思う。 タダなものをどれだけうまく使えるかで建築はもっと面白くなるし、豊かになる。たとえば、太陽とか風とか雨とか影とかもタダだからいくらでも使い放題なんです。そういう環境や、物質の中にある自然をみつけて、その振る舞いを良い形で開いてあげるような建築をつくることに関心があります。 ─いま軽井沢で土壁を使った建物を計画中だとか? これから実施設計に入るので、どうなるかわからないけれど、そこで洞窟のような茶室をつくりたいと思っています。でも軽井沢の地は火山灰だから土壁には向いてない。いま若い左官の職人さんに相談しているところです。 ─以前に、建築家は職人を育ててないとその左官職人の方に噛み付かれてましたね。 確かにそうで「今度、相談するよ」という話をしてたんですよ。これから一緒に仕事がしていけたらいいなと思う。 ─同時に出版された左官職人・佐藤嘉一郎さんの『楽しき土壁』のあとがきで、これだけは次世代に伝えたいこととして、「塗壁の乾燥時間をもっと短縮できないか」ということを言われています。 やっぱりそこなんですね。 下地を乾かして割れが入るまで待って、そこからまた上塗りをして乾かすというのはどうしても時間がかかってしまう。できるだけ早く塗ったほうが、人件費もかからないし。経費をあまりかけられない、安く仕上げたいという時代の流れの中で、そこがネックになっているところなんだよね。 僕は土壁のプロでもないし、建築家という立場で個人的にしか書けなかったけれど、土壁がなぜ使われなくなったかという問題意識も持って、土壁に触れていただけたらいいなと思う。 (2012.4.7 京都にて)
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