都心居住の環境デザイン

キーワード集・執筆者紹介


上野 泰(うえの やすし)
1938年生まれ。

ウエノデザイン。
都市における「空き地」「隙間」といった視点から都市を見てきて30数年。 東南アジアのウェットな風物をこよなく愛する一方、 テリー・ギリアムやリドリー・スコットの熱烈なファンでもある。

松迫 茂樹(まつさこ しげき)
1956年生。 日本大学理工学部研究生。
街路設計を専門とし、 最近では水と緑と道をテーマに江戸城外堀に関する研究を進めている。 なお、 提案したテーマは東京建築士会主催による第30回建築設計競技において入賞したものである。

三浦 裕二(みうら ゆうじ)
1936年生。 日本大学教授。
主たる研究は舗装全般および環境デザイン。 透水性舗装を開発。 最近では房総水の回廊構想の提唱、 本埜村HOPE計画等を手がける。 現在国際技能工芸大学(愛称;職人大学)の設立に向け努力中。

菅 孝能(すげ たかよし)
1942年生まれ。 (株)山手総合計画研究所代表取締役。
日本には古来「意匠」という言葉がある。 意は「心」、 匠は「技術」。 使う人(生活者)の行動感覚・生活感覚を汲みとる心を持って技術を用いることを意匠と心得え、 建築設計、 家具設計、 地域計画、 都市デザイン、 土木デザイン、 造園設計と活動領域を拡げてきている。

小川 清一(おがわ せいいち)
1942年生まれ。 (株)竹中工務店名古屋支店設計部長。
竹中工務店入社後、 東京に7年、 大阪に15年、 名古屋に8年になる。 建築のデザインに時間軸をいかに組み込むかに、 今一番関心をもっている。 建築は人にやさしく、 また永く、 いつくしみ使われなければならない、 と想っている。

森川 稔(もりかわ みのる)
1951年生まれ。 (株)アーバンスタディ研究所勤務。
まちづくりや都市計画に関わって、 20年近くが経過した。 そろそろこれまでのことを、 一度総括する必要があるかも。 楽しいまちづくり、 元気のでるまちづくりを、 自分参加型で行いたいと思う。

中村 伸之(なかむらのぶゆき)
1958年生まれ。 (有)ランドデザイン代表。
自然、 都市、 人と人との関係を多面的に捉えたランドスケープデザインを目指している。 広場、 公園、 街路、 ファニチャーの計画・設計、 ニュータウンや大規模開発のマスタープランなどを、 軽いフットワークでこなしている。

亀谷 美幸(かめや みゆき)
1958年生まれ。 10年お世話になったGK設計を退職し、 (株)エンバイロ・システムという環境・建築デザインの事務所を夫と2人で何とかやっています。 仕事はサイン計画・景観計画などが中心(でも頂いた仕事は何でも喜んでやってます)。 今回は提案というよりエッセイ風になってしまいましたが、 日頃感じていたこととテーマがとても近かったので、 笑って許して。

山崎 洋二(やまさき ようじ)
1950年生まれ。 (株)都市創造研究所代表取締役。
鳥取15年、 神戸5年、 東京15年の遍歴の末、 仙台に来て10年になる。 関西にいた5年間の下町の人なつっこく、 ひょうきんなふれあいの中で暮らした日々を思い出しながら投稿しました。 失われつつある都心居住ですが、 仙台でも見つけなければならないほどになってしまいました。

小浦 久子(こうら ひさこ)
1957年生まれ。 大阪大学工学部助手。
大阪商工会議所で大阪のおもしろさを知った。 その後コンサルタント会社で約7年、 大阪のまちづくりに関わる。 まちを随分とフィジカルに見るようになってしまった。 大学で、 人と空間の関わりから街を考え始めている。

森重 和久(もりしげ かずひさ)
1948年生まれ。 (株)GK設計大阪事務所。
1970年代に民間大規模開発に関わって、 建築本体の設計から周辺地域を含めた再開発へと活動領域が推移した。 1986年にGK設計に入社と同時に、 環境デザインという領域に参画しているが、 最近は居住空間について再び興味を持ち、 やはり最後は住宅設計に戻ると先輩に言われた事がわかり始めた感じです。

水野 一郎(みずの いちろう)
1941年生まれ。 建築家・金沢工業大学教授。
経済低成長期に入って、 「まちづくり」や「景観」や「イベント」などの地域施策はますます地域自身の力量がキーポイントになってきた。 バブル期と比べれば適正なる方向である。 建築のデザインも実質的な自己表現となってきた。

屋代 雅充(やしろ まさみち)
1953年生まれ。 (株)ラック計画研究所主任研究員。 東京大学農学部非常勤講師兼務。
自然の中で遊ぶことの楽しさが高じて農学部の林学科を選んだのがもう24年も前のことである。 そして景観の世界に入り込んで夢中で走ってきた。 年々景観の世界の奥深さを痛感すると同時に、 新しい発想と枠組みの必要性を感じている。

清水 泰博(きよみず やすひろ)
1957年生まれ。 SESTA DESIGN代表。
プロダクトからインテリア、 建築、 ランドスケープ、 都市環境までをデザイン対象とし、 それらモノから空間までの領域を統合したかたちでの環境デザインを目指して活動している。

材野 博司(ざいの ひろし)
1939年生まれ。 京都工芸繊維大学造形工学科教授。
移動するにつれて、 豊かに変化する都市環境の研究を行っている。 語りと音楽が一体のシャンソンに街とドラマを感じる。 大阪府生まれの、 気分は青年。

丸茂 弘幸(まるも ひろゆき)
1943年生まれ。 関西大学工学部建築学科教授。
インド、 フィンランド、 イギリスとさまよい、 現在は関西方面で隠棲中。 自称さすらいのプランナー。

南條 道昌(なんじょう みちまさ)
1939年生れ。 (株)都市計画設計研究所代表。
近代都市計画は、 何か大切なものを忘れてきたように思っている。 そのひとつが「まちのくらし」の場とその運営ソフトだろう。 商業だけにまかせて良いものではない。 社会が勝ち取っていくべきものだから、 その応援をしたい。

安田 正(やすだ ただし)
1952年神戸生まれ。 (有)地域計画代表。
阪神大震災でもつぶれなかった大正時代に建てられた古いビルのペントハウスを事務所にしてホソボソと都市計画関係の仕事を続けている。 真野まちづくり相談役の宮西悠司さんを勝手に師匠と仰いでいる。

横山 あおい(よこやま あおい)
1960年生まれ。 栗本鉄工所勤務。
本来ならば、 どこかの美術館で学芸員をしているはずなのに、 どこでどう間違ったのか鉄工所で、 環境にかかわるもの造りをしている。 インフラ中心に考えてきた歴史の長い会社のなかで、 新たな都市環境をものづくりという立場から考えて行こうと日夜奮闘している。

吉野 国夫(よしのくにお)
1949年大阪生まれ。 DAN計画研究所所長。
1973年に事務所創立。 当初は様々な企画やデザインワークを主業としていたが、 80年代より都市開発、 まちづくり関係の仕事が中心となり今日に至る。 土着性と感性を重視した環境デザインを主張、 シティリゾート、 タウンリゾートは私の造語。 近年は都心居住、 職住一体の未来型商店街を研究している。

有光 友興(ありみつ ゆうこう)
1939年生れ。 (株)環境開発研究所取締役大阪事務所長。
学生時代より再開発を専門分野にして三十有余年。 「生涯再開発」をモットーに生きている。 今は、 震災復興の六甲道南地区(5.9ha)で住民の言い分を聞きながら後世に残るような街を作らねばと胃を痛めている。

西 斗志夫(にし としお)
1956年生まれ。 住宅・都市整備公団関西支社。
関西郊外部の大規模開発の計画・コーディネイトを担当。 低成長・デフレの時代になり、 地道にかつ丁寧にプロジェクトを進めていきたいと考えている。 また、 合わせ技を楽しみながら仕事を続けていきたい。

鳴海 邦碩(なるみ くにひろ)
1944年生まれ。 大阪大学工学部環境工学科教授。
これまでさまざまな国で〈人が集まって住む形〉をみてきた。 その形には、 ライフスタイル、 ワークスタイルが大きく関わっているように思う。 そしてそれはそのまちの歴史でもある。

前田 裕資(まえだ ゆうすけ)
1954年生れ。 学芸出版社。
最近、 インターネットをはじめた。 ホームページは本や雑誌に比べると発信力はまだ1/10以下だが、 発信側の手間も1/10以下なのが魅力。 読み手側の負担が大きいのが難点だが、 会社を辞めた時にはこれで遊ぼう。

林 茂樹(はやし しげき)
1949年生まれ。 林建築事務所。
私は田舎が好きです。 都会は芸術文化の恩恵を受け易く怪しい魅力に溢れて楽しいでしょうが、 地方はヒューマンスケールで個が見えて小さな活動も活きてきます。 こんな田舎で都会に負けない楽しい生活を工夫してゆこうと思っています。

山本 茂(やまもと しげる) 
1949年生まれ。 ()生活環境問題研究所。
千里ニュータウンの中にある緑豊かな敷地で、 アリやムカデと共生しながら、 主に北大阪における都市関連のソフト面の調査・計画を行っている。 現在の関心は、 都市外縁部の田園地域における、 広域の視点からの保全・整備と活用。 現在はニュータウン周辺に住み、 将来は田舎へと思っていたが、 この年齢になって大都市・大阪の魅力を知りはじめ、 少し揺れている。

吉田 薫(よしだ かおる)
1950年生まれ。 (株)まちづくりワークショップ代表。
都市計画コンサルタントとして20年。 この度新会社を設立。 ユーザー参画型建築まちづくり実践が切り拓く可能性に期待を寄せる。 ほどよい距離関係にある職住近接型ライフスタイルを志向し、 これまでは自転車通勤をしていた。
江川 直樹(えがわ なおき)
1951年生まれ。 現代計画研究所取締役大阪事務所長。
早稲田大学大学院修士課程修了。 立命館大学・神戸芸術工科大学非常勤講師。
集住の視点から、 建築設計、 環境デザイン、 都市デザインを領域とする。 「まちに住む」がモットー。

難波 健(なんば けん)
兵庫県都市住宅部市街地整備課。 東北大学建築学科卒。
生まれも育ちも大阪府豊中市、 阪急宝塚線沿線の変化を見ながら育った。 行政という立場上、 個人的な嗜好は交えずに仕事をしているが、 都市や住宅の大きな流れには常に敏感でありたいと思っている。
震災直前は未来の新都市計画に携わっていたが、 震災以後住環境整備係に配属され、 復興事業にも関わっている。

田端 修(たばた おさむ)
1939年生まれ。 大阪芸術大学教授。
現代的都心居住への想いを、 『町中ルネサンス―職・住・遊の都心再生論』(学芸出版社、 1988.5)としてとりまとめてからすでに10年近い。 都市は多様なヒト・モノの混在する場所であると考えてしまうのは、 京都のマチナカに生まれ育ったせいであろう。 その祟り?から逃れることはついに無理のようだ。

千葉 桂司(ちば けいじ)
1945年生まれ。 住宅・都市整備公団関西支社。
都市再開発事業に携わって、 約25年になろうとしている。 「まちなか・まちづくり」と称して、 都心部とその周辺での再開発や、 住環境整備とあわせて、 住宅をつくる事業を手掛けてきた。 これまでの土木に偏った「都市計画」が、 徐々にではあるが「まちづくり」として、 住宅をまともに扱う時代になりつつある事を少し感じる。

浅野 房世(あさの ふさよ)
(株)エス・イー・エヌコミュニケーション研究所代表取締役。
建築家の故西澤文隆より庭園実測を通して造園を学ぶ。 マーケティング、 利用者ニーズに立脚した公園のプランニングおよび運営計画を実践している。

榊原 和彦(さかきばら かずひこ)
1946年生まれ。 大阪産業大学工学部環境デザイン学科教授。
博士課程2年まで京大で建築学を専攻し、 中退後助手として土木工学科へ。 以後、 土木の領域の中で、 都市計画、 土木デザイン、 土木景観、 景観評価、 CGプレゼンテーションなどを研究テーマとする。

土橋 正彦(つちはし まさひこ)
1956年、 長野県生まれ。 JUDIでは珍しい土木出身。
高校まで信州で育ち、 遊んだのは山や川ばかり。 いまも奈良市の山の中の新興住宅地住まい。 これまでに住んだ一番の都会は、 学生時代の京都吉田山山麓/北白川。 ジャズ喫茶や雀荘、 今はもう無くなってしまった市電。 そしてなにより、 いかにもというライフスタイルを見せてくれた阪神間出身の先輩や同級生に都会のまぶしさを感じた。

大矢 京子(おおや きょうこ)
ランドスケープ・アーキテクト、 (株)都市環境計画研究所。
自然の優しさ・歴史の深さをいつも感じながら様々な人とのかかわりの中で遊び心を持ちながら創り続けたい。

長谷川 弘直(はせがわ ひろなお)
1945年生れ。
1972年春、 都市環境計画研究所を設立後、 美しい風景の創出として忘れかけている『詩的に感動する』という言語をキーワードに作品と言える空間づくりを求めている。

宮沢 功(みやざわ いさお)
1941年生まれ。 (株)GK設計。
オートバイのデザインからプロダクト全般、 グラフィック、 インテリアといったいろいろな経験をして30数年。 これが環境デザインを考えるのに役立っていると思う。 つくられた「もの」のデザイン的質が時間の中で人の心に良き記憶を生むことを信じ街づくりを続けたい。

佐々木 葉二(ささき ようじ)
1947年生まれ。 鳳コンサルタント環境設計部。
神戸・大阪・バークレー・ボストンでランドスケープを学ぶ。 ランドスケープ・アーキテクトになるには、 都心で仕事場を持つな。 住むところ、 友人、 本、 着るものも、 食べるものもデザインすること……と米国のダン・カイリーに言われたが、 振りかえってみると、 いまだにそのどれも実現できていない。

井口 勝文(いのくち よしふみ)
1941年福岡県生れ。 竹中工務店開発計画本部勤務。
1960年代後半より集合住宅(マンション)計画に係わる機会が多く、 美沢の高層住宅団地の開発、 神戸の段状住宅の開発プロジェクト等に参画した。 1977年に自ら建設したコーポラティブハウスに住んでいるが、 都心ではなく郊外居住である。


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前田裕資

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
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