こちらで生まれて育ったものの、 大学からずっと東京におりました。
東京で都市計画の事務所を作って25、 6年になりますが、 そういう経験を経て今は大学の先生をやっております。
私はどちらかというと、 都市全体の計画、 あるいは都市圏というもう少し広い広がりの計画とか、 あるいは地区計画のいろんな制度の導入の時の研究とかが専門なものですから、 都市環境デザインは十分な経験のある世界ではございません。
それはともかく都市計画のプランナーとして今日のテーマであるこれからの都心居住を考えると、 私は今日の資料の最後にも書きました2つのキーワード、 1つは「近都心居住」、 もう1つは「田園都心居住」という作戦が中心になっていくのではないかと思います。
最初の詩人の佐々木さんのタイトルにあります「手のひらに載る都市」という言葉は、 さすがに詩人の言葉だと感じました。
3000〜4000m級のヒマラヤ山地の、 本当に手のひらにのるような盆地というか小平原に都市が育ったというお話だったわけですが、 この「手のひら」という言葉ですね、 これは一つの土地の姿が目に見えるような言葉であります。
もう一つ「人間はお釈迦様の手のひらにいる」という意味あいもあって、 人間の作った都市も手のひらのうえのひとつの出来事であり世界であるという、 ある意味では都市の本質的なところを言いあてた言葉だと思ったのです。
ですから今日色々議論あるいはスライドで紹介されたそれぞれの都市の中の環境デザインのシーン、 あれもひとつひとつが手のひらの世界であり、 それぞれに都市が宿っていると言いますか、 人間の思いがこもってると言いますか、 そういうものを私達は議論しているんだと感じさせていただけた点で非常におもしろかったのです。
これは、 女性の衣装がその土地では生まれない非常に鮮やかな色をしているといったお話に象徴的だと思ったのですが、 結局他の世界との交流・異物との出会いが都市のひとつの本質であって、 それはやっぱり農村が生めるものではないのです。
都心居住で議論している都心は、 本当は「都市性」だと思うのです。
その都市性の根本は住み心地のよさとかそういうことではなく、 「異物との出会い」とかいろんな要素を包み込むという考え方なんだと得心したわけです。
これは皆さんもそう思っておられると思うのですが、 要するに「あやしい」環境デザインというのが今日議論されたひとつの中心テーマでした。
「住み合う楽しみ 往き合うあやしさ」、 この言葉はなかなか美しくそして意味深長ですよね。
この「往き合う」の往くという字は往来の「往」という字です。
「住む」という字と一種の韻を含んでいるというか、 一対の文字の関係にあると思うのです。
先ほど大阪市の岩本部長のお話で、 往き合うというのは死ぬという、 あの世へ往く、 往来するという意味があるんだと読みとられていて、 それを聞いて私も非常に感心したのですが、 やっぱり都市は異なる世界と往き来する場所であるという「都市性」のひろがりですね。
そういう意味では今日の会場の一心寺もまさに「往き合うあやしさ」を論ずるにふさわしい場所ではなかろうか、 ちょっと抽象的な話で恐縮ですが、 そんなイメージを持ちました。
20世紀の近代都市計画が築いてきたのは都心ではなくて、 むしろそれと対立する郊外という言葉、 あるいはイギリス人のいう田園、 town and countryの、 そのcountryだったわけです。
都市にどんどん人が集まってきたときに、 その人達にひとつの幻想、 田園回帰幻想を与えたわけです。
要するに所帯をもつとか家庭をもつとかいった、 庭付きの一軒の家を持つということをサラリーマンにひとつの幻想として与えたのです。
田園に帰るといい環境があるという幻想を20世紀の100年間をかけて与え続けてきたというのが、 日本の、 世界の近代都市計画の歴史であるような気もするのです。
言ってみれば田園に新しい都市を作ろうとしたわけですね。
そこで田園都市などいろんな仕掛けを考えたわけですが、 人々が発見したのは都市ではなくて郊外ということだったのです。
例えば神戸に新しい近代都市ができた始まりは、 外国人、 特にイギリス人がやってきて居留地を作ったことです。
その居留地に最初都心居住していたわけですが、 それが結局田園回帰幻想ということで、 須磨とかいろんな所に住宅地を求めて最終的に北野という郊外を発見したのです。
それがおそらくモデルになって今の芦屋とか西宮とか生駒とかの住み良い郊外住宅地というイメージを作ってきたわけです。
日本の都市計画はそういう歴史だった気がするのです。
ヨーロッパは新開発はやめて再開発だけでいこうという大きな流れに来ております。
日本もそういう状態になったときに、 私なりに言いますと近都心居住あるいは田園都心居住というような考え方の新しいコンセプトの都市計画、 環境デザインを求めていくべきではないかということが最初に私が申し上げたかったことです。
東京、 江戸という街は皆さんもご存知だと思いますが、 8割くらいは大名の土地だったわけです。
町人の土地は2割だった。
明治維新の後、 大名の土地を取り上げていろんな公園を作ったり施設を作ったりしました。
その結果、 都心の一種の環境資源が非常に豊かになった。
それはどちらかというとハイド・パークやリージェント・パークなどの大公園の多いロンドンの都心に似ていると思います。
ですから東京の都心居住というと、 白金とか麻生とか都内のいい公園のあるまわりにいい戸建て住宅があった、 そういうところがどんどんマンション化し、 公園の周りにいいマンションがあるという、 そういうイメージです。
都心の歴史資産の周りに中高層住宅があるというのが支配的なイメージです。
もちろん下町も神田とか赤坂とかがあったわけですが、 それが今では地上げでどんどん壊されつつあるという状態で、 そこで都心居住を論じるということはあまりないのです。
今日のお話を聞いていても分かりますように、 大阪はもともと城の周りに侍の土地があって、 残りは全部町人達の土地であったわけですから、 町人が作ったまちの骨組み、 その住まい方という、 そういう延長上に都心居住を考えるという、 東京に比べてずっと町人主体の歴史がある。
明治維新の時に東京は武家地をいろんな公共施設、 日本の近代化施設の用地に当てていくわけですが、 大阪は小学校を作るにしても、 銀行を作るにしても、 いろんなものを作るのに町人の人達が相談して自分たちの土地を削って道路を広げたり学校を作ったり警察署を作ったりというように都市計画をすすめてこられた。
人々の日常生活の中にそういうものを組み込んでいったわけです。
その延長上に大阪の都心居住論があるのではないかと、 そのあたりをもう少し勉強してみたいと私自身は思っています。
そういうわけで東京と大阪の都心居住というのはちょっと違うような気がします。
みんな田園回帰幻想にひきずられて郊外に住んでみたけれども、 中には満足している方もいない方もいらっしゃるかもしれませんが、 二代三代と住み続けているうちに郊外の物足りなさというか、 いろんな人生を包み込んでいくのによくできていないという大きな問題が見えてきています。
それをどうやって切り抜けていくか、 つまり私が先ほど申し上げた都心回帰幻想というのが21世紀の都市の大きな流れになっていくのではないかと、 大きなことを申し上げましたが、 そういった観点から都市環境デザイン会議も更に色々深めていっていただければと思います。
全体の講評というふうにはなかなかいきませんが、 私としては一番最初に申し上げた近都心居住、 田園都心居住という言葉を皆さん方と一緒に深めていければと思っています。
広島の、 西部丘陵都市という郊外のこれから作るニュータウンの真ん中の所なのですが、 そこでやはり田園都心を何とか実現できないかと思って色々デザイン面でも工夫してみた経験があります。
そういうことで少しはデザインの方にも興味がありますので、 これからもよろしくお付き合いをお願いしたいと思います。