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2006年度 JUDI関西国際セミナー

「ドイツ国境を廻る旅−神聖ローマ帝国から近代ドイツへ−」

いま、ドイツから学ぶこと 北摂コミュニティ開発センター 難 波    健
 ・衰退地域における地域再生計画−シュリンキングプログラム
 ・ドイツ都市の国境
 ・そして観光
    観光 その1  建物 
    観光 その2  乗り物
    観光 その3  工芸
    観光 その4  教会
    観光 その5  ビール工場
    観光 その6  都会
    観光 その7  食事
    観光 その8  遊具
  
公共交通のデザインと街の魅力    神戸大学 宮 前  さやか
 ・ウイーンの市内交通 
 ・プラハの地下鉄デザイン
 ・ドレスデンの町並み
 ・ゴーリッツの生活
  
歴史都市のモダンデザイン
地域計画建築研究所 堀 口  浩 司
 ・魅力あるカフェも都市デザインの一部
 ・アイゼンハッテンシュタット雑感

セミナー参加メンバー

            難波  健 北摂コミュニティ開発センター
堀口 浩司 地域計画・建築研究所
宮前 さやか 神戸大学 大学院生
以上 関西支部
鳥越 けい子 聖心女子大学教授
服部 圭郎 明治学院大学助教授
柳田 良造 プラハアソシエイツ
明治学院大学 経済学部 服部圭郎ゼミナール 学生


行 程 詳 細

9月 12日     ウイーン集合・宿泊 DELTA
  13日 EC172 11:08〜15:25 ウイーン ⇒ プラハ ホレショヴィッテェ駅
    電車    ⇒プラハ本駅
    散策   プラハ旧市街⇒カレル橋
    夕食 19:00〜21:00
    宿泊   22:40 プラハ Hotel Central
  14日    9:00〜12:30 プラハ城
    昼食 13:30〜15:00 市民会館食堂
      18:30 ダンシングビル
      20:30〜21:30 スメタナホール コンサート
    夕食 22:00〜23:30 メヅヴィードク
    宿泊    プラハ Hotel Central
  15日 EC176  9:22〜12:01 プラハ⇒ドレスデン
    昼食   ドレスデン駅ビュッフェ
    市内観光 15:00〜16:30 ドレスデン市街観光フリーストップバス
      16:45〜17:30 フラウエン教会
    夕食 17:40〜18:30 教会前カフェ
      19:13〜20:52 ドレスデン⇒ゲーリッツ
      22:30〜23:30 国境を越てポーランドへ
    宿泊   ゲーリッツ Mercure Hotel Parkhotel Gorlitz
  16日   11:30〜13:00 ゲーリッツ市内観光
    散策 16:00〜18:00 橋のたもとのレストラン(明治学院と合流)
    夕食 19:00〜21:00
    二次会 22:00〜23:30
    宿泊   ゲーリッツ Mercure Hotel Parkhotel Gorlitz
  17日 散策  9:30〜10:30 ゲーリッツ市街散策
    DB 11:38〜12:52 ゲーリッツ⇒コトブス
    昼食   公園の芝生広場で昼食
        コトブス市内散策
    DB 16:08〜17:05 コトブス⇒アイゼンハッテンシュタット
    夕食 19:00〜22:30 Bollwerk4
    宿泊   アイゼンハッテンシュタット Tiiretenberg
  18日 バス  7:50 ホテル⇒アイゼンハッテンシュタット市役所
    プレゼンテーション
  
 8:30〜 1 挨拶(ペルスケ氏:都市開発文化部長)
     8:45〜9:15 2 アイゼンハッテンシュタットについて(フランク氏)
     9:20〜10:15 3 日本の状況(服部氏)
    10:15 4 築地/下北沢/鎌倉(明治学院学生)
    10:45 5 市内バス回遊
    昼食 11:45〜13:15  
    プレゼンテーション  13:45 6 アイゼンハッテンシュタットについて(ノバック氏)
    14:20 7 高尾山(鳥越氏)
    14:50 8 尼崎(堀口氏)
    15:10 9 夕張(柳田氏)
    15:30〜16:00 10ディシスカッション
    夕食 18:30〜22:30 ホテル
    宿泊   アイゼンハッテンシュタット Tiiretenberg
  19日      解散
       8:00〜9:50 ホテル⇒ビール工場⇒ホテル
    DB 10:41〜12:00 アイゼンハッテンシュタット⇒ベルリン
    宿泊 ベルリン Tagungshaus
  20日   11:12 ベルリン⇒関西空港
  21日         8:10 関西空港着

 

記 録

いま、ドイツから学ぶこと

難 波  健

 2006年度のJUDI関西国際セミナーは、JUDI代表幹事会と明治学院大学経済学部服部圭郎ゼミナールの企画行程に併せて、「衰退地域における地域再生の可能性を探る」をテーマとして欧州東部の都市を廻った。 帰国後、地図と年表を見ながらウイーン、プラハから旧東ドイツ、ポーランドの国境を巡る今回の海外セミナールートの意味を考えるうちに、今回行ったところは全部ドイツなのだということに思い至った。

 まず、ドイツの中世以降の歴史を紐解いてみよう。世界史にうとい私の整理なので、間違いがあればご指摘いただきたい。表の右は今回訪れた都市・建物である。

962

神聖ローマ帝国誕生

14C プラハ城(プラハ)

18C ブランデンブルグ門(1791竣工ベルリン)

18C シェーンブルク宮殿(1749再建ウイーン)

18C  フラウエン教会(1743当初完成ドレスデン)

1806

神聖ローマ帝国消滅

35の君主と4つの自治都市

1871

ドイツ帝国誕生

1918

ドイツ革命

1919

ドイツ共和国誕生

ゲーリッツ

1933

ヒットラー首相就任

1945

東西ドイツ分裂

アイゼンハッテンシュタット(旧東ドイツ)

1961

ベルリンの壁設置

1989

ベルリンの壁崩壊

1990

東西ドイツ統一

21C ポツダム広場(ベルリン)


衰退地域における地域再生計画シュリンキングプログラム

 セミナーの開かれたアイゼンハッテンシュタットは、ベルリンから南に約1時間30程の距離にあり、名前のとおり製鉄工場中心の町で川を挟んで東はポーランドと接している。
 ベルリンの壁崩壊後、人口はどんどん減少し、東ドイツ時代に建設された中層住宅の空家を住棟ごと、団地ごとクリアランスしてしまう計画が「シュリンキングプログラム」として実際に行われている唯一の都市とのことであった。
 我々が泊まったホテルの前の住宅地が、まさにこの計画により瓦礫の山となったところであった。住宅を空家のままで放置した場合の上下水などの維持管理費の削減が目的ということで、クリアランスに対し、国と州から各々1/3の補助が出るとのことであった。
 クリアランスされた跡地利用は、戸建住宅地にするところもあるが、当面原野に返すということである。アイゼンハッテンシュタットについては、現地はみたが資料の入手ができていないため、詳細はよくわからない。

 セミナーで日本から紹介された「シュリンキング対応事例」は、鳥越さんから、大東京都市圏の自然豊かな高尾山に都市拡大のために、自然環境を壊してトンネルを掘る事例が、都市拡大もいい加減にしなければならない時期が来ているという論調で話された。また、阪神間の臨海工業地帯からの工場撤退を受けて尼崎に森を構想する計画、炭坑の廃業に伴う夕張の都市崩壊の3事例であった。
 今回のセミナーで思うのは、小さくなる都市がどのようにその現実に対応していくか、これはアイゼンハッテンシュットに限らず、日本でもこれから重要な問題になることは明らかであるが、人口減少に対し本気で小さくなることへの対応を考えようとしているのだろうか。本当は、往時の回復への見果てぬ夢を持ちながら、シュリンキング対応の施策を打つジレンマがあるように思われる。行政が小さくなることを認めることが様々なしがらみから難しいだけに、新たな都市問題としての意味は大きいと思われる。


アイゼンハッテンシュタットの市章:製鉄工場がシンボル 製鉄所の高炉が望めるまちなみ
中層住宅を壊す 壊される前の建物
セミナー開会 午後の部のセミナー
ポーランド人ジャンと都市開発文化部のノバック、フランク、服部氏 列車の中でアイゼンハッテンシュタットの事前勉強

 


ドイツ都市の国境

 ウイーンで行動できた3時間ほどの間に、リンク道路でトラムに乗り、フンデルトヴァッサーのクンストハウス、フンデルトヴァッサーハウスの外観をみて、シェーンブルンの庭園を歩いた。
 この王宮と庭園は、プラハの広場、プラハ城とともにハプスブルグ家のある時代の中心をなした都市モニュメントであり、神聖ローマ帝国の富の豊かさを感じさせるものであった。ウイーンもプラハもドイツなのである。
 ゲーリッツでは、夜、ホテルから前を流れる川を渡ってポーランドを訪れた。第2次大戦前は川を挟んで一つの都市であったのが、戦後、川に国境が設けられたことにより都市分断されたのであろう。国境を越えて通勤をしているような人もいるようで、国境警備はパスポートコントロールに忙しそうであった。
 アイゼンハッテンシュタットも、川の向こうはポーランドである。こういう国境の状況をみると、知床からみる北方4島のような例はあるが、日本が海に囲まれていることの恩恵を思わずにはおられない。
 国民は、こういった国境の変化をどう捉えているのだろうか、いつか取り返してやらないととは考えないのだろうか、案外国民はそんな細かいことはどうでもいいのかもしれない。
 世界の紛争国、パレスティナでのアラブとイスラエル、トルコ、イラン、イラクのまたがるクルド人の問題など、根底的な国境紛争問題とは一味違ったヨーロッパドイツの歴史的な国境を感じた。

ウイーン シェーンブルン宮殿は早朝から観光客がいっぱい
ゲーリッツの隣町はポーランド
橋のたもとのイミグレーション(ゲーリッツ) 国境・川を望むレストラン(ゲーリッツ)
ゲーリッツの地図 左が古地図、右は現在の観光地図


 
そして観光

 シェーンブルグ(ウイーン)には、早朝から日本の団体が数組いた。プラハ城は各国の観光客にあふれていた。ドイツに入っても、我々の訪れた都市はどこにも観光客にあふれていた。アイゼンハッテンシュタットを除いて。
 我々が観光都市を選んで廻ったわけではない、コトブスなどは、「地球の歩き方」には案内のない都市であるが、広場にはアイスクリームを食べる観光客がたむろしていた。ドレスデンには英語、フランス語、イタリア語、日本語、中国語など8カ国語の音声ガイド付きの観光循環バスが走っている、22のバス停を好きな時に降りて観光してまた乗ることシステムで、まさに多くの外国人が乗り、ワイン工場を、ケーキの喫茶店を楽しんでいる風であった。
 アイゼンハッテンシュタットで、鳥越先生に連れて行っていただいたビール工場も、教会と庭園に付随した立地の趣のある向上で、近代合理主義の日本のキャッツうオーク付きのビール工場とは一味違っていた。
 東ヨーロッパは、西に比べて貧しいというのが定説のように聴いていたが、都市の遺産を背景に世界から観光客を集める、美しい国づくりを勧めているように拝見した、日本も負けてはいられない。

観光 その1 建物
フンデルトヴァッサー クンストハウス(ウイーン)
フンデルトヴァッサーハウス(ウイーン)
ナショナーレ・ネーデルランデン踊る家(プラハ)
  
観光 その2 乗り物
馬車はよく街中に馴染んでいる 自転車は地下鉄の中にも存在の場を持っている
ベロタクは、どこのまちでもみられた
  
観光 その3 工芸
プラハ カレル橋の手作り工芸品は女性に人気がある ゲーリッツの倉庫街を利用したアトリエ群、窓は展示の場
ゲーリッツの広場にあった冶金工芸、女性が力強く槌を振るって作品を創り出していた
  
観光 その4 教会
ドレスデン、フラウエン教会は爆撃され、現在ほぼもとにかたちに復元され、周辺も復旧が行われている
左:爆撃前  右:復元された教会の塔から見下ろす周辺の破壊された建物礎石
ベルリン  カイザー・ヴィルヘルム記念教会は破壊された姿を観光の柱にしている
  
観光 その5 ビール工場
アイゼンハッテンシュタット郊外のビール工場は、多品種生産のようであった
すぐそばに広大な庭園と僧院がある ビール会社の社長は愛想のいい紳士
  
観光 その6 都会
名もないまちと思われたコトブスにも中世の
観光資産が豊富に用意されている
コトブスはこの看板があちこちにあった、意味は不明
ポツダム広場 ソニーセンター(ベルリン)
ダイムラー・クライスラーシティ アルカーデン その横の芝生公園
  
観光 その7 食事
水上の食事スペースも観光の重要な要素 市民会館の食堂も観光地(プラハ)
ドレスデンの駅のビュッフェ、バイキングスタイルのようななかなかしゃれた食事場、老人も憩える場となっている
ビヤレストラン(ゲーリッツ) サンドイッチなどで公園の草上の昼食(コトブス)
  
観光 その8 遊具
自然木を使った遊具は秀逸であった(ゲーリッツ)
  
印象的なプラハ カレル橋の彫刻群




公共交通のデザインと街の魅力

宮前 さやか

 ウィーン・プラハから始まり,旧東ドイツの諸都市を巡った今回の旅.思えば,ヨーロッパを訪れるのは前回のJUDIイタリアセミナーに参加させて頂いて以来のことであり,欧州の街の魅力を久しぶりに体感できた素晴らしい旅となった.

この旅を振り返ってみると,図らずも一大観光地から生活観あふれる小規模な街まで順に巡るようなプランがたてられていたように思う.この中で,旅を通して頻繁に利用した公共交通機関は旅を中身の詰まった,また思い出深いものにする為に一役かってくれた.
密に組まれた路線ネットワークや24時間フリーチケット等の料金の手頃さはもちろんであるが,街を引き立て魅力的に感じさせていたのは,車体や道路・駅などの公共交通機関にまつわるデザインであったように思う.

ウィーンの市内交通
プラハの主な市内交通は路面電車(市電)とUバーンと呼ばれる地下鉄の2種類である.
路面電車は赤白2色の色使い.ポルシェによるデザインで,Ultra-low-floor(ULF)世界一の超低床式車輌と言われている.歩道と線路の間に段差がなく,車椅子による乗り降りもスムーズにできる.観光客だけでなく,朝の通勤時間には多くの市民が利用していた.

24時間乗り放題チケットは5ユーロ(約750円)で市電とUバーン・公園内のトラムで使用可能.地下鉄のゲートは初乗り時刻を印字するボックスが備え付けられただけのシンプルなものであった.

自転車利用事情も整っているようだ.歩道上のレンタサイクルと自転車専用レーン.

プラハの地下鉄デザイン
24時間乗り放題チケットは80コルナ(約400円)でウィーンと同様に路面電車と地下鉄で使用可能.地下鉄構内の壁面デザインは,質感・色合い等駅ごとに異なっており,地下鉄の無機質なイメージを払拭するような楽しい雰囲気が味わえた.
プラハにも赤と白の車体の路面電車が走っており,大通りには車輌を利用したカフェスタンドが営業されていた.

ドレスデンの町並み

                                

出国前に抱いていた旧東ドイツ諸都市のイメージは,ドイツ最初の街であるドレスデンの駅に降りたった瞬間にくつがえされた.天井が高く開放感のある駅構内や,賑わいを見せる構内のカフェ,市内を走る鮮やかな黄色の路面電車は,その後巡る歴史観光都市の盛り上がりの波と共に整備されたものであるようだ.
さらに,ドレスデン市内にはオペラ座や教会等22箇所の見所を周遊する2階建ての観光バスが走っている.ヘッドホンで8カ国後のガイダンスを聞くことができる,真っ赤な車体のバスはドイツ国内の観光客を中心に大人気であった.
                 

ゴーリッツの生活
ドレスデンの半日観光を終え,電車に乗り込み北へ.ゴーリッツに到着した頃には,空は暗くなり始めていた.ホテルへ向かうタクシーからの景色を見る限りでは,国境沿いの小さな田舎町のように見えた.しかし,ホテルにはその時間帯に観光バスが到着し,ロビーは宿泊客であふれていた.日本ではあまり知られていない小さな街だが,じつはれっきとした観光地であった.
翌日,街中は観光客や散歩や団欒をする住民達がゆっくりとした時間を楽しんでいた.こんな小さな街にも観光ループバスが走っており,歴史と現代アートがうまく融合したこの街に自然となじむ車体であった.




歴史都市のモダンデザイン
堀口 浩司


●近代的な修復と解体−エルジェーベト広場(ブダペスト)
 古い建物の多く残る地区でも再開発が進んでおり、広場の周りの建物を修復、あるいは建て替えながら、新しい都市機能の整備が進んでいる。
 ここエルジェーベト広場の周りには美術館や新しい高級ホテル、バスターミナルが建設されている。ちょうどブダペストの商業業務地の中心にあたるため、既存の建物を順次改修しながら、オフィスビルやホテル、住居などへの活用を進めているように見受けられた。周辺のビルをよく見ると改修後のビルの中層階以上では住宅やオフィスとして利用されており、改修前の古いビルは一階部分は店舗等で利用されているが、2階以上は空き室となっていた。順次、再開発やリニューアルが行われている。
 この広場はターミナルと駐車場、それにコンサートホールを地下部分に納め、地上部分は矩形の池の周りに現代彫刻の並ぶ広場として利用されている。
 この池自身にも仕掛けがあって、プールの底がガラス貼りになっており、上からの光が水を通して、コンサートホールのホワイエに差し込むようになっている。
 古い地図では広場は比較的シンプルな平面の公園であるが、バスターミナルの整備により、モダンなパブリックアートの空間として再生した例である。池の周りをウッドデッキと芝生で囲ったシンプルな形態である。
 この写真に見るように、ホワイエ部分はあたかも水中にいるような気分を味わうことができるような構造である。
魅力あるカフェも都市デザインの一部
 ブダペストからウィーン、プラハなどカフェは市民生活の一部になっている。外部空間の快適さや、インテリアの質の高さなどカフェ文化という趣を持っている。
○世界遺産都市にはオープンカフェがよく似合う、か?
 日本でも各地でオープンカフェを造ろうという試みがあるのは結構なことであり、このような質の高い空間が作られることを期待する。これらの世界遺産都市に認定されると、世界中から観光客がどっと押し寄せる。大変な経済効果であり、観光客の落とすお金が歴史的環境を保存する原資となっているから、意味も大きい。オープンカフェである必要はないけれど、来訪者が落ち着いて時間を過ごせる空間があるというのは、大事な都市の資産であると思う。
 買物や通行するといった機能だけの空間は貧しさの象徴である。心静かに落ち着いて時間を過ごせる空間のない都市では景観もあったものではない。
アイゼンハッテンシュタット 雑感
JUDIの皆さんとアイゼンハッテンシュタット他に行った際の、感想緑です。
○意外とスッキリとした解体
 人口減少に伴って管理コストのかかる公的住宅を解体しているのを見た。
旧東独の社会主義体制の崩壊により、人口が東から西に移動し、観光資源を持たない東の地方都市、特に工業都市では総じて過疎化傾向が激しい。

 人口減少に応じて過剰となった公的集合住宅を減らす(減築とも言う)わけだが、1980年代の比較的新しいものから解体している。それは1950年代、社会主義が輝いていた時代に建てられたものは空間デザイン的に質が高いが、後の時代になるほど画一化され、魅力がなくなってくる。また古いものほど市街地の中心部にも近い。そのため新しい集合住宅は解体し、古いものは改修され再利用されている。
「意外と」思ったのは、町の人の顔つきが暗くないこと。解体後の跡地利用計画もなく、奇妙に単純な緑地(空き地)が連なっている。人々の記憶にある住宅を解体してゆくことによる不安感や退廃的な気分はあまりない。解体の一方で古い町が改修によってリフレッシュしており、合理的な更新活動として受け止められている。我々が行ったのが夏の終わり、爽やかな時期だったからかもしれない。
○減築の理由とは--なぜ解体するのか

 解体の理由は、1)熱源供給など社会資本の維持管理コストの削減、2)警備など管理コストの削減、3)雇用の創出、4)魅力の乏しい住宅の廃棄ということであった。
 当方は何となく釈然とせず、「まだ使える」のに「もったいない、資源の無駄じゃないか」とか思うのは、「もしかすると、また住宅が必要になるかも知れないから残そう」という開発指向の名残があるためか?まだ物理的な耐用年限の残っている住宅を、もはや社会的ニーズがないからと割り切って完全に廃棄することにまだ抵抗を感じている。
 アイデンハッテンシュタットは高速道路から少し離れており、鉄道の幹線から離れ、河川も狭く、重厚長大型の産業都市としての未来は厳しい。産業都市として発展は困難であり、これといった観光資源がなく、人口はもはや増えそうにない。このような状況を考えると、過剰な社会資本を解体して、維持管理のしやすい都市へと改造していくということが合理的な判断だということも理解できる。

 産業城下町のような人工的で単一機能的な都市には、日本においても同様の危険性があると思われる。都市活動の低下による人口減少によって、過剰な社会資本を支えられなくなる可能性は十分にある。
 翻って日本に置き換えると、日本でこのような集合住宅の減築がおこるだろうか?おそらく日本の産業都市においては、減築という行為は起こりにくいと私は考える。理由は減築を必要とするほど、地方都市の公共住宅は多くないからである。鉄鋼や重化学工業のある企業城下町といわれる都市では、企業社宅や民間地主による借家経営が中心であり、公営住宅の比率が小さい。むしろ民間住宅の解体と、学校や道路施設などの社会資本の維持が困難になる。