◇メキシコの文明にふれる 

 難波  健

 残念なのは、メキシコ滞在がわずか4日であったことである。その短期間に足跡を記したのは、明るくて神秘的な台地、メキシコシティの周辺に限られているが、飲・食・音楽・建物・宗教・祭、それらを通じてメキシコの都市を堪能した。

1 宗教とまつり

 プエブラは、メキシコシティ北ターミナルからバスで丁度2時間の距離にある。旧植民地時代の市場都市ということであったが、この都市の周辺には360の教会があるという。このうち4つの教会を見学したが、どれも重厚なカトリック教会であった。チョークラのサンアンドレス教会では御輿に神像を載せて楽隊とともに山の上(アステカ時代の神殿であった)からまちに降りるおまつりに出会った。
サンアンドレス教会(チョークラ)のお祭り
 アステカの文明が破壊されてスペインからキリスト教が布教されたはずであるが、みごとに根付いている。下の地図の十字マークは修道院を示す。

 テオティワカンは、メキシコシティ北ターミナルから観光客で満員のバスで1時間。太陽のピラミッドの頂上には民族衣装の地元の団体が歌を唱っていた。ここに埋め込まれた金属からパワーをもらう。観光か、宗教かというと、どちらかというと観光なのだろうが。

 

2 建築と都市

 メキシコ国立自治大学、現代へのアステカ文明のプレゼンテーションといった感じである。広いキャンパスに芝生が敷きつめられ、露天があったり休みの日とはいえ、公園のような大学だった。
バラカン邸左手の緑は道路の騒音を計算した環境を創り出していた。 サテリテ・タワー、近くに寄ってみるとコンクリートの固まりである。これは何なのか、まさに風景彫刻である。
カミノ・レアル・メヒコボランコ地区のホテルは豊かな都市内空間をつくっていて、色はバラカン色であった。 ラテンアメリカンタワーから町を望む。昔はここは湖だった、下の絵はがきはその頃のメキシコシティ。 ソカロ広場。20時になると独立記念日の電飾がパッとついた。
  
ソチミルコ 自治大からタクシーで20分あまり東に走った自然公園。メキシコシティは湖の中の島だったことを知ったのだが、ここは湖のイメージが残っているという。観光船がひしめいているが、廻りの集落は水郷地帯の村で、牛を飼ったり、花を栽培したりしていた。

  

3 音楽と飲食

ガリバルディ広場 最後の夜を過ごしたホテルはこの広場に面していた。マリアッチの楽団がいっぱいいて、カップルに、家族に歌を提供している。深夜にホテルを出てみたが、まだそこここに屋台や楽団が営業していた。
ビバマリア ポランコ地区の食堂。地下鉄を降りて、こんな住宅街にあるのかと思いながら歩いて行ったのだがメキシコ料理を堪能した。マリアッチの楽団もとってもフランクに、われわれに「河の流れのように」を演奏し、唱ってくれた。 メキシコシティに全員集まった最初の食事。露店にタコスがよく似合う。
八丁味噌と見まがうモーレ料理。材料は同じ、大豆だから。 エンチラーダスと思われるおろしチーズが印象的。 メスカル。テキーラの原料龍舌蘭に付く芋虫の風味を味わう高級酒。
 

4 メキシコとは

 侵略者スペインと見事の調和するメキシコ。料理に、酒に、音楽に、芸術に、そこには古代の歴史から現代の文化までそこはかとなく散りばめられた国、どこかにもこんな国が、そう、日本の文化によく似ている。
 何も日本と比較することはないが、今回いけなかったメキシコ湾にもいつか行ってみたいものである。