2008年度 JUDI関西 海外交流セミナー記録

韓国の都市環境デザインに学ぶ

 セミナー参加者・記録   
会員  大矢 京子 都市環境ランドスケープ 世界文化遺産の都市水原を歩く(ランドスケープデザイン寄稿)
角野 幸博 関西学院大学 スピード感とスケール感
工藤  勉 ヨシモトポール 都市のストリートファニチュアの役割
小林 郁雄 神戸山手大学 2008これがコーリア48景
千葉 桂司 URサポート 訪韓見聞記
難波  健 兵庫県 学び合う都市環境デザイン
長谷川 弘直 都市環境ランドスケープ 歴史伝統の技とモダンが錯綜する都市を歩いて(ランドスケープデザイン寄稿)
宮前 保子 スペースビジョン研究所
宮前 洋一 スペースビジョン研究所
森川  稔 滋賀県立大学 高層アパート群の圧倒する景観
非会員  竈   圭人 スペースビジョン研究所 韓国らしいまちづくり
徳勢 貴彦 スペースビジョン研究所
JUDI海外交流セミナーメンバー
 行程概要
コーディネート・案内 京畿都市公社  ゙ 弼奎(Cyo, Pilkyu)
8月23日(土)<ソウル>
  ・夜の清渓川(チョンゲチョン)散策 宿泊:ベストウエスタン国都
8月24日(日)<ソウル>
・南山韓屋マウル
・リウム三星美術館
・清渓川(チョンゲチョン)記念館
・清渓川(チョンゲチョン)散策
・景福宮
<ソウル⇒安養(Anyang)>
・安養(Anyang)萬安区(Manan-Gu)
<安養⇒水原(Suwon)>
・水原華城(華紅門から長安門) 宿泊:GSBC(水原)
8月25日(月)<水原Suwon>
  ・水原華城(華城行宮)
・水原華城(華陽楼)
・水原駅前見学
・光矯(Ggwanggyo)名品新都市説明・見学
《 京畿都市公社=JUDI関西 研究交流会 》
14:30〜14:40 メンバー紹介
14:40〜14:50   韓国側 あいさつ 京畿都市公社社長 権 載郁
(Kwon, Jae-Wook)
日本側 あいさつ JUDI関西代表 宮前 保子
14:50〜15:25 第1部 <新都市開発推進戦略>
 東灘新都市の実現戦略 東灘新都市事業処東灘計画チーム課長 金 善用
(Kim,seon-yong)
 街なか再生事業と郊外ニュータウン事業 千葉 桂司
休憩
15:35〜16:25 第2部 <規制市街地開発の課題解消への展望>
 京畿ニュータウン事業の推進現況と課題 ニュータウン事業処 企画チーム長 朴 材彦
(Park, jae-eon)
 まちづくりとは何か 小林 郁雄
16:25〜17:35 第3部 <日本の都市づくり>
 @新都市・ウオーターフロントのダンドスケープデザイン 長谷川弘直
 A住民と協働でつくる−公園・森・川づくり 大矢 京子
 B新都市の緑 宮前 洋一
 C既存集落に学ぶ都市デザイン 徳勢 貴彦
 D新都市のストリート・ファニチャー 工藤  勉
 E郊外住宅地の衰退と再生 角野 幸博
17:35〜18:10 第4部 <討論:韓国の都市づくり・日本の都市づくり>
 総括 難波  健
懇親会  お礼のあいさつ  森川 稔
8月26日(火)<ソウル>
案内 韓国金鳥効果大学校建築学部兼任教授 金 永敏(Kim,Yonmin)
  ・京東薬令市場
・大学街
・仙遊島公園
 
LANDSCAPE DESIGN No.63 (マルモ出版)寄稿
  躍動する韓国のランドスケープ
 
 
スピード感とスケール感
  
関西学院大学総合政策学部都市政策学科 角野幸博
 
 2008年8月に韓国セミナーに参加したものの、心の整理がつかないまま、1年以上たってしまった。ニュータウン建設や清渓川(チョンゲチョン)の再生、仁川国際空港の巨大ハブ空港化など、都市開発のスピード感とスケール感に戸惑っていたのである。
 周知のように第二次大戦後の日本は、圧倒的なスピードとスケールで戦災復興と高度経済成長を成し遂げた。アジアの途上国は第二次大戦後の日本を手本にして、経済成長のシナリオを描いてきた。上海など沿岸部にある中国の大都市などは、日本のスピードをはるかに凌駕している。
 だが現代の日本の都市にはそのひずみが随所に残っている。少子高齢化・人口減少のもとで、そのひずみは拡大しつつある。アジア諸都市にも、今後数十年にわたって急成長のひずみが残されるだろう。とくに韓国の都市文化は、様々な点で日本に酷似しているがゆえに、その戸惑いをおさえることができない。
 私はセミナーで、高度経済成長期に建設された日本の郊外ニュータウンが、今どのような問題に苦しんでいるのかを報告させていただいた。韓国の少子高齢化は日本をしのぐスピードで進みつつある。なかなか御理解いただけなかったようだが、そのことが都市空間に様々な影響を及ぼし始めることは間違いない。
 ともあれ、私にとって印象深いのは、やはり清渓川である。国家プロジェクトであるかどうかはさておいて、ここでもスピードとスケールに驚く。巨大なドブ川に蓋をして道路にしたかと思うと、その上に高速道路を築き、すぐさま撤去して清流を作り出す。この間わずか50年足らずである。
 地表面と水面とのレベル差は、大きいところで7,8メートルはあるだろうか。川幅の割には深い。何せ、普通に地表を歩いていたらその存在に気付きにくいのだから。深いがゆえに、地表の市街地とは対照的な別世界が現出する。都心に生じた巨大クレバスの底には、人工的とはいえ、清流や緑、水棲生物の小宇宙がある。風水思想に基づく李氏朝鮮時代の都市の記憶が甦る。清渓川が、ソウル市民の憩いの場になっていることはもちろんだが、このクレバスにはそれ以上の意味と役割があるようだ。
 防災上の課題さえクリアできれば、ビルのサンクンガーデンや地下街などとネットワークして、立体都市の魅力をさらに高められるのではないかとも思ったが、ここはソウルの歴史を示す峡谷のままが良いのかもしれない。
市街地を切り裂く水と緑のクレバス 地表と水面との大きな段差
風水上の清渓川の役割を示す壁画 橋の下での歴史写真展示
不法占拠のバラックを再現した建物 古い橋脚は巨大なモニュメント
  
  
訪韓見聞記
鰍tRサポート  千葉桂司
 清渓川(チョンゲチョン)の両岸に繁茂した草木に、そろそろ秋の気配が感じられる季節に、JUDIの仲間達とソウルを訪れた。今回の訪韓の目的の1つは、清渓川がソウルのどんな位置にあって、どのようなプロセスを経て、今どのように再生され市民の評価はどんなものかを、この目で確かめることであった。
 かつて河川の両岸を不法占拠した密集家屋の生活排水により、ドブ川と化した清渓川に蓋をし高架高速道路にされた経緯も、コンクリート劣化による高架道路の撤去プロセスも理解できたが、そこをもう一度河川に蘇らせようとした強い政治的意思と、予想外の短期間に完成させた実行力には驚くほかはない。都心のド真ん中を東西に貫通し、多くの市民が憩いに訪れる清渓川の再生は、都心のヒートアイランドに効果があっただけでなく、市民のまちづくりの価値観に大きな影響を与えたに違いない。もはや高速道路は未来都市の象徴でもなんでもなく、雑草の茂る小さなせせらぎの小径が都市には必要だったことが分かったのだ。
 このことはもう1つ、ソウルの都心から北に僅かの距離にある歴史的保全地区「北村(ブクチョン)」、韓国の伝統的民家「韓屋(ハノク)」が集まった地域にも感じられた。超高層ビルが林立する都心部を見下ろす高台に広がるこの高級住宅地の町並みと狭い路地の迷宮は、どんな都市計画でつくられた街の魅力にも適わないだろう。この街を歩いて初めて韓国に来たことを実感できる。歴史を刻んだ道や川のなんと魅力的なことか、歩きたくなる街こそ素晴しいのだ。
 さて、もう1つの目的は、ソウルの南、京畿道(県)の都市公社を尋ねることであった。
 公社ではソウル大都市圏の増加する人口を受け入れ、あわせて都市機能の新規立地をねらった新都市(日本でいうニュータウン)の建設に取り組む。水原(スウウォン)市の郊外に展開される東灘新都市開発は、ソウルから約30Km,開発面積2,400ha,人口28万人の計画である。全体の1/3の800haを公園緑地とし、超高層住宅以外に低中密度の韓国型アパートや伝統的・現代風韓屋(戸建住宅)を配するなど魅力的な計画ではあるが、かつての日本のニュータウンづくり以上の大量・急ピッチで事業が進むのが気にかかる。
 3日目の研究交流会は80名を超える大会議となった。公社から新都市開発や既成市街地整備の報告を聞いた後、私は都市再生機構が現在関西で進める都市再生(団地再生を含めて)とニュータウン事業の話をさせてもらった。日本ではもうニュータウンは事業を収束させる時代に入り、都心部やストックの再生が主流になりつつあることを伝えた。公社の強い開発志向に対して水を掛ける内容となったが、10年20年後に日本の跌を踏まないことを願わずにはいられなかった。合算特殊出生率の低下が日本以上に進行する韓国で、数十年後の少子高齢化は間違いなくやってくるだろう。そのために今やっておくべきことは何か、ここは日本の経験がきっと役に立つに違いない、われわれはそう思った。角野先生のスピーチ「郊外住宅地の衰退と再生」は更に興味ある発表であったが、公社の人たちはどう受け取ったであろうか。
 強烈なメッセージを発する清渓川の実例から、われわれは我が国の都市再生や交通問題そして都心の環境改善に対して、やろうと思えば出来る勇気を教わった。一方韓国の大規模なニュータウン開発の行く末では、必ず日本からのメッセージや教訓が理解される日が来るだろうとも思う。
 今回の研究交流会はそれぞれに大きな教訓を残して幕を閉じた。
 

高速道路柱脚を残し再生された清渓川

北村韓屋地区のまちなみ
  
  
高層アパート群の圧倒する景観
滋賀県立大学  森川 稔
 「韓国住宅バブル変調 売れ残り6年で6倍 価格下落も」という見出しの経済記事が、2008年10月17日の朝日新聞に掲載された。世界的な金融不安のなかで、住宅バブルに沸いてきた韓国でも、供給過剰と需要不振が重なり、アパート(日本でいうところのマンション)の売れ残りが急増、一部地域では値下がりが起きているという。
 どこに行っても高層の白っぽいアパート群が目につく。日本のように単独あるいはせいぜい数棟が立地するというのではなく、まさに群立しているのである。水原華城の角楼(城郭の比較的高いところに位置する監視所兼休息所)からみると、白っぽいアパート群の塊が、市街地の周辺部を取り巻いている。案内していただいた、光矯の名品新都市の隣接地でも、高層のアパート群が密度高く立地する姿を目にすることができた。安養市で案内していただいた再開発地区は、低層の集合住宅(韓国では“ビラ”というらしい)が並ぶ、なかなかいい雰囲気の住宅地であったが、そこもいずれはアパート群に姿を変えるのであろうか。
 韓国ではアパートが住宅市場の主役で、全体の8割程度を占めているという。財閥系の開発による大規模なアパート群は、生活施設が完備し便利であること、治安がよく安全であること、断熱性がよいことなどから人気があるらしい。土地が限られていること、地震の心配がないことなども、高層のアパート建設を後押ししている要因であろう。しかし、こうした理由に加えて、投機の対象となっていることが、アパート人気を支えている大きな要因であるようだ。アパートは値上がりすることはあっても、値下がりすることは皆無、といったことが韓国国民の共通感になっているようである。日本でバブル期に「土地神話」が語られた状況と同様である。
 懇親会で同席だった京畿都市公社の若手技術者たちは、われわれの心配をよそに、現在進めている大規模なニュータウン開発(開発後の販売も含めて)に自信満々であった。しかし、冒頭の新聞記事の状況からも想像できるように、開発がとん挫してしまうことを心配せざるを得ない。
 ソウルの繁華街の雑踏に、韓国のエネルギーを感じる。韓国滞在時に、北京オリンピックの野球で、韓国が金メダルを獲得したこともあり、一層盛り上がっていたのかもしれない。清渓川(チョンゲチョン)の取り組みに象徴される韓国の英断には目を見張るものがある。そうした勢いが、不動産バブルに同時に、一気にはじけてしまうことを懸念せずにはいられない。
  
   水原華城の角楼から見るアパート群   名品新都市からみるアパート群
  
  
韓国らしいまちづくり
  (株)スペースビジョン研究所 竈 圭人
 韓国にはこれまで、何度か訪れています。
 友人と軽い気持ちで「暇だし、観光旅行をしてみようか、気軽に行けてご飯の旨い国が良い。」ということで、訪たのが最初でした。
 薄っぺらいパンフレットのようなガイドブックを一冊持って行った他は、何ら下準備をせず、今思うとなんと愚かな時期に行ったことか、旧盆(チュソク)の時期にソウルを訪れ、適当にと日本から探したホテルが少し郊外の長漢坪と言うところで。歩けど歩けど開いている店がない。一泊目はなんとも寂しい印象をうけました。
 チュソクの重要さも知らない馬鹿学生2人づれは、「韓国一の都市と言ってもたいした賑わいが無いね!」と勘違い。観光気分から開き直って、ソウルという町を五感を頼りに思いつくまま、見て、喰って、回ろうと、仁寺洞の安宿を拠点とし、落ち着いた街並みに縁日のようににぎわう「仁寺洞」、にぎわう夜の「明洞」、洗練された「江南」、学生のエネルギーがあふれる「新村」、基地の町「梨泰院」、眠らない高密度な市場「東大門」、韓国らしい市場を体験できる「南大門」、歴史と記憶と文化の集積した「慶福宮・宗廟・昌徳宮」、宗廟から竜のように伸びる「世運商街」、秋葉原的なカオスが色濃い「龍山」と、ただただソウルの町を歩き回りました。
 その後に研究室の研究テーマと旅行が韓国になり、その経験(?)を買われてか、ガイドを拝命。ゼミ旅行の前後の一週間以上、当地での研究をする人のお手伝で、ソウルのモギョクタン(沐浴湯:銭湯)をひたすら入り回って、間取りやそこでの人の行動を記録する。夜は研究者のために店を探して屋台で注文をする。そういった荒行をしたこともありました。
 その後、仕事の一環と称して慶州に行って以来、久しぶりの訪韓で、思えば観光らしい観光をきちんとした記憶がありませんが、今回はジョさんキムさんを初め韓国の素晴らしいガイドの方に伴われて、さまようことなく韓国の今を知る観光ができました。

 韓国は身近な国。実際に近いことやアスカ、ナラ、ハナ、パチキなどの言葉や符丁など、文化の相互浸透の深さに、何度訪れても出会うことが出来、感動をおぼえます。
しかし、そのたびに韓国(ハングル)酔いをして帰ることが常で、もちろん、キムチやタン(湯:スープ)、コギ(肉)が大変美味しく、ソジュ(焼酎)やマッコルリ(酒)をついつい過ごしてしまう事からかも知れませんが、風土、人の振る舞い、家並み、街並みのわずかな「ゆらぎ」を見つけて、とまどいを覚えるからかも知れません。

「発する」こと
 ソウルではあらゆる隙間にモノがあふれかえり、目に付く街頭、通りに文字があふれ、店先・酒場では「喧嘩かしら?」と思えるほどに話し好きの発する言葉が町を覆い尽くさんばかりにあふれています。
 中々意見を公に出さず、「折をみて」という日本とは違い、「思い立ったらすぐにやる、外に発する」ということを気質としてもつことが、都市に強いエネルギーを与えています。
 
「飾る・いろどる」こと
  今回、ソウルの韓屋村や近郊の都市住宅を見学する機会をいただきました。落ち着いたタウンハウスが建ち並び、一見するとヨーロッパの街並みかというたたずまい。しかし、よく見ると、表層がさりげなく装飾にあふれている。
 寺院や宮殿にほどこされる丹青やオンドルの煙突から連綿と続く、この国の人が住まいを飾ることへの身近さを改めて感じました。
安養の都市住宅
北山韓屋村
韓国の住宅の表層におけるデザイン密度はかなり高い
「祈る」こと
 韓国の寺院や宮殿を鮮やかに彩る丹青(タンチョン)。壁面の模様。どれも美しく、目を惹くものがあります。一方で「古美る」「さりげなく」といった日本の装飾文化とはどこかなじまず、理解が出来ないことから、これまで「違い」として片付けていました。
 今回、訪れた景福宮で偶然立ち聞きした話ですが、丹青の五色は、寿福招来の、幸せをもたらすシンボルカラーであり、壁や煙突の装飾は人の安寧を願って描かれていたもの。
と知り、単に建物の風格を示すと言うだけではなく。その「飾る」ということに「祈り」がこめられていたことに得心と感動を覚えました。
丹青(タンチョン)南山韓屋村
景福宮のオンドルの煙突と、壁面装飾
 
「混ぜる」こと
 小皿で饗されたキムチやナムルなどを、つまみながら食べていると、「そうじゃない。すきなモノを全部ほりこんで、まぜるものだ。混ぜると美味しい、混ぜるから美味しい。」と韓国料理を食べているときに教えられたことがあります。
 それぞれの素材をぶつけて、混ぜてしまう。韓国の街中・建物をみても、そういった納まりへの大らかさと、素材をぶつける巧さを感じます。
 今回訪れた京東市場に於いても、漢方薬の店の近くで生きた魚が売られ、そのさらに隣で肉の塊が売られ、向かいの店主がなぜかリンゴと靴下を売っている。そういった場面に出くわしました。何とも大らかで、便利であります。
 
学んだこと、学ぶべきこと
 韓国の「発する」気質は、数年前に車が混み合い、重苦しい鈍色の鉄塊の川だった清渓川を生命息吹く清流と変え、さらに漢江にまでルネッサンスをもたらそうとしています。この英断、スピードたるや畏怖すべきとしか言いようがありません。
 かつて歩き回った時、「ソウルには、公園・広場といった、都市的なコミュニティを育む場所がなく、もしかしたら、銭湯にそういった場所があるのでは?」と仮説を立てたことが有りましたが、今のソウルにはまさに、清渓川や漢江にそういった場を見いだすことが出来ます。
 今回、駱山マウルを訪れてまちを「飾る・彩る」ことで、今ある町をそのまま活かし、まちをもり立てより良くしていこうという「祈り」にふれ。新しいまちづくりの芽吹きを感じました。
清渓川:かつてはこんなオープンスペースがソウル市内に見あたらなかった
駱山マウル
伝統的な韓屋がのこされ、住宅地として見直されている北村
 
単なるノスタルジーではいけないけれど…
 一方で、韓国らしいタウンハウスや、在来市場、駅前の賑わいをクリアランスすべきとして、新しい町を計画することについては、勿体ないと感じます。ソウル市内に於いても清渓川の実績や、宗廟の前に立ちふさがる世運商街の解体計画は衝撃的な英断と感じましたが、東大門市場・京東市場など在来市場周辺におけるクリアランスまでもが、「清渓川」の先の時代にある計画として見せられると、今の大らかな市場の姿に魅力を感じている身としては、何とも複雑な思いがします。
 かつて、セマウル運動の始まりの時期、民家の屋根を藁葺きから瓦葺きへと変えていく動き高まり、カメラマンや絵描きが農村に押しかけた逸話を思いうかべてしまいます。
 新しいニュータウンの計画は美しく、豊かな環境への配慮がされていますが、山に対峙するかのような摩天楼や、周囲の環境とは独立した強さ、美しさだけを感じます。計画上の量として緑やオープンスペースを「どれだけ確保するか」ということも大切ですが、山並みや、尾根線、水系などの地勢、樹林地の繋がりや、村落や街並みの記憶など既存の資産に対して敬意をはらって「何を大切と考えて残し、活かす努力をするか」という計画・デザインであることも重要に思います。
 韓国の集落に背山臨川、後高前低といった言葉があるように、地形を選び取り、見立てることで、風流な住まい・都市を造ってきた思想があることを聞いています。
 単なるノスタルジーではいけないと思いますが、これまで大切にしてきた風土に敬意を払い、今ある資産をつぶさに見分けて配慮し、新しく美しい町のイメージという素材をぶつけ、混ぜることで彩り豊かな都市・風土を創っていく。そういった土壌がこの国にはあるとおもいます。今後も韓国らしいアイデア・実践力を発揮し、さらに我々を刺激していただけることを祈りながら。身近な隣人として今後とも刮目して見て行きたいと思います。
 歴史的な建物からソウルを象徴する山への眺望が
 ビル群によって遮られている
世運商街 この先に宗廟が立地する
  タウンハウスの下から韓屋と集合住宅を望む。
  この中で残るのは、集合住宅だけ
クリアランス型の開発を推進する動機は
住宅環境以上に高い犯罪発生率が問題となっている
  
学び合う都市環境デザイン
兵庫県 難波  健

 韓国を旅行したのは5回目である。これまでに訪れた都市は、ソウル、利川(イチョン)、釜山、慶州、大邱、そして今回全州、水原にも足跡を記した。
 なんといっても近い、ソウルまで約1.5時間、釜山だと1時間10分である。そして日本に似た町並み、瓦屋根と田園風景、雑踏もまた日本に似ていて、明らかに西欧ではない。

 今回のセミナーで韓国から学んだ都市計画は多かった。全州でもソウルの北山でも良いまちなみが残されて、その保存と再生は日本を例としながらそれ以上のできのように思われた。またC渓川の自然回帰は感動に値するものであった。
 京畿都市公社との交流勉強会では、特にニュータウン開発に焦点を当てた話題提供を求められ、早すぎた開発速度、既にニュータウンの再生に時代に入っていること、人口減少時代への対応が求められているといった、日本の最新の新都市情報が提供された。
 日本の成功と失敗から韓国が何を汲み取るか、よりよい都市計画に向けて、良い関係を築いていきたいものである。
  
C渓川 想像以上に素晴らしいPJである。これは橋の下での写真のプレゼン
土曜の夕暮れ、川辺は人の波である。
C渓川がオープンにされた東南の端に記念館がある。
記念館に設けられた模型、上が西になる 記念館の屋上から西を望む
記念館の前に河川が不法占拠されていた頃の家屋が再現されている
川辺には幾種類かのタイルがあった、これは子供達の絵タイル
C渓川に蓋をするための工事に着手した当時の写真(1958〜1978)以下「C渓川復元」より
C渓川に蓋をしたあとの道路
C渓高架道路の建設工事(1967〜1976)
C渓高架道路 撤去前2002年の交通量は168,556台/日
ソウル文化の夜  
われわれがソウルの着いた8月23日は、「ソウル文化の夜のイベントが行われていた。
 これはあとでパンフレットをみて知ったのだが、ソウル広場をはじめ貞洞、三清北村、仁寺洞、弘大、大学路の6つの会場で18時から24日の2時まで、美術館、博物館の夜間開館や音楽、演劇などのプログラムが組まれていて、シャトルバスで会場が廻れるように組まれていた。
 たまたま通りがかった南仁寺マダンの綱渡りは文化の夜のプログラムの一つだったのだ。
南山谷韓屋村:ヤンバン(両班:韓国の貴族)の家を集めた住宅展示場   
北山(プッチョン)韓屋村:こちらは韓屋のまちなみ
歯医者の看板 冬ソナの学校場面の撮影地らしい
「歴史文化都市 ソウルの韓屋マウル,北村」ソウル特別市住宅局発行 より
大学路:アートのまちに変身
大学路(テハンノ)の東側がアートプロジェクトの場であった。金氏の知人の芸能人とたまたま遭遇して記念撮影。
ジャコメッティばりの彫刻 坂道をゆっくり登ろうカタツムリ


ランドスケープデザイン63号 マルモ出版