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はじめに

鳴海邦碩

 今日は、 東京から土田旭さんをお招きいたしました。

   

 土田さんは、 都市環境デザイン会議の発足にあたって、 いろいろと関わってこられ、 代表幹事もされました。

それから現在は、 広報委員長をされています。

   

 一方、 都市環境デザイン会議として年鑑のようなものを作ろうという話があり、 委員会が作られました。

私が、 その編集委員長に任命されたわけですが、 震災の影響で仕事を十分できなくなり、 広報委員長であった土田さんが委員長代理として面倒をみられて実現したという経緯があります。

   

 そうして出来上がった『日本の都市環境デザイン'85〜'95』の中で、 第1部には都市環境デザインの思想とその到達点を述べる7つの論文を掲載しました。

その中で、 「都市環境デザインの今」というタイトルで土田さんに論文を書いていただいたのですが、 今日はこの本に書いたこと、 あるいは、 書かなかったことを含めて、 都市環境デザインの課題についてお話しいただこうと考えております。

   

 簡単に土田さんのご紹介をいたしますと、 1937年生まれですから、 顔の割には相当なお年ということなんです。

今年50歳ぐらいの方々は学生時代に『日本の都市空間』とか『現代の都市デザイン』という本を読まれた方がおられるのではないかと思います。

   

 実はあの本は、 先輩の磯崎さんとか、 伊藤ていじさんといった方々の中で、 土田さんが若手を代表されて作業をなさったと聞いています。

計算すると23歳か24歳で、 大学院の初年度ぐらいの時にあんなことをされていたわけです。

今の学生と比べると大変早熟だなという感じがします。

   

 1960年頃にアメリカでアーバンデザインとか、 エンバイロメンタルデザインという新しいジャンルへの関心が生まれてきたわけですが、 同じ頃に都市デザインという言葉、 概念が日本ではじめて使われだしました。

日本ではその後、 横浜の都市デザイン室とかに多少そういった考え方が反映されましたが、 全般的にみればアーバンデザインは日の目を見ることなく都市環境デザイン会議の結成の頃まで来てしまったのではないかと思います。

   

 特に関西の方では、 アーバンデザインといっても東京ほどには関心が持たれなかったと思います。

一部にはもちろんそうした人たちがいましたが。

それから四半世紀たって、 アーバンデザインが社会的に一般化してきているという状態ではないかと思います。

   

 私は、 土田さんとは役所にいたときにはじめてご一緒に仕事をして、 それ以来色々お話をする中で勉強させていただいたわけです。

実は、 リチャード・ドーバーという人の『環境のデザイン』という本を大学院の時に勉強しましたが、 この翻訳をされたのが土田さんです。

土田さんはしゃべるのは得意ですが、 本をお書きになるのは苦手だといつもおっしゃっているのですが、 このリチャード・ドーバーの『環境デザイン』はかなり分厚い本です。

翻訳は1976年ですからもう20年前ですが、 この中で、 アーバンデザインというものがどういう領域をカバーするべきかが、 非常に体系的というか、 我々にとって非常に分かりやすく論じられています。

これまでの実際の活動とこういう研究とが相まって都市環境デザイン会議の設立にこぎつけているのではないかと、 そういう気もするわけです。

   

 そういうことで『日本の都市空間』や『現代の都市デザイン』という本が出された1960年、 1961年に、 日本でアーバンデザインの果たすべき役割を提唱した、 そういう責任からお話しいただこうということです。

   

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