都市環境デザイン会議関西ブロック

2000年度セミナー案内


第7回

上野泰氏セミナーへの質問募集


都市環境再生のための戦略(上野氏より、6/17)
“双方向的”プロセスとコンサルタントの役割(上野氏より、6/6)
「街の色」への補足(上野氏より、5/23)
「街の色」(上野氏より、5/22)
「コミュニティの再建は可能か」(5/15)
「ニュータウンを越えて」(4/28)
メールでの議論(4月中旬)
上野泰氏への質問中間報告と再度質問募集(4月中旬)
上野泰氏への質問募集(3月末)

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上野泰氏への質問募集

セミナー委員 中村伸之

 8月のJUDIセミナーは、上野泰氏を招いて、氏の仕事を多角的に紹介・解剖します。
 ご存じのように上野氏は、多摩ニュータウン、港北ニュータウンのランドスケープアーキテクトとして「都市構造から水飲みまで」の、膨大かつバラエティに富んだデザインを担当されてきました。
 今回は単なる作品紹介ではなく、原風景、発想、手法、海外体験、裏話等を引き出してみたいのですが、(3回ぐらいのシリーズになるかも知れません)、どこから、どう料理したものか、攻略法が思いつきません。

 できれば皆様の関心事をお聞きして、企画を進めていきたいのです。
  1. 上野氏の仕事に対する質問、あなたの感想・意見
  2. 上野氏と語ってみたい街づくりのテーマ
  3. 21世紀のランドスケープデザインの課題  等々
 について、下記までメールをお送りください。

  ランドデザイン/中村伸之
  E-mail: nnnet@mbox.kyoto-inet.or.jp


上野泰氏への質問中間報告と再度質問募集

セミナー委員 中村伸之

 先日、メールにてお願いしました『上野泰氏への質問』の中間報告です。
 少数ながら面白い質問が届きました。
 また上野氏本人からも「こう料理してくれ」という注文も届きました。
 さらに突っ込んだ、ご意見・方向付けを待っています。
 (E-mail mailto:中村<nnnet@mbox.kyoto-inet.or.jp>中村伸之まで、よろしく)

【これまでに届いた質問・意見】
・上野さんのような仕事をしていくためには、やはり建築などの大学を  出ていないとできないのでしょうか?
・人々が暮らしやすい街、働きやすい環境を整え、誰もが快適に、心から落ち着けられる空間、安らぎを得る事の出来る空間のある街を作りたいと思っています。
 このような事が出来る仕事とは、何でしょうか?
・海外で行われている景観対策など、具体的に行われている事を知りたい。
・街づくりの際に、街の色など、どのような事に配慮しているか。
・歴史的な町とニュータウンの、ランドスケープの違いについて。
 この2つのタイプの町には明らかに差があるのですが、果たしてニュータウンは歴史的町になり得るのでしょうか?多摩ニュータウンのパルテノン神殿を似せて作った広場の入り口の建築物は、時間がたてば歴史的価値として社会権を得るのでしょうか?
 もし、ニュータウンが歴史的な町をして残る事を許されないなら、ニュータウンは常に変化をしていなければならないのでしょうか?

l        【上野氏よりの注文】
上野氏からは「UNBUILD UENODESIGN」はどうだろうかというメッセージが来ています。
「出来たもの」を云々するのではなく、「あいつは何を考えているのか(あるいは考えていたのか)」というところに焦点を合わせようという提案です。
そして、UNBUILDの3つのカテゴリーを提案されています。
第1は、具体化するプロジェクトに関するもので実現しなかったケース、つまり“ボツ”になったもの。
第2は、具体的プロジェクトの中での”イメージ“等として示されたもの。
第3は、まったく“個人的”なスタディであるもの。


メールでの議論

【大学院でニュータウン計画について研究を進めているAさんからのメール】
・ニュータウンに対しての問題意識。
 近代以降生まれた「郊外」は、歴史的な都市に対して人工的・計画的に作られた街である。
 計画されたところに「人が突っ込まれていること」そのものに何か疑問を感じる。
・日本のニュータウンは「変化」に対応できないのではないか。
 入居した世代に偏りがあるため、全体的な高齢化が進んでいる。
 そうした変化に、街がついていくことができないように見える。
 例えば、老人ホームなど新設するのは困難。
・コミュニティセンターなどを設けているが、そもそも計画時に想定した「コミュニティ」の定義が不明瞭なのでは。
 それがニュータウンづくりの難しさの原因のように感じられるのだが、意見を聞いてみたい。
・人間は時間がたつと変わる。ライフスタイルも年齢によって変化する。
 またそれぞれの人間によって暮らし方は多様である。
 しかし、ニュータウンのライフスタイルは、働き盛りの都心通勤者、また専業主婦、小中学生といった若い核家族世代以外は寄せ付けないような    気がする。
・一貫した疑問は、人間の変化に街がついていけない、ということです。


「ニュータウンを越えて」(4月28日)

セミナー委員 中村伸之

l        上野氏と、8月セミナーの進め方について若干のやり取りをしました。
 その中で、基本的なこととして、計画フレーム(事業計画)にかかわる事項と、イメージ、デザインにかかわる事項は、明確に交通整理しておいたほうが良く、セミナーは「具体的なデザイン」を、主に取り上げたほうが良いということになりました。
(“そもそも論”としてニュータウンのあり方を論ずることと、具体的空間デザインを論ずることをごっちゃにしては、議論がすれ違うだけになる)
“ニュータウン論”については、この場(ホームページ上)である程度展開するのも良かろう、とのことです。
 

l        また、以下の「事前情報」を受けました。

1.         彼は、これまで住んでみたい、住んでも良いと思えたニュータウン(関わったものを含んで)に出会ったことがない。
つまり、関わったものについては、住みたいと思えるものには“出来なかった”、ということになる。(ただしこの問題は“そもそも論”の問題であるが。)
これまで見たニュータウンで唯一食指が動いたのは、ウェルウィンNTの最も古い一画であった。

2.         彼は、ニュータウンの役割は“終わった”と考えている。
ニュータウンに変わる新たな郊外の経営のあり方を模索しなければならないと考えている。
それが「郊外の再構築」である。(結局それは単純に農業に戻るということになるのかもしれないが。ただし担い手は代わるだろう。)
(4月22日)

   さて、皆様からニュータウン問題についてのご質問・ご意見のメールが多くありましたが、これについての上野氏からのコメントを長文でありますが、以下に掲載します。

*            *

l        「人工都市と歴史都市」

 今日歴史的な都市と呼ばれている都市にせよ、歴史的に見て、都市とは政治的、宗教的、あるいは経済的な“外挿的”な力により、よそ者の集まりとして“人工的”に造られたものである。
 ギリシャ、ローマの植民都市しかり、平城京、平安京しかり、江戸しかり、香港、シンガポールもまた然りである。そして、これらの都市はその初期において、いずれも一種の“奇形都市”であったといって良いだろう。例えば香港やシンガポールは初期の人口の殆どが“出稼ぎ”の男性であった、といわれている。そしてそのことが今日の「ホーカーズセンター」のような外食文化の基礎を造ったのだといわれている。
 このような“人工的な”都市が“歴史的”都市になるためには、人々が継続的にそこに集中する何らかの戦略拠点としての“メリット”が持続する必要がある。
このようなメリットを持続できなかった数多くの都市が歴史のなかに消えていった事はよく知られていることである。つまり、政治的にせよ、宗教的にせよ、経済的にせよ、なんらかのメリットを持続できた都市のみが、こうした“人工的”都市から“歴史的”都市へと成長できるのである。そして、その初期における“奇形性”は、人々が定着し、時間が経過することによって是正されて行くものと考えることができる。

l        「ニュータウンは終わったか?」

 このような視点に立ったとき、歴史の浅い今日の“ニュータウン”が(特に“ベットタウン”として形成されてきたわが国のニュータウンが)、”歴史的”都市と多くの点で異なるということは、当然でもあり、また、多くのハンディキャップを背負っていることも事実である。問題は、“ニュータウン”が、これからも持続的に人々を引き付けて行けるメリットを保持して行けるのか、ということである。おそらく幾つかの“ニュータウン”は歴史の中に消えて行くものと思われる。
 そして、もうひとつの問題は、現に存在する(それなりに歴史を持った既成市街地との)ハンディキャップをどう克服してゆくのか、ということである。このことは“ニュータウン”のリフォーメーションおよび、郊外のリストラクチャリングという問題としてとらえるべき事柄である。すなわち、“ニュータウン”は時と共に変わってゆく都市をめぐる情況の中で、“変わって行く”ことによってのみ(メリットを)持続することができるということである。(かつては、土地の使用価値よりもそれによるキャピタルゲインを期待したマーケットにとって、既成市街地に比してその質の割には安いという、“割安感“がメリットの一つであった)
 したがって“変わる”ことができない“ニュータウン”は見捨てられ淘汰されて行くことになるだろう。郊外ニュータウンに限定して考えてみると、これらニュータウンは郊外地域において、最も投資が集約的に行われている所であり、この投資をどう生かして行けるのかが、今後の大きな課題になるものと思われる。
 今日、「都市膨張期」に多くの未利用地、遊休地、生産性の低い施設等、「キャピタルゲイン」を当て込んで“水脹れ”状態となった都市が、土地バブルの崩壊とともに「収縮期」に入り、都市は“スリム化”へ向かおうとしている。
このような情況の中で、多くのハンディキャップを背負っている“ニュータウン”が、今後どのような可能性を持っていけるのかということは、大きな問題である。
ただ一つ明確なことは、“ニュータウン”は(少なくともわが国では)“戦略的地位”を失いその歴史的使命を終わったということである。
そしてそれにとって代わるべき新たな戦略的地位を獲得することができるか否かが、(すでにつくられた)ニュータウンのこれからの課題である。
 第2次大戦後、わが国が工業立国をめざして産業構造の転換を図るとき、“労働力の流動性を高める”という目的のために、人口の大量移動の受皿として造られてきた“ニュータウン”はその役割を終えたといって良い。もはやかつてのような短期間、大量の人口移動は(当面)ないものと考えられる。そして、短期間に大量の住宅を供給する、という目的のために構築されてきたシステムもその役割を終えたというべきである。 おそらくこれからは、(時と共に変わって行く)個別のニーズに向き合う開発が求められて行くことになると思われるが、それが“ニュータウン”であるか否かは、わからない。 恐らくこれからは大規模開発はなくなって行くのではないだろうか。
少なくとも“見込み“開発による、画一的大量供給の時代は終わったといえる。
 そして、個別のニーズに向き合うということは、結果としてエンドユーザーの“参加”を求めるということになるだろう。そしてエンドユーザーの参加ということは、街のハードの問題だけではなく、街をどのように運営して行くのかということへとつながって行くのではないかと思われる。

l        「双方向的な街づくりへ」

 これからの街づくりは、かつての“ニュータウン”のように“顔のない、労働力としての人間”を対象とするのではなく、“顔の見える生活者”を対象とした街づくりへと変わって行くことになるだろう。そして、そのプロセスも“造って、与える”という形から、個々のエンドユーザーがどのようなライフスタイルを望み、どのような街を望むのか、(そしてどう運営して行くのか)ということを反映させながら進めるという“双方向的”なプロセスへと変わって行くものと考えられる。
例えばインターネットを使ったユーザー参加型の“街づくり”等はごく当たり前の形となるだろう。このようなプロセスは、開発者側にとってもユーザーをあらかじめ“囲い込める”というメリットを持ち、ユーザー側はより自分たちの価値観、ライフスタイルに即した街を実現できるというメリットを持つ。そしてこのような方向は、行政に対しても、これまでの画一的なあり方から、よりきめの細やかな、柔軟なあり方への転換を要請することになるだろう。ネット上で、ユーザー、ディベロッパー、行政が新しい街のあり方について議論し、それぞれの役割を確認し、権利と義務、ギブ・アンド・テイクを明確にしながら街づくりを協働するという“受注“開発のプロセスが街づくりの普通の姿になるだろうと思われる。
 話をすでに造られたニュータウンに戻すと、これから求められる変化に柔軟に対応することができるか、そのプロセスのなかにこうした“双方向的“なプロセスを含むことができるのか、そのために制度的な諸制約を見直し、柔軟な運営システムを構築してゆけるのか、ということが既存「ニュータウン」が生き残って行けるか否かのポイントになると思われる。そして、「計画」そのものもこれまでの固定的な“最終形”をめざす、硬直した「線形計画」から柔軟な展開性を持ったものへ変わる必要があるはずである。
およそ「計画」というものは全て“リミットデザイン”であるといって良い。さらに計画という「概念」そのものもまたリミットデザインであるということを理解する必要がある。これまでうまくいっていた事が、これからもうまく行くとは限らないということは言うまでもない。

l        「新しい都市計画の可能性」

 先に都市は“人工”の所産であると述べたが、人工的であるということは,そこに“一元化”された“全体的”意志が介在しているということを意味するものではない。全ての都市の物的、社会的形成において、“部分的”にせよなんらかの主体の意志が介在していることは、当然のことである。また、それら意志の介在のあり方によって、都市の形態が変わるということもまた明らかなことである。したがって、どのような意志の介在のあり方が、どのような都市形態を生み出すのかが分かれば、求める都市を生み出すためには、どのような意思決定システムを取るべきであるかが、大まかにせよある程度推測できるものと考えられる。
都市は多様な人々の集合によって形成されている。したがって都市は“等質”な単体ではない。むしろ「細胞内共生」にも比すぺき多様な役割を持った主体の生命活動の共生体として捉えるべきものであるといえる。そこには多様な歴史を背負った、多様な主体の多様な意志があり、都市の様々な“部分”を形成しているととらえることが出来る。したがって、都市が“活性”であるためには、このような多様な意志が生かされ、反映されていなくてはならないはずである。その一方で、都市がアナーキーな状態に陥り、それによるリスクが発生するようなことがあってはならない。
そのためには、“部分”に対して常に“全体”という問題を意識する必要がある。
 我々には、わが国の「高度成長期」における、経済効率優先の開発の中で、より効率を高めるための“総合化“、“全体化“という意思決定の一元化の過程の中で、これまで歴史の中で育んできた多様性が、失われてしまったという、苦い思いかある。
その事が「計画」一般に対する否定的立場を生み出すとしたら、それは不幸なことといわなければならない。我々は、高度成長期にとってきた意志決定システムが、何を産みだし、何を産みだすことが出来ないのかについて、多くの体験をしてきた。
そして、我々が、これまでとは違った都市を求めるとするならば、当然これまでとは異なった「意志決定システム」を、構築しなけれぱならないということを意味する。
「計画」は多様でありうる。
 高度成長期の都市“開発”は、それぞれの“部分”にとって、生活の場としての意味を持っていた土地を、まるで貨幣か債権のような、抽象的経済価値に置き換えることによって、都市を“解体”してしまった。これからの「計画」は“部分”の復権にその重心を置かなければならない。恐らくこれからは、個々では実現することが出来なかった事を、実現するために集まって暮らす、それをペースとした“部分”のアイデンティティーの獲得といったことが、これまで以上に重要視されるようになろう。
そして、“自律性”を持った部分の再構築ということが、不可欠となるだろう。
 アメリカ、ディズニー社のCEO、マイケル・アズナーはこう述べている。
「私たちはだれでも目分たちの生きている時代にとりつかれている。そして一つの時代が過ぎると、次の人たちが新しい時代をつくり、それからまた、次の世代にとって代わられる。」
「すべてに通用する法則なんて、実はないのだ」 (朝日新聞000427)
不幸にして我々は、かつて“とりつかれていた”「土地本位制」とまで言われた、“土地所有を前提”とする計画にとって代わるべきシステムをまだ見出だせないでいる。しかし、それに代わる“土地利用を前提”とする計画は、恐らくまったく異なった可能性を我々にもたらすのではないだろうか。     (4月25日初稿、5月8日改定、未完)

*            *

 以上は、セミナーへの「前置き」として問題整理をしたものと言えましょう。
セミナーは具体的なデザインを中心に進行する予定です。(中村)
ご意見ご感想ありましたら、下記まで
(nnnet@mbox.kyoto-inet.or.jp)


「コミュニティの再建は可能か」(5月15日)

【Iさんからのメール】(5月2日)

>「人工都市と歴史都市」
>「ニュータウンは終わったか?」
>「双方向的な街づくりへ」・・・・・・・

【上野氏からのコメント】(5月11日)

「コミュニティの再建は可能か」

l        「双方向的」な街づくりという考え方の根底にあるものは、生活者がその身近な環境あり方について、目らの手で決定することができる(無論責任も負うが)社会のあり方、街のあり方を求めるということである。

l        すなわち「環境の自治」という考え方である。生活者が自らの手で身近な環境を選び、造るということは、生活者がその依って立つ「場」(空問的領域)を持つということが前提となる。そしてこのことは、“自律性”を持った「単位」という概念を惹起する。このような「単位」は、生活者自らの手でコントロールするという性格上なるべく“小さな”、“手のひらにのる”スケールであることが求められる。

l        社会単位が自律性を持つためには、社会単位形成の“動機”としての共通性、あるいは“目的”としての共通性を必要とする。このような共通性が、これからの“地縁社会”の再構築に不可欠な要素であると考えられるからである。今日の我々の社会が、開かれた“非地縁”社会に急速に向かいつつあるとしても、我々が都市という情況の中で、物的存在として生活している以上、ある一定の空間領域に必然的に“物的”に関わっているわけであり、その意味においてなんらかの“地縁的”関係を否定することは出来ない。すなわち、ある環境を“共有“しているという事による、共通の利害、責任を生み出すからである。このことは、結果的に“地縁”社会の再評価、再定義、さらには再構築へと向かうことになるだろう。

l        共通関心事を持つ集団の形成は、“参加”というプロセスによって初めて成り立つ、故磯村英一は、「“まちづくり”は人間づくりが基礎である」(都市問題読本/ぎょうせい1991)と指摘している。住宅地開発における“もの”から“ひと”ヘの転換である。参加のグループ形成が、それぞれの関心事毎になされるとすれば、その形成過程で共通関心事を媒介とした“事前交流”が可能となり同好者のグループが形成され、共通した価値観、生活像を持つ人々の集落が,形成されることが可能となる。(このことは、年令層や、世帯構成、収入等によるこれまでの入居資格と言うグルーピングより、はるかに多様性に富んだグループ形成が可能であるということを意味することになるだろう。)そして、この“事前交流”を通じて、将来の隣人を知り、選択することが可能となる。磯村も指摘する通り、街づくりの基礎は人であり、人と人との関係が良い街をつくれるか否かのカギを握っている、といっても良い。例えば隣近所の人々との“相性”ということも、快適な住生活を左右するものである。住まいはそれ一つで完結しているものではない。ある環境のなかにあって初めて住まいとしての性能を発揮することができるのである。そして、街は一人では造ることが出来ないものなのである。ある一定の空間領域を“共有“している人々とのコラボレーションが不可欠なのである。“事前交流”によって、将来コラポレーションをしてゆく人々を確認することができるシステムがぜひとも必要であり、日常的な社会形成においてこのことの意味するところは決して小さなものではない。

l        このことは、これまでの入居にあたって(籤引き等により)まったく見ず知らずの人々と、馴染みのない土地に移り住むという、不安とストレスの多いプロセスとはまったく異なる、街づくりのプロセスの可能性を期待させるものである。このようなプロセスの基礎となる“共通の関心事”は、個々の居住者が持つよりは、共通でもったほうが(例えば経済的に)有利であるもの、あるいは一人では達成できないもの等であって、日常的なもの、非日常的なもの、実用的なもの、趣味的なもの、社会活動的なもの、あるいは身の回りの生活環境のあり方そのものに関わるもの等、様々であろう。このような“共通関心事”をキーとした新たな“地縁的”単位の形成ということが、これからの街づくりの大きなテーマとなるものと考えられ、今日の課題としてこれからの地縁的社会のあり方、形成のプロセスを考える必要がある。無論、現代の我々の社会において“地縁社会“は万能ではなく、むしろ我々の生活の中での重要性が減リつつあることも確かである。またそのことによって、近隣間のトラブルやストレスが増大していることも指摘されているところである。しかしいずれにせよ、我々がある場所となんらかの関わりを持っている限りは、その“場”を媒介とした“社会”とは無縁でいられるわけではない,その意味で、今日でもなお日常生活における近隣の“対話”は重要である。このことは、さらにその意味を拡大して、当然これからの開発(再開発)における地元地域社会との対話、連携の重要性をも意味する。すなわち、これまでの地域社会との連続性を持たない「植民地型」の開発からの脱却である.

l        このような、より積極的にある共通する価値観、共通のライフスタイルを持った人々がその共通して持っている目的をより高度に実現するために、力を合わせることができるような街づくりのあり方、“目的的居住”という住まい方を支援する街づくりのプロセスヘの転換を目指すべきではないだろうか。このことは決して“閉じた”地縁社会の再建を意味するものではない。今日我々は開かれた多様な“ネットワーク社会”を形成している。それを前提として、我々が“同時的”、“重層的”に持っている社会の一つとして、このような「地縁社会」のあり方を考えても良いのではないか。

l        今日我々は“ようやく”このようなプロセスを実現できる情報システムを手にすることが出来た。これからの街づくりは、ネット上で共に住む人々を選び、住む環境のあり方を考えながら、幅広い対話、調整の中で進めてゆくという“双方向的”なプロセスによる、“目的的居住”の実現という方向に進むものと期待される。

l        そのようなプロセスの中で、生活者はもとより、ディベロッパー、行政、コンサルタントは、その役割を大きく変えてゆくものと考えられる。


「上野氏からのコメント」(5月22日)

「街の色」

l         近代産業社会以前の街の色は、文字通り「地域の色」であったといって良いだろう。街の色を決定していたものは、少数の例外を除いて、その地域で共通して使われていた素材の色であり、またその地域が共有してきた文化の文脈に基づいた色であった。しかし工業社会への移行と共に、素材は地域を離れて“グローパル”な商品となり、もはや特定の地域の特性を表すものではなくなってしまった。また、情報システムと物流システムの発達は、様々な地域の文化の垣根を取り払いつつある。そして素材の選択は、多くの選択肢の中から各個々人が選ぶという時代になった。
その結果、かつては「地域の色」であった街の色は、ばらぱらな「個の色」となり、また世界中工業製品の行き渡るところはみな同じような形、色の街に変わりつつある。現代はこのような「地域の色」の時代から「時代の色」の時代へと移行した時であるといって良いだろう。

l         このような変化は、街の色ばかりではない。モータースポーツの頂点であるF1レースのマシーンは、かつてぞれぞれのチームが属する国の「ナショナルカラー」に塗られていた。イギリスはグリーンに、フランスはブルーに、イタリアはレッド、ドイツはシルバー(もしくはホワイト)、アメリカはブルー&ホワイトといった「ナショナルカラー」が決められていた。無論同じ国でも、それぞれのチームの色は微妙に異なり、チームのアイデンティティを表していた。例えば、同じ“プリテイッシュ・レーシング・グリーン”でも、ロータスとBRM、ブラパム、クーパーでは異なった緑色であった。こうした例はイギリスばかりではないが、ナショナルカラーという「地域の色」とチームカラーという「個の色」を、うまく両立させた例といえる。

l         しかし、1960年代の終わりに、チーム・ロータスが、スポンサーのタパコ会社の色(ゴールドリーフのパツケージの色)をマシーンに塗り始めてから、事態は一変する。以来フェラーリを唯一の例外として、マシーンの色は「スポンサーの色」になってしまった。すなわち「地域の色」から「企業の色=個の色」ヘの転換である。

l         このような変化は「街の色」にも見ることができる。現代は、「地域の色」からグロ一バルな商品と化した素材と、商業主義が生み出す「個の色」の時代である。その結果、街は様々な「個の色」が氾濫し,風景の混乱に拍車を掛けている。

l         このような風景の混乱に対処すべく、地域の「基調色」等を決ある等の様々な試みがなされているが、そもそも”文化の共有”が崩壊している情況のもとでは、多くを期待することは出来ない。このようなコントロールは多くの場合“上から”の指示という形でなされる事が多いことも、あまり成功していない原因であると考えられる。そもそも、様々な価値観が“個”にばらばらになっている情況の中で、特定の色(あるいは色のグルーブ)に人為的にある意味を付与しようとする事は、きわめて難しいことであるといわねばならない。

l         それならば、「基調色」といった風景の“安定装置”の考え方が無意味であるかといえば、必ずしもそうとは言えないだろう。問題は、それを“人為”に求める事にあるのではないかと考えている.今日多様な価値観を持つ人々の“共有できる物差し”として、人為的な「色」に優劣を付けることはほとんど不可能といって良いだろう。

l         すなわち、人為による色は今日共有できる、風景の安定装置としての「基調色」とはなり得ないのではないかと考えている。裏返せば、「自然の色」のみが今日の街の風景の安定装置となり得るのではないか、ということである。具体的には木々の緑こそ様々な価値観を越えて、地域が共有できる「基調色」となり得るのではないか、と考えている。豊かな“緑”の中に様々な「個の色」が展開する、それがこれからの「時代の色」の様相であり、風土に根ざした植物の色が「地域の色」となる事を期待している。“街にもっと緑を”、これがこれからの街の色を考える基礎になるだろう

 

「上野氏からのコメント」(5月23日)

「街の色」への補足

 かつては地域という空間区分によって、使われる素材等が違っていたために、「街の色」は地域を表していたといえる。
 レかし、現代のように素材が「商品」となって地域を越えて流通、利用されている時代では、「街の色」はもはや地域という空間区分を表すものではなくなってしまった。その代わり(世界中)その時々の主カ「商品」によって、街の風景が決定されて行くという時代になった。
 今や、トタン板やビニールシート、プラスチックの波板等は、世界中至る所で見ることができるし、インターロッキングブロツクもグローバルなものになりつつある。鉄とガラスとコンクリートの建築も至る所で歴史的風景を変えつつある。人々の服装も変わった。至る所で合成繊維の化学染料の色が人々を包んでいる。
 こうした流れは、無論植物材料についても例外ではない。
 「ペニカナメ」は関東でも(我が街でも)次第に勢カを伸ばしつつある。一頃の公共造園は、「オオムラサキ」一色で、そのあとは紅色の「サザンカ」がおおはやりとなった時もあった。現代は、植物材料も時代の「商品」が支配する時代なのだ。(おそらく、その街の生け垣の材料を見ると、いつ頃開発されたのか分かるだろう。それ以前に生け垣がプロツクに変わった事による街の色の変化があった。)
 地域間の色の差が無くなって、時代によって色が変わってくる、そうゆう時代になった。
(上野 泰)

「上野氏からのコメント」(6月6日)

「“双方向的”プロセスとコンサルタントの役割」

●土地の「所有」から「使用」へ

 いま我々が迎えている産業構造、経済構造の変化がもたらした都市に関わる最も大きな変化は地価下落(もしくは正常化)であろう。
 いわゆるバブル期に極限に達した旧システムの崩壊による地価の下落は、都市構造そのものの変化をも生み出しつつある。
 とくに既成市街地部における地価の下落は、いわゆる「都心回帰」を生み、土地バブルにより限界にまで「補給線」が延ぴ切った都市はすでにふれた(人工的都市と歴史的都市−4/28のコメント)とおり“水脹れ”の状態から反転して、今後実需に基づく“スリム化”ヘと向かうものと予想される。
 地価の下落により、キャピタルゲインに期待ができなくなった事は、都市開発の基本的あり方にまで変化をもたらすこととなった。ディベロッパーにとっても、土地そのものの売却益から、開発による付加価値へと収益源を転換せざるを得なくなってきている。土地の価格が、土地そのものの価値としてではなく、土地の利用価値の評価へと代わり、インカムプロセス=収益還元法が一般化することによって、都市開発は大きな転機を迎えることになるものと思われる.
 経済の専門家は「地価の下落は持ち家方式から借家方式への転換をもたらし」「不動産ビジネスを一変させるはずだ」と指摘している。(野ロ 悠紀雄 日本経済新聞2000.5.22)
 これまでの“土地を売る”開発は、土地(あるいは家屋)を資産として持ちたいという欲望によって支えられてきた。この“所有価値”から“使用価値”ヘの転換は、エンドユーザーにとっても、土地の評価を(将来)“いくらで売れるか”から、本当に(自分が)“住まうに足るか”、“住みたい街か”ヘ転換する契機をもたらすことになるものと思われる。すなわち、「土地」から「敷地」への転換であり、抽象的な経済価値よリも、住宅地としての「環境の質」が問われるような時代となる事が予想される。これまでの“土地でありさえすれぱ良い”とする価値観から、“自分が使える土地”、“自分の目的にあった土地”、“住みたい街”を求める、という価値観への転換がなされ、これから本当に“開発企画”の中身が問われる時代になるだろう。

●自己実現のライフスタイル

 前述の野口は、「新しい不動産ビジネスは、不動産の利用を軸とするピジネスである。」と指摘している。(同前) そしてこれからの住宅地開発において、その“利用”とはユーザー個々のライフスタイルに即した“自己実現の場としての住まい”ということに他ならない。これからは、ユーザー個々の“私にとって”ということが重要なキーポイントになるはずである。多様な価値観、ライフスタイルに応え得る開発であるか否かが、その計画の成否を決定する事になるだろう。
 本来暮らしとは“文化的な営み”であり、したがって住まいとは生活者個々の文化の表現体であるはずである。イタリアのアレッシ社のオーナー、アルベルト・アレッシは家について、「家というものは住む人の心理的特徴、行動範囲に応じて、あつらえて設計されなくてはならない」なぜならば「家というものは,自らの私的なるものを凝縮させて実現するもの」だからであると述べている(STYLING NO38 1990)今これまでの“標準的家族”のための“標準的住宅”からの脱却が求められている。それは顔の無い“マス”から“顔の見える”個ヘ、画一的“見込み開発”から多様な要求に応え得る“受注開発”ヘの転換が求められているということに他ならない。これからは多様なユーザーの要求に、如何にきめ細かく答えることができるかがハード、ソフト両面で問われることになるだろう。
 こうした画一から個別へという変化は、すでに様々な形で現実のものとなりつつある。例えばマンションにおけるセミオーダー方式や、中古マンションの“スケルトン”売り等が試みられており、ハウスメーカーもよりユーザーの要求に密着できるフレキシブルなシステムの開発にカを入れ始めている。住宅は本来L+nDKや何uで語ることのできないものである。そして街もまた、教科書的な都市施設をマニュアル通り寄せ集めれば、それで形成されるものではないはずである。

●住まいから都市へ

 住まいは一つの住宅、一つの敷地で完結しているものではない。街の質が、個々の住宅や施設といった“上物”のあり方によって規定される一方、個々の住戸の性能は、隣近所のあり方を含む、それを支えている“街の性能”に依存している。
 特に人々が集まって住む“都市”における住まいの性能が、都市施設や都市基盤整備のあり方、環境のあり方といった外部に多くを依存していることは言うまでもない。したがって、住まいのあり方への要求は当然“街のあり方”の要求へつながるはずのものである。住まいのあり方を考える上で、如何に“まちの質”を担保するかということがますます重要な課題となる。しかし、部分系としての個々の住まいへの要求を満たす事が、そのまま全体としての街のあり方にプラスになるとは限らない事は言うまでもない。この“部分と全体”という問題は重要である。
 これからは、ハード、ソフトの両面における“部分最適”と“全体最適”が両立できるシステムの構築が求められることになるだろう。
 エンドユーザーの意向を反映できる“街づくリ”の要請に応えることは、これまでの開発計画の枠組みでは不可能である。新たなエンドユーザーと開発者(さらに行政)が参加できる“双方向的”な「計画概念」の構築が求められるはずである。そしてこのことは、ハードウェアーとしての部市構造の考え方を大きく変えるものと思われる。このような視点に立つと、おそらくこれからの都市構造は、ユーザー参加による多様な要請に応え得る、自律性を持った“小さな”単位をペースとするものになると考えられる。そして全体としては、これらのフレキシブルな単位を支える“柔軟性”を持った、“ルーズ”な全体(骨格)構造を持ったものになるだろう。このような構造が、これからの双方向的プロセスを実現する“コーポラティブ・タウン”の姿になるものと考えられる。さらに“計画”そのものも、固定的“最終的完成形”をめざしたスタテックな線形計画から、変動する都市により密着できる、非線形的な“動態的計画”へと転換する事が求められるだろう。

●ネット社会とコーポラティブ・タウン

 このような“コーポラティブ・タウン”の可能性は、インターネットの普及により、より現実的なものになりつつある。イン夕ーネットを使かったマーケッティングや商品開発は、もはや当たり前の手法といえる。マーケッティングのインターネット化について、資生堂社長の弦間 明は「顧客が求めるものが『私にとって』という一人称の要求が飛躍的に高まっている」と指摘している。(WEDGE vol.12 NO.6)つまりネット化によって、対面販売に近い関係が得られているということであり、よりユーザーの“私”が出せるシステムを手にすることができたとうことであろう。そして、弦間は「高度情報杜会では、メーカーが生産者ではない。顧客こそが生産者である。」(同前)と明言している。これからは、最終意志決定者としてのユーザーの参加できる開発システムの構築は、全ての開発において不可欠なものとなるだろう。エンドユーザーはもとより、ディベロッパー、ビルダー、行政といった様々な主体が、様々なレベルで、“参加”できる双方向的システムが求められている。インターネットの普及はこのような要請を現実のものとしつつある。今日の情報技術の進化は、個々のユーザーの要請を実現した場合、個々の住まいおよぴ街全体としてどのような問題が生じるか、それぞれのメリット、デメリット、さらにコストvsペネフィットはどうか、といった情報をユーザーにより的確に、リアルに提供することを可能とした。“現実”の街を立ち上げる前に、ネット上で居住者同志はもとより、様々な“実際の関係者”が、“実際のサイト”の上で、様々な日常的環境の問題から災害に至る、ソフト、ハードの問題を出し合い、解決策を見いだして行くというシステムは、合理的なものと思われる。無論こうしたプロセスが万能であるわけではない。最終的にはフェイス・トゥ・フェイスのきめ細かな“アナログ”サービスが不可欠であることは言うまでもない。いずれにせよ、事前に人のつながりを形成しておく事は、“人の顔をした”街づくりを進める上で重要な事柄であると思われる。
 今日、ネット上での商品開発は当たり前になりつつあり、ネット上でパックオーダーをまとめて、メーカーに開発を売り込むといったピジネスもあらわれ始めている。このようなシステムは都市開発、特に住宅地開発において多くの可能性を持つものと考えられる。例えば、ネット上で住まいのスタイルの提案をし、ユーザーの募集をして、ディベロッパーに売り込むといったピジネスの形態も、決してあり得ないことではないだろう。

●コンサルタントの役割

 このような本当に“開発企画”の中身が問われる時代の中でコンサルタントの果たすべき役割も変わって行くものと思われる。これまでのともすれば制度の翻訳者としての、開発者の代弁者としての、要請されるハードシステムの開発者としてのコンサルタントから、ソフト、ハードにわたるエンドユーザーの“夢”の実現の支援者としての,コォーディネーター、本来的な意味におけるコンサルタントに変わって行かなけれぱならない。
 これからのコンサルタントは、ハード、ソフト両面での“くらし”のコンセプトの提供者であり、技術的な問題についてのアドバイザーであり、個々のユーザーの要求を、ディベロッパーや行政につなげて行くコォーディネーターでもある。街づくりに“参加”する様々なレベルの主体の調整役としての役割が求められることになるだろう。
 このような情況の中で、コンサルタントの関わり方も当然変わって行くはずである。
 これからは、多くのスペシャリストによるコラボレーションという形が、より明確になってくるものと考えられる。そして、ケース毎の最適チームの編成という形が当たり前となるだろう。これまでの“会社”という単位が崩壊して、よりコンサルタント個入の能カが問われる時代となるだろう。今日製造業で進みつつある“系列”を離れたネット上での部品の調達のように、ネット上でのチーム編成というあり方も、あり得ないことでは無くなった。もはや“看板”で仕事ができる時代では無くなりつつある。ユーザーが、ネット上でコンサルタントに直接アクセスする時代になって、ユーザーが会社という枠を離れて、直接有能なコンサルタント個人(あるいはチーム)を“買う”時代になるだろう。そして、それぞれの専門分野から、最も適したスタッフをネット上で集めるという時代も程遠くないと思われる。

●コンサルタントに求められるスキル

 このような時代を迎えての、コンサルタントに求められるスキルとはどのようなものであろうか。単に専門知識を有するというだけではなく、生きた暮らしと街に対する洞察カと想像カを持ち、人の暮らしと文化への深い関心に基づく、明確なヴィジョンを構築できる能カが、おそらくこれからのコンサルタントの基本的条件として求められることになるものと思われる。
 これからのコンサルタントには、オールラウンダーとしてではなく、自らライフスタイルを共有する、ユーザーのライフスタイル別のスペシャリストとしてのあり方が求められるかもしれない。そのような意味で、従来の形の専門教育が、これからのコンサルタントに必須であるとはいいきれないだろう。むしろ多くのエンドユーザーに共感を与えるライフスタイルを身につけ、それを発信できるということの方が、より重要になるのかも知れない。
 そしてこのようなスキルが、これまでの知識偏重の専門教育や、開発者優先の実務経験の中で養成され得るものであるか否かは不明であるとしても、いずれにせよ、幅広い知識と経験を持ったコォーディネーターとしてであれ、深い専門的知識と経験を持ったスペシャリストとしてであれ、“最終意志決定者”としてのエンドユーザーの側に立てる、“顔の見える”コンサルタントである事が求められることだけは問違いないものと思われる。
(上野 泰)

「上野氏からのコメント」(6月17日)

「都市環境再生のための戦略」

『日常的な都市空間の貧困』

 この半世紀にわたる、我々の社会の高度経済成長と、"大開発時代"が、我々の生活に本当の豊かさをもたらしたか、その"経済力"に見合った環境を享受できているのか、とあらためて問われると残念ながらその答えは、ほとんど否足的なものといわざるをえない。
 特に、大都市およびその周辺においては、わずかな例外を除いて、気持ち良く(それどころか、多くは安全に)散歩ができる道すらないことに、今更ながら愕然とする。多くの日常的空間の貧困化はきわめて深刻であり、やや大げさに言えば、"生物的"、"文化的"危機に我々は直面しているといって良いだろう。
 そして事態は、(開発がスローダウンしたとしても)もはやこのまま放置しおいては、自律的な回復は望めないのではないか、と危惧されるに至っている。そしてこれからも"開発"を続けてゆくとすれば、"開発モード"の変更は、もはや避けて通れない道のように思われる。こうした情況を克服し、都市(の自然的)環境を再生すること=都市空間のリフォーメーションが、21世紀に残された我々の大きな課題である。

『都市環境再生の必要性』

 都市環境再生のためには、当然積極的手立てが必要であり、そのための重点的投資(公的ならびに私的な)が不可欠であると思われる。
 絶えず変化し続ける都市の中で、都市環境再生のために何に投資を集約すべきか、これからの都市に求められるものは何か。これからかかげるベき都市環境の"目標"は何なのか、我々はどのような環境に住もうとしているのか、これらは今、全ての人々に投げ掛けらている質問である。その答えはおそらく現在我々をとりまいている都市の、日常的情況の絶望的ともいえる姿の中にある。
 住まいおよびそのまわりという、最も日常的空間こそ「ただ居ることそれ自体が気持ち良い、寛げる空間」でなければならないはずである。今日どの位の街で、このような基本的性能が満たされているであろうか。日常的な都市空間こそ「時間消費都市」として整備されなければならない。休日はどこかへ出掛ける、というこれまでの"常識"こそおかしい。わざわざ外に"エスケープ"しなくても良い街こそ、これから我々が目指す街のあり方ではないだろうか。そして最も日常的なところで、毎日を本当にリラックスでき、リフレッシュできる快適さと豊かさこそ、これからの街の環境に求められるものであり、他に住む所が無いから住む街ではなく、本当にそこに住みたいから住む街こそ、これからの目標とすべき街の姿のはずである。
 我々の生活は、これからも利便性を求めていっそうハイテク化する一方で、ますます、有機的なものや、生命体との接触への要求が高まるだろう。ガーデニング・ブーム、ナチュラル・ヒーリング、"隠れ家リゾート"やエコツーリズムといった流れは、このような現代人の欲求の現れであり、そしてそれらが指し示すものが、これからの都市環境に求められるものの、"予兆"といえるのではないだろうか。

『ニュータウンの経験から』

 これからの"街づくり"を考えるとき、こうした現代人の欲求を受けとめ、失われた自然環境のバランスを取り戻すことが大きな課題となるはずであり、今そのための"戦略"は何かが問われているといって良いだろう。そうした都市環境再生の戦略をさぐるため、様々な試みが行なわれたニュータウン開発の経験から、(失敗も含めて)我々は何を学んだのかを、振り返ることもあながち無駄とは言えないだろう。無論、ニュータウン開発によって、得たものと同時に失ったものもあることは言うまでもないし、ニュータウンそのものが"経済優先"の開発の枠内にあり、自ずと限界があることも明らかである。しかし、何も得るものがなかった、ということも誤りであろう。
 今日の情況の中で、ニュータウン開発の経験から、得たもの、失ったもの、学ぶべきもの、反面教師として克服すベきものは何かをふまえて、都市環境再生の戦略を考えてみることは、それなりに意味のあることと思われる。

『都市環境再生の戦略』

 必ずしも全てのニュータウンがそうだとは言えないとしても、ニュータウンが、それまでになかった質の街を生み出し、都市環境の可能性を指し示したことは否めないはずである。そうしたニュータウンを生み出した計画概念およびその実践は、それなりに一定の評価すベきものであったといって良いだろう。それらのニュータウンの経験によって得られた、都市環境再生の為の"戦略"の可能性は、都市骨格構造の整備="外科的治療"と、都市を構成する全ての要素のモード変更="遺伝子治療"という二つに整理できる。これら二つは本来相互補完的なものであり、したがってどちらか一方を選択するというものではない。
 具体的にはいずれも"外挿"された自然的要素によって、人為的に環境のバランスの回復を図ることであるが、両者はその担い手、都市構造上の位置付けにおいて、まったく異なる。しかし両者とも都市内部に"非都市"を内化することであり、都市構造をホモ(等質性)からヘテロ(異質性)ヘと構造転換をするという点では同じである。
(1)都市環境再生のための"外科的"治療
 これは都市構造における"環境骨格"という考え方であり、"外装的骨格−Exoskeleton"の付加による、都市骨格構造の改変および環境の質の補完を目指すものである。すなわちこれは、相対的に脆弱な都市骨格構造を"外挿的"に補強するための「土地利用計画」の改変をともなう操作である。
 この操作は失われたバランスを回復(多くの場合、もはや自力ではバランスを回復できない)するために"公的な措置"として、"外挿的"に付加された(あるいは位置付けられた)自然的要素を公的、あるいはそれに準ずる都市施設として、都市の骨格に据え、都市環境に自然のダイナミズムを取り戻すことを目指している。
 このことは、都市が立地する"Matrix"(母体)としての(自然的)環境基盤を都市内に"露出"させ、それを「骨格」とした都市構造を考えることであり、公的"母体"に依存する個々の(私的)土地利用という構造を明確化することである。都市骨格構造として公的都市環境基盤を整備するということは、都市環境の"スタビライザー=安定装置"を主として"公"が担うということであり、公的役割として都市環境の社会的"ストック"の形成を行なうことである。その結果都市の環境維持の多くは"公"に依存することとなり、公的負担が増大し、"大きな政府"を必要とすることにつながる。したがって、公的整備には自ずと"量的"限界があると考えるべきである。
 "点"もしくは"線"的整備が限界であり、都市全域の面的広がりまで"公"でカバーすることは、大きな財政負担を要し、現実的とは言いがたい。したがって、土地利用の改変をともなう外装的骨格による環境再生の効力は重要ではあるが、都市全体として見れば量的にも部分的なものに止まり、その役割は限定的なものと考えるべきである。
 そこで都市全域の面的な環境再生の為には、公−民の役割分担による"連携"が必要であり、その戦略が求められるのである。
(2)都市環境再生のための都市の"遺伝子治療"
 これはニュータウンの経験によって明らかとなった"外装骨格によるリフォーメーション"の限界を補うものであり、都市を構成する"実体"すなわち都市空間の実体観念に関わる操作である。土地利用はそのままでも、都市を構成する(物的)要素の"しつらえのモード"を変えることによって、限定的にせよ都市空間の質を変えて行くことができる。(逆に言うならば、都市を構成する要素のしつらえのモードを変えなければ骨格構造を整備したとしても、それだけでは都市環境の再生はできない、ということである。)
 "実体としての都市"を構成している様々な「物的要素」やそれらの背景となる「知恵」や「技術」や「概念」を都市の"遺伝子"として考えるならば、それらの遺伝子の中から都市環境における、非持続的因子を振るい分け都市環境に自律性を持たせ、都市環境にプラスとなる持続的因子を増殖させる。それによって、都市を構成する公私にわたる全ての(個々の)土地利用の中に、環境改変因子を内在させ、都市全体の環境を自律的、持続的なものへ改変してゆこうとするものである。すなわち部分からの改変である。
 一例をあげれば、一つの街の全ての道を樹木で覆う、公園を林や原っぱにする、河川を自然護岸にする、擁壁などの工作物も緑化する、舗装面積を必要最小限とする、また全ての建物の屋根や壁を緑化する、全ての建物で雨水貯留や浸透設備を備える。
 あるいは全ての建物にソーラーシステムを備える、といった現在でも可能な改変を行なうことにより、都市構造はそのままでも、限定的にせよ確実に街全体の環境を生態的にも、景観的にも(そして経済的にも、社会的にも)変えて行くことができるはずである。そのためには、"公"の力にだけたよらない都市居住者(および事業者)の役割分担が不可欠である。
 この問題は、多くの"私"のあり方に関わる問題であり、個々人の"住文化"に関わる問題である。また意識の共有化が不可欠であり、決して簡単なことではないことは言うまでもない。そして、おそらく個々人の(および組織の)環境に対する意識の変革を求め、あるいはライフスタイルの転換が求められることになるだろう。都市居住者の最も身近な環境の改変を居住者自らの手でおこなうことは、都市を形成する個々人の責任を問うことであり、環境再生のための役割分担の責任を果たすことを求めることである。しかしこれは、困難ではあるが都市環境再生のためには、避けて通れない道であると思われる。
 そしてその結果、都市環境再生に最も大きな影響カを持つ民地の都市環境に関わる、個人的ストックを形成することができるはずである。さらにこうしたプロセスを通じて"手間暇をかける"ことによる、環境との対話を通じて環境への関心の増大を期待できるだろう。こうした都市居住者が自らの役割をはたすことが、何でもかんでも"公"に依存しない、小さな政府の実現にもつながる。
 都市環境再生における"民"の役割は、何も大げさなものではなくて良い。骨格的な環境ストックの形成は"公"の役割とし、"民"の役割は"フロー"(=ストックを形成しない短いサイクルのもの)の部分に徹しても良い。また皆で支えるという意味で、公的な支援があっても良いだろう。しかし、基本は都市居住者(および事業者)が自らの役割をはたす、ということでなければならない。皆が参加することによって都市環境のフローのモードは確実に変わる。たとえば"花いっぱい"運動のような細やかなものであっても良い。それで確実に街の環境(および人の意識)は変わって行くはずである。
 このようなプロセスを実現するためには、全ての関係者が参加できる"双方向的プロセス"が不可欠である。そしてそれが如何にささやかな、部分的なものにせよ(たとえ思い付きにせよ)、それぞれの生活実感に基づいた「都市空間目標」を持ち、それを持ち寄って語り合うということが、実践的に大切なことであると思われる。そしてだれにでも実践できる「都市環境再生」の効果的な手法を開発し、発信して広めて行くことや、民−民および公−民連携の橋渡しをして行くことが、これからのコンサルタントとしての役割のーつであるといえるだろう。
(上野 泰)

(以上で上野氏のセミナーのプレ・セッションを終了いたします。長い間お付き合いありがとうございました。
 8月25日のセミナーもどうぞよろしく。(セミナー委員 中村)


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