サンフランシスコ:まちの話題第7号 2000年6月近隣商店街の行く末 ― フィルモア通り |
商店街は生きています。 偶然の積み重なりから、 あるいは後背地の需要を背景に必然的に生まれ、 ある時は繁盛し、 ある時は苦戦を強いられながら、 意外と根強く生き残ることもあります。 そうかと思うと、 一軒の商店がある日こつ然と消え去り、 しばらくするとまた、 新しいテーマをかかげて希望に満ちた商店が生まれ、 周辺街区に影響を与えながらその営みを続けます。
サンフランシスコにも、 各地区にそれぞれの特徴を持った商店街がありますが、 今回はわが家の町内でもあるフィルモア通りを紹介したいと思います(写真1)。 フィルモア通りは、 最近旅行ガイドにも紹介されるようになったようで、 日本やヨーロッパからの観光客が地図を片手に歩く姿も時おり見かけます。 しかし、 決して観光地ではなく、 日常サービスを提供する近隣商店街にすぎません。 周辺地区と一体になった地元商店街としての役割を担い続けているところが、 大変便利で好ましい一方、 今後の行く末に不安を抱かざるを得ない諸問題も含んでいます。
写真1:フィルモア通りの典型的な店並み (上階は一般のアパートであることが多い) |
表1フィルモア通りの商店構成(筆者作成) |
従来、 ゲイリー大通り以北の10ブロックがフィルモア通りの既成商店街を構成し、 日本町に近い一角ではかつて日系人の店舗も数多く見られたそうです。 ところが、 第二次大戦中の強制収用によって彼らは一人残らず立ち退きの憂き目に会い、 その後主にアフリカ系とアジア系の人々が入居して、 現在もそれらの商店が何件か営業を続けています。 戦後、 収用所から戻ってきた一部の日系人も営業を再開しましたが、 その数は年々少なくなり、 現在ではわずか数件を残すだけとなりました。 中でも、 本格的なサバ寿司を作ってくれる和歌山県出身のシニアの女性とその娘の親子二代が経営するテイクアウトの店は、 私のお気に入りです。
一方、 ゲイリー大通り界隈とその南側6ブロックには、 州外から移住してきたアフリカ系の住民を中心に古くからコミュニティが形成され、 1950-60年代から70年代初頭にかけて、 ジャズやブルースのクラブも繁盛して、 ちょっとした活気を呈していました。 サンフランシスコ出身の世界的スター、 サンタナや、 かつてジャズの巨人といわれたマイルス・デイビスの出演していた「フィルモア・ウエスト」(フィルモア通りより西側)は、 すでに伝説となってしまいましたが、 ゲーリー大通りの北の角には今も本格的なブルースを生で聞かせる小さなバーと、 南の角には日本の人気グループ「ドリカム」(Dreams Come True)や矢沢栄吉も最近公演を行った「ザ・フィルモア」が営業しています。
この南フィルモア街区はその後、 公共住宅(パブリック・ハウジング)を集中させた都市計画上の失敗のせいもあって、 次第に衰退地区としてのサイクルを辿ってゆきます。 ところが、 86年から再開発局の主導で始められた大規模な民間複合開発フィルモア・センターを契機に、 再活性化の機運が大いに高まってきました。 フィルモア・センターの第1期プロジェクトは、 約1,100戸の高層・低層の賃貸住宅群と、 約9500m2の商業、 リクレーション、 公共施設を含み、 90年代の初頭に竣工しました。 その後第2期、 3期も進められ、 同地区は大きな変貌を遂げたのです。
さらに、 このフィルモア・センター第1期の建設中には、 アフリカ系住民を中心としたかつてのジャズとブルースの伝統を生かした「フィルモア・ジャズ・ディストリクト」を開発すべく、 都市計画局を中心に「フィルモア・ルネッサンス」プロジェクトが立ち上げられました。 以来約10年、 幾多の紆余曲折を経て、 現在このプロジェクトは竣工前の最後の詰めの段階に入っています。 これについては、 後に詳述します。
この商店街の特徴はまず、 表1からも分るように、 店舗の種類が見事に分散している、 つまり多様性に富んでいることです。 店舗の数は、 フィルモア通りの西側と東側にそれぞれ約100店ずつ、 合計200店ありますが、 その半数を小売店、 その残りを各種飲食店とサービス業(一部公共施設)で折半しています。
もうひとつの特徴は、 フィルモア通り独特のスリフト・ショップ(thrift shop)と呼ばれる中古屋です(計7店舗)。 これらの店は主に古着、 アクセサリー、 室内装飾品などを扱っていて、 アンティークまたは比較的新しい不要品を消費者から買いとって再販しています。 商品は必ずしも使い古しではなく、 結構ファッショナブルなものも多いので、 若い人たちに人気のある店もあります。
これらのスリフト・ショップは、 すべてその売上げの一部を各種のNPOや青少年団体に寄付しています。 たとえばこれらの店に古着を持参して寄付すると、 想定買取り価格、 つまり所得税から控除できる額を示したレシートをくれます。 使い捨て消費文化が主流の当地で、 このような資源回収型の店舗が繁盛していることに、 地元住民は誇りにしてよいと思います。
その他の傾向として、 理髪、 美容院、 ネールサロンを含めた「身だしなみサービス業」の占める率がきわめて高いのにも気付きます(計18店舗)。 この理由は定かではありませんが、 ヘアスタイルや身だしなみに時間とお金をかける文化的な背景もありそうです。 ネールサロンについても、 手足の爪くらい自分で手入れをすれば、 と思いますが、 これが結構厳しい訓練と資格試験を要するプロのサービスを提供する店なのです。
日用雑貨・酒店は、 いわゆるグローサリー・ショップと呼ばれるもので、 ほとんどの商品は大型スーパー(例:セーフウェイ)や会員制ホールセール(例:コスコ)で買えるものです。 これらの雑貨店の多くが根強く生き残っているのは、 やはり近隣住民にとって近くて便利ということと、 その小口需要に対応しやすいからでしょう(大型店では大量購入が一般的)。 また当地では、 商店街に限らず、 住宅街の中でも伝統的に街区の角にグローサリー・ショップがあることが多いので、 フィルモア通りの場合も例外ではないわけです。
ところで、 フィルモア通りをさらに北のマリーナ地区に向かって急坂を下りてゆくと、 おしゃれな店並みで知られる商店街ユニオン通りに出ます。 先日この通りを数年ぶりで訪れて大変驚きました。 不動産価格の動向とも関連があると思いますが、 かつての「実質的」な店舗がめっきり減り、 何を売っているか分らない観光客相手のようなギフト・ショップが増えていたのです。 実はユニオン通りは、 昼間と全く異なる「夜の顔」を持っているのですが、 それにしてもこの兆候は、 地元住人の支持を失う第一歩のような気がしてなりません。 近隣市場と観光市場の混合は大変難しい、 という小売アナリストの分析もあります。 幸いフィルモア通りには、 まだそのような傾向はほとんど見られません。
b)自営商店の店主や従業員は、 概して商品に対する関わりが深く、 プロフェッショナルなサービスを提供できることが多いのに対し、 大型店舗の場合は、 過渡的な人材も雇用しがちで、 きめ細かなサービスを提供しにくい状況にあります。 ただし、 大型店舗の中には、 従業員の特訓システムを導入して、 営業成績を伸ばす努力を払っている企業もあるようです。
c)自営商店も大型店舗も、 市に納める地方税が限られていることから、 税収のベースにはそれ程影響を与えません。 ところが地元への利益還元という面では、 かなりの違いがあるようです。 すなわち、 チェーン店のあげた利益は、 一部のフランチャイズ店を除くと、 地元の経済に環流することが少ないのに対して、 自営商店の利益はその地区で消費される可能性が高いからです。
d)自営商店は、 地元住人との長年の付き合いと経験によって、 そのニーズに対応した商品とサービスを提供してきました。 一方、 大型店舗はたとえ市場調査に基いて開店したとしても、 本来そこまできめの細かいサービスを提供する計画がなく、 いわばサプライ・サイドの経済を推進します。 その結果「売れ筋」の商品しか置かない現象も現れ、 消費者の個別のニーズが軽視されるのです。 消費者の側は、 それなら郊外のより大型の「ビッグ・ボックス」や「アウトレット」に行った方がよいということになります。 これにより、 地元住民の「消費ばなれ」が起り、 商店街の衰退をもたらすきっかけとなります。
ここで見極めるべきことは、 このような業種規制は、 たとえば小・中学校から半径何フィート以内ではアダルト・ショップを許可しない、 といった類の規制とは根本的に異質なものだということです。 公序良俗に反しない限り、 いかなる業種もこれを公共政策で規制すれば、 危険な全体主義に陥ってしまいます。 自由な市場競争にまかせて、 その結果、 繁盛するも衰退するも営業努力次第とするしか方法はないのではないでしょうか。
小規模な近隣商店のほとんどは、 個人営業(Sole Proprietorship)、 パートナーシップ、 またはS-コーポレーションです。 S-コーポレーションとは、 株主が35名以下の小企業で、 一般のC-コーポレーションと違って法人税が適用されず、 株主が個人レベルで納税するものです。 私も零細企業を経営しているので、 実感として言えるのですが、 連邦、 州政府の零細企業に対する税制優遇策を含めた小企業奨励策がなさ過ぎるのが現状です。 小企業にとって、 まず税金の種類が多すぎる上、 その負担が重すぎます。 またS-コーポレーションでは、 損失を翌年に繰り越すこともできず、 また事業に失敗しても前年以前に払った税金は戻ってきません。
このような厳しい状況の中で、 進出する大資本と競争しながら営業を続けてゆくのは近隣商店にとって並大抵ではないことが容易に想像できます。 そこで、 市の公共政策として近隣街区の質的保存を推進するには、 店舗にとって地方税の負担が限られていることを考慮すると、 税制優遇策以外の手段を講じる必要がありそうです。 一方、 サンフランシスコでは、 そのためにゾーニングを改訂したり、 条例を作って近隣商店街と相容れない用途を規制する必要性が他の都市に比べて少ないのではないか、 という見方もあります。 都市計画委員会を中心とする「任意裁量」型都市計画のために、 地元住民が「近隣クラブ」のようなまとまりをもって対処できることから、 今後は特に、 近隣の反対を押しきって異質な新開発が認可されることは極めて難しいといえましょう。
シネプレックスの運営者は、 現在再開発局がRFP(提案募集)を発行して募集中です。 市場調査によると、 他のシネプレックスと競合するためには、 合計3,000席が必要とされています。 ジャズ・クラブおよびカフェは、 プロジェクトの採算ベースに直接影響を与えるかなめとして、 ニューヨークのブルーノートとの交渉が既にまとまっています。 さらに、 ソニー・エンターテインメント・チェーン傘下のマジック・ジョンソンの企業グループも営業参加に関心を寄せています。
ブルーノートは、 ニューヨークを本拠にシカゴ、 東京、 福岡などでジャズ・クラブを営業している有名ジャズ・クラブで、 来る8月にはラスベガスにもオープンします。 2001年の夏にオープン予定のサンフランシスコ店は、 国内では4店目となります。 私はジャズ・ファンといってもピアノ専門ですが、 サンフランシスコ周辺にはブルースの本場オークランドがあり、 また同地のジャック・ロンドン・スクエアには、 チック・コリアやマッコイ・タイナー、 それに最近人気のゴンザロ・ルバカーバなどが日常的に聞ける日本レストラン、 ヨシーズもあって、 ニューヨーク、 シカゴに次ぐ本場ではないでしょうか。 市内には、 以前キンボール・ウェストというクラブもありましたが、 数年前にレストランに変わってしまい、 本格的なジャズ・クラブの出現がいま大いに期待されています。
フィルモア・ジャズ・ディストリクトは、 「ディストリクト」という徴税権限を持った行政区を指定することにより、 地区内の整備や管理を行ってゆく特別地区のひとつです。 かつてニューヨークの42番街とブロードウェイの界隈で、 「公共政策としてのアーバン・デザイン」の著者でもあるジョナサン・バーネットのグループが「シアター・ディストリクト」を創設して成功を収めた例をご存知の方も多いかと思いますが、 これに似たコンセプトといえましょう。
開発主体であるディベロッパーは、 チャールズ・コリンズ氏の率いる民間企業WDGベンチャーズです。 再開発局をはじめ、 市長室コミュニティ開発部および市の駐車・交通取締局(DPT)が、 大型の資金援助を約束しています。 さらに再開発局は、 歩道沿いの環境整備に550万ドルの予算を割当てて準備を進めています。
このプロジェクトの住民説明会は、 再開発局が主催し、 計画段階の移行や設計変更のある機会に、 数ヶ月ごとにフィルモア通りに面した会議場で行われます。 私も、 何度か出席してディベロッパーのコリンズ氏の説明や住民の声を聞きました。 地元住民の質問や意見の中には、 たとえば、 シネプレックスの運営者が決まる前に、 なぜ550万ドルもの公共資金を歩道整備につぎ込むのかとか、 地元住民がプロジェクトから真に恩恵を受けるには、 ジャズや映画に頼るだけでは足りないのではないかなど、 なるほどと思わせる声も聞かれます。
一方、 「地元住民は、 各個人が意見を述べるだけではなく、 組織をつくって考えをまとめ、 しかもスケジュールに沿って一貫性のある方法を講じてゆかない限り、 真の意味で計画には参加できない」という趣旨のコリンズ氏の発言にも一理あります。 そして、 「このプロジェクトによって、 コミュニティの問題をすべて解決できるわけではありません。 私はただひとつのオプションを提供しているにすぎないのです」という彼の言葉は、 長年リスクをとり続け、 ようやく建設にこぎつけたディベロッパーの本心として、 印象に残っています。
ハリソン氏は、 日本食とスリフト(前述)、 それにアンティークの店に惹かれて、 フィルモア通りで営業を始めました。 住居は市内の他の地区にあり、 毎日車で通勤しています。 80年に移ってきた頃のフィルモア通りは、 今のように高級住宅街パシフィック・ハイツを後ろにひかえた家賃の高い商店街ではなく、 「みすぼらしい」(seedy)というほどではなくても、 やや「場末的な」(edgy)環境だったそうです。 それでも歴史的には一度も「さびれた」(rundown)ことはなく、 常に賑わいのある商店街であり続けてきました。
この界隈の商業スペースの家賃は、 地上レベルで平方フィートあたり年間約40-50ドル、 日本円に換算して平米あたり約4万5,000円から5万6,000円の範囲のようです(1ドル=105円で計算)。 2階のスペースは、 これよりかなり下がります。 商店主どうしや、 家主との間で口コミの情報が伝わるのが速く、 空きスペースはめったに見つかりません。
町内会に相当するマーチャンツ・アソーシエイションは自由参加制で、 年会費の徴収も強制ではありません。 毎年、 7月4日の独立記念日のころに開催される人気のフィルモア・ストリート・フェアの屋台のレンタル料などの収入により、 歩道の清掃や街灯のメンテナンスをはじめとする管理費をまかなっています。 このアソーシエイションには、 政治的影響力のあるメンバーも多く、 商店街の問題をめぐるメンバーどうしの対立も時には深刻なようです。
歴史的な町並みの保存に関しては、 19世紀後半のビクトリアンや、 以後のヨーロッパのデザイナーによる改築など、 価値のある資産がいくつか見られるにもかかわらず、 今だに歴史保存地区の指定もなく、 建築物の運命が市場経済に委ねられているのが現状です。 フィルモア通りの店構えの建築的な特徴は、 新しい家主や店主によってある程度は保たれてきましたが、 一方では歴史的な材料や工法に対する無知や無関心から、 たとえば美しいテラコッタ・タイルの上からペンキを塗るなど、 せっかくの歴史遺産を台無しにしてしまう例も多々あるとのことです。
また本来フィルモア通りの持っていた多様で風変わりな様式や材料を好まない人々によって、 清潔で均一な現代空間に変えられてしまうという問題もあります。 こうして、 ユニークな近隣商店街の特徴が次第に失われてゆく状況に、 ハリソン氏は危惧を抱くと共に、 新築の場合、 たとえば上階でベイウィンドウ(張出し窓)を一律に要求するプランニング・コードのあり方にも問題があると訴え、 改築の歴史的な経緯を無視した擬似的な歴史保存に警鐘を鳴らしています。
このような町並みの質の低下に対して、 ハリソン氏は、 ディベロッパーの眼識と建築家の才能に頼るのが最善の方法ではないかと考えています。 さらに、 店舗の増改築に際して、 市当局と家主だけが交渉するのではなく、 その日常的な利用者であるテナントがまず参加できるシステムが必要ではないかという意見も聞くことができました。
フィルモア商店街が長期的に今後どのように変わってゆくかは、 誰にも予測できませんが、 それを真先に察知して、 変質や衰退に対して警告を発することのできる立場にあるのは、 自営店主とテナントと、 それに近隣住民であることは確かなようです。
では、 次回の話題をお楽しみに。
商店構成の特徴
先にも述べたように、 フィルモア通りは地元住民のための近隣商店街です。 私は散歩も兼ねてほとんど毎日でかけます。 銀行の用事やハードウェアなど日用品の買い物、 また時にはウィンドウ・ショッピングもしますが、 最近フランス人の経営する焼き立てのバゲット(フランスパンの一種)の買える店もパイン通りを入った所にでき、 多少野暮ったい町並みにもかかわらず、 本当に便利なのです。 また、 挨拶だけをかわす程度の顔見知りに出会っただけでも、 コミュニティの実感を持つことができます。
写真2:フィルモア通りで休日の朝食を楽しむ近隣住民
飲食店は、 フルサービスのレストラン、 ファストフード、 これより少し実質的なピザハウスなど、 「クイックフード」をサーブする店、 それにバー/クラブ、 喫茶店などを含めて合計約50店舗がサンフランシスコの外食文化の恩恵を享受しています(写真2)。 したがって、 飲食店の全店舗数に占める割合である「飲食率」は、 約25%ということになります。 この数字は、 飲食率が50%近いフェスティバル・マーケットその他の特殊なテーマ・モールを除くと、 当地の基準からすればやや高めです。 もちろん東京や大阪の特定の繁華街における高い飲食率には及びません。
近隣街区の質的保存
サンフランシスコ都市計画局は、 ミッション・ベイに近い中央ウォーターフロントなど、 現在新たに形成されつつある3つの複合街区に焦点を当てて、 市民を巻き込んだ重点的プランニングを2年計画で推進しています。 フィルモア商店街については、 まだこのような近隣街区全体にわたる総合的な市民参加のワークショップは計画されていませんが、 いずれ近い将来必要になるでしょうし、 またその機会が訪れることを期待しています。 店舗を経営する人々や近隣の利用者の多くは、 近隣街区の質的保存ということに高い関心を払っているのは当然のことですが、 フィルモア商店街の行く末についても、 不安定な要素がいろいろと懸念されます。 以下にその要素の主なものを挙げてみます。1)ジェントリフィケーション
ジェントリフィケーションは、 住宅用途に限らず商業用途でも頻繁に見られます。 零細で、 運営コストの安い店舗が、 より大きな資本による開発のため、 あるいはリースの更新時の家賃の大幅値上げに耐え切れず、 地区外に駆逐されるか、 廃業に追い込まれます。 商業スペースの家賃には市のレント・コントロールが適用されないので、 リースの期限が切れると家主はいくらでも家賃を値上げできるのです。 このようにして消えて行った店舗はすでに何件もあります。 たとえば、 私の愛用していた便利なドーナツ屋が数年前に消えて、 「クイックフード」店になってしまいました。 また、 複数の店舗を統合して一箇所にまとめてしまう店舗もあります。 いずれも家賃の大幅値上げによるものです。2)ユニークな店舗の消滅
上記のジェントリフィケーションとは別に、 店主自ら「こんな儲からない商売はやってられない」という理由で廃業することもあれば、 引退のため店じまいすることもあります。 このような店舗の中には、 他に見られないようなユニークなものがしばしば見られます。 たとえば、 クラシックな照明器具店やサウナ兼マッサージ・サロン(他の地区で見られるいかがわしいビジネスではありません)も消えてしまいました。 現在では、 古時計屋、 小鳥屋、 靴の修理店、 拳法道場などのユニークなビジネスがいくつか残っています。 もしこれらが将来なくなると、 それに取って代わるのはたいがいの場合、 ファストフード、 カフェ、 ギフト・ショップといった、 どこでも同じような店です。 これによって、 商店街のユニークさと、 多様性が同時に失われてしまいます。3)無神経な大型再開発
表1によると、 ブロック9と12の東側は全く何もないことがわかります。 ブロック12は、 後述の「フィルモア・ルネッサンス」プロジェクトの用地として整地済みですが、 ブロック9の東側については、 フィルモア通り随一の「敵対的」町並みと言わざるを得ません。 ブロック全長にわたって日本町のカブキ・8・シアター(8スクリーンの複合映画館)の駐車場の壁で完全に町並みが死んでいるのです。 このような「死んだブロック」は、 往々にして既存のアーバン・ファブリック(本稿2月号で説明)に対して無神経な大型再開発によってもたらされ、 その界隈だけではなくそれに続く商店街にも負の影響を与えます。4)大型チェーン店の進出
現在では幸いまだ限られていますが、 薬局/雑貨、 服飾、 喫茶などの分野で大手のチェーン店がフィルモア商店街にも進出してきています。 これによって、 同業の零細ビジネスが衰退の危険にさらされるだけではなく、 従業員や顧客の入替わりが近隣街区の質的変化をもたらすことになります。 フィルモア商店街の店舗は、 ほとんどが自営商店か従業員が数人以下の零細ビジネスなので、 大型店の進出が本格化すれば、 これらの多くは消え去ってしまうでしょう。 ここで近隣街区の質的保存に関連して、 零細ビジネス、 特に自営商店の保存がなぜ重要なのか、 その理由を考えてみましょう。
a)自営商店の店主や従業員は、 多くの場合その店舗の上階や同じ街区、 または市内の近隣地区に住んでいます。 ところが、 大型店舗の場合は、 より広範囲な通勤圏から通う従業員も増え、 職住近接度が全体的に低下して、 新たな交通(トリップ)を発生させ、 都市の交通事情や環境条件に悪影響を与え兼ねません。
では近隣街区の質的保存はどのように実現できるか、 ということになると、 なかなか複雑で難しい問題を抱えています。 たとえば、 以前フィルモア商店街に有名チェーン店などの喫茶店が増え過ぎて、 一般市民や市の当局者の間で喫茶店を規制しようという動きが起ったことがあります。 店舗規模からサービス形態まで、 細かい規制案が提案されましたが、 結局この規制は実現しませんでした。
フィルモア・ジャズ・ディストリクト
先に紹介したフィルモア・ルネッサンス・プロジェクトは、 一世代以上前にフィルモア通りで花開いたジャズとブルースの伝統を復活させ、 ゲイリー大通り以南の未開発地区の一部を「フィルモア・ジャズ・ディストリクト」として再活性化しようという一大計画です。 90年代初頭の計画開始時点から主に都市計画局が調整してきましたが、 98年に再開発局が主導するようになって本格化しました。 したがって当計画は、 「ウエスタン・アディション地区A-2エリア」という再開発プロジェクトです。
写真3:フィルモア・ジャズ・ディストリクトを示唆するバナー
敷地は、 フィルモア、 エリス、 エディの各通りに囲まれた約4,900m2の更地で、 3,500万ドルをかけて8ないし12スクリーンのシネプレックス(複合映画館)と500席のジャズ・サパークラブおよびジャスをテーマにしたカフェが460台の地下駐車場付きで計画されています。 地元のジャズメンをはじめ、 一流ミュージシャンの演奏が近々フィルモア通りで聞かれそうです(写真3)。
地元のビジネスに聞く
フィルモア通りで過去20年来ビジネスを営んできたインテリア・デザイナーのリン・ハリソン氏をハンバーガー店の2階にあるビクトリアン・スタイルのオフィスに訪ね、 フィルモア通りに関する様々な問題に対するデザイナーとしての意見を聞いてみました。 彼の経営するハリソン・アーキテクツは、 従業員2名の零細企業で、 フィルモア通りにあるレストランやギフトショップをはじめ、 市内外の店舗の改築、 内装の設計を行ってきました。 上階で営業する数少ないビジネスのひとつです。
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