サンフランシスコ:まちの話題第8号 2000年9月水辺の新球場 ― パシフィック・ベル・パーク |
今回は、 いま地元住民の間でも当地を訪れる観光客の間でも最もホットな話題のひとつ、 サンフランシスコ・ジャイアンツの新球場パシフィック・ベル・パーク (通称パクベル・パーク) についてです。 今年の春オープンしたその新名所が、 どのような経緯と仕組みで計画、 実現されたかを紹介し、 そのプロジェクトと近隣の町並みとの関わり、 および周辺地区とその発展に及ぼす影響などを考えてみたいと思います。
ジャイアンツとパクベル・パークに関する詳細な情報は、 次のホームページの最上段にあるメニューからアクセスできます。
http://www.sfgiants.com/home/sfg_homepage.html
ジャイアンツを代表する選手としては、 ホール・オブ・フェイマー (野球殿堂入り選手) でホームラン数歴代3位のウィリー・メイズをはじめ、 ウィル・クラーク (現テキサス・レンジャーズ)、 マット・ウィリアムズ (現アリゾナ・ダイヤモンドバックス)、 ロビー・トンプソン(現ジャイアンツ・コーチ)、 そして何よりも今ホームラン・ダービーを争っているスラッガー、 バリー・ボンズが挙げられます。 また日本人初の大リーガー村上雅則投手が60年代初頭に5勝をあげて健闘したチームでもあります。
ジャイアンツの起源は1883年のニューヨーク・ゴッサムズに遡ります(ゴッサム・シティはニューヨークの別名)。 後にニューヨーク・ジャイアンツと改名したこのチームは、 ワールド・シリーズで5回優勝を果します。 ところが、 54年の優勝を最後に次第に人気が落ち、 ウィリー・メイズをはじめとする強力な打撃陣にもかかわらず優れた投手に恵まれず、 1958年、 ニューヨーク・ヤンキースの人気に追い出されるようにサンフランシスコに移ってきます。
その頃当地では、 サンフランシスコ・シールズ (アザラシの意) がマイナー・リーグのひとつパシフィック・コースト・リーグで何度も優勝し、 抜群の人気を博していました。 セントルイス以西にはメジャー・リーグのチームがなかった時代です。 後にヤンキーズに移籍したジョー・ディマジオ (サンフランシスコ出身ですが、 ジャイアンツには在籍したことはありません) も主力選手として活躍していました。 好敵手オークランド・オークスとのゲームでは、 パクベル・パークに近いポトレーロ地区にあった23,000人収容のシールズ・スタジアムが満員になったそうです。
ニューヨークから移った当初、 ジャイアンツはこのシールズ・スタジアムでゲームを行っていましたが、 その後60年から市の最南端にある 3-COM パーク (旧称キャンドルスティック・パーク) に99年まで本拠地を構え、 フットボールのフォーティナイナーズと別シーズンで共用していました。 収用規模は、 フットボール用で6万3,000、 野球の場合は5万8,000ほどです (ちなみに全米最大の球場は、 フィラデルフィア・フィリーズのベテランズ・スタジアムで6万2,400人収用)。 3-COM パークは、 サンフランシスコ湾に突き出た岬という地形のせいもあって冷たい強風が吹きすさぶことも多く、 また施設が老朽化して、 ジャイアンツは次第に経営難に陥ってゆきました。
そこで92年、 球団は売りに出され、 フロリダ西海岸の都市セント・ピータースバーグやタンパへの移転の話が進められました。 その時、 セーフェイ (スーパーマーケット) の会長であったピーター・マクガワン氏を中心とする投資家グループが、 ジャイアンツを地元に引きとめる「救世主」として登場したのです。 93年、 マクガワン氏のグループはジャイアンツを買収し、 チームがサンフランシスコに留まる条件として、 新球場の建設を約束します。 そして95年、 サード・ストリートとキング・ストリートに囲まれサンフランシスコ湾に面した土地を新球場の候補地に選び、 地主である港湾局と交渉を始めました。 この場所は、 ようやく着工にこぎつけた一大計画ミッション・ベイとチャイナ・ベイスンという運河をはさんで向い合いあった一等地です。
さらに球団は、 開発資金として民間の投資家から資金を募集する多様なルートを検討すると共に、 プロポジションBを準備して、 市民の支持を得るために大々的なキャンペーンを開始しました。 プロポジションB (96年) は、 港湾局の所有する工業・港湾用地を特別用途地域に指定して、 民間の資金で新球場を建設することを住民投票にかけるものです。 翌96年にこのプロポジションBは67%という高い支持率で通過しました。
そこで市当局は、 早速環境影響調査 (EIR) を開始すると共に、 港湾局と球団との借地契約を取りまとめます。 いっぽう球団は、 カジマ都市開発をプロジェクト・ディベロッパーに選任して本格的な開発計画に着手し、 資金計画も着々と進めてゆきます (資金については、 次節で詳述)。 新球場の設計はその頃すでに完了していました。 設計を担当したHOKスポートは、 本格的な身障者用の席を整備したキャムデン・ヤード (ボルチモア・オリオールズ) や高い標高のためホームランの出やすいことで知られるクアーズ・フィールド (コロラド・ロッキーズ) なども担当した球場のエキスパートです。
全体のデザインは、 古きよき時代のクラシックな「ボールパーク」のイメージが追求されています。 レンガ・タイルのプレキャストでまとめられた落ち着いた外装、 ゲート周辺のクラシックなキャノピーやサイン、 伝統あるシカゴのリグリー・フィールドを連想させるバックネット周りに、 その効果がよく出ています。 面白いのは、 ホームプレートから外野観客席までの距離が、 位置によってまちまちで、 センター・ライト間の最も深いところは128mもあり、 最も短いライトのファウル・ライン92mとは36mもの距離の差があります。 ただし、 フェンスの高さがそれぞれ異なるのでホームランの入りやすさは一概に断定できません。
ライト・ポールのすぐ左側には、 「オールド・ネイビー・スプラッシュ・ランディング」という古いフェリー乗り場にちなんだサイン・ボードがあり、 その範囲にホームランを打つと球が湾に直接落ちて「スプラッシュ」するため、 今まで水に落ちたホームランの数が「スプラッシュ・ヒット5」というようにリアルタイムで表示されています。 水上には、 ホームランの球をねらったボートが、 しばしば近寄ってきます。
センターのスコアボードは、 サンフランシスコ湾への眺望を重視して、 最小限の高さに抑えられ、 そのライト側は平土間のような観客席のあるペデストリアン・デッキのみ、 レフト側のスタンドもデッキ・レベル以下にだけ観客席を設けているので、 アッパー・デッキのほとんどの席からは
大量の観客が移動するスタンド後方のコンコースからは、 最大限の見え掛りが確保されています。 つまり、 移動中にもゲームの様子がかなり分るようになっているのが特長です。 さらに、 施設内には入場者が無料で利用できるセガのコンピュータ・ゲームやバックスクリーン・ビデオで自分の姿を見ながら野球のできるミニ・パクベル・パークなど、 子供の遊び場も用意されており、 ゲームのない日も無料公開しているので、 野球ファンでない一般の人々も年間を通じて楽しめます。 敢えて苦情を言えば、 段床の床幅、 つまり前後の座席の背と背の間の距離が80cm未満とかなりきついのが気になりました。
野球ファンや一般のビジターだけでなく、 球団や選手にとっても新球場は最新の設備を誇るユニークな施設です。 最新のコンピュータ・システムとコミュニケーション機器を備えたジャイアンツの管理事務所や1日に数十万枚ものチケットが販売可能なチケット・オフィスをはじめ、 プールやホット・タブを備えた広大なトレーニング・ルーム、 治療設備を完備したクリニックなどが、 現在のチームの好成績にも直接反映されており、 選手たちからも絶賛されているようです。 今後、 他の球団から一流選手を集めるための大きな原動力にもなることでしょう。
観客がフィールドやステージに注目するわけですから、 「内向的」な空間になるのは当然です。 しかし、 施設全体を町並みのひとつの要素と捉えてみる時、 往々にしてそのような施設は周囲の環境に無神経な巨大なかたまりとなり兼ねません。 古来のコロシアムや野外劇場をはじめ現代美術館にいたるまで、 多くの例がこのパターンから脱していないと言えます。
その旧来の型を破ろうとしてさまざまな可能性を追求し、 ある程度成功しているのがこのパクベル・パークだと言えると思います。 内向的な空間をできるだけ双方向性のある空間にしようとした努力が、 現場を訪ねるとよくわかります。 視線計画によるビジュアルな相互関係もひとつの重要な要素ですが、 それ以外にも野球場と街路および水辺の空間が次のように相互的に関わっているのです。
ところが、 南側に隣接する大規模なミッション・ベイ・プロジェクトもいよいよ着工し、 ローマ・プリエタ地震後に撤去されたフリーウェイの跡地を利用した海岸通りや、 それに沿って南に伸びる数々の住宅計画 (その多くが、 湾に向かって開放的な設計でないのは残念ですが)、 通勤電車の終着駅から海岸通り沿いに新設された市電の路線、 そして何よりもパクベル・パークの建設の影響によって、 サード・ストリートを中心とした新しい街区が形成されつつあります。 「これほど発展するとは誰も予想しなかった」という意味をこめて「サード・ストリートの奇跡」と呼ばれています。
このサード・ストリート周辺は、 今後まだまだ開発の余地が残っていますが、 パクベル・パークの隣接地区への長期的な影響については、 3つの大きな要因があると思われます。 私自身の言葉を使わせていただくと、 それをスピンオフ (拠点波及)、 スピルオーバー (充溢) および スペキュレーション (思わく) の3-S効果と呼ぶことができるかと思います。
スピンオフというのは、 パクベル・パークのような影響力の大きな計画が、 今まで主な拠点が何もなかった低開発地区に実現した場合に周辺地区に与える物理的、 経済的な効果のことです。 そのスピン源は公共、 民間のプロジェクトのいずれの場合もあり、 また公共政策が明確な意図をもってスピンオフを誘導する場合と、 市場の自然な流れがこれを発生させる場合があると思います。 今回の場合は、 公共政策の全面的支持を得た民間プロジェクトが市場の力を利用して効果を波及させていく一例と言えましょう。
スピルオーバーとは、 既存の中心市街地から新しい土地を求めて溢れてくる開発の波のことで、 既存のインフラに依存する度合いが、 より散逸的なスプロールとは異なります。 これも公共政策による比重の大きなものと、 市場の力によるものがあります。 公共政策に関連して言えば、 85年に制定されたダウンタウン・プランによるダウンタウン区域内の開発規制 (オフィスの新築床面積の年間総量規制など) とサウス・オブ・マーケットにおける開発推進の政策が、 15年後にようやく実を結んできたと言えましょう。 その上、 ここ数年来のサンフランシスコの人口とビジネスの増加は、 市の唯一の発展方向である南へのスピルオーバーを必然的にもたらすまで市場の圧力を高めています。 ミッション・ベイのコミュニティが次第に形成されてくると、 パクベル・パークとその近隣との相乗効果によって、 さらに南へのスピルオーバーが続くでしょう。
スペキュレーションとは、 狭い意味では土地投機のことで、 発展途上の市街地にいつまでも放置された空地や老朽化した建物などは、 スペキュレーションによる「機会待ち」の場合が多いと言えます。 ただし、 スペキュレーションをより広い意味に拡大すると、 投機家だけではなく、 公共政策の側と利用者や一般市民の期待感を含むと考えることもできます。 経済の変動と同じく、 都市開発においてもこの期待感がかなめの役割を果します。
長期的にこのスペキュレーションの可能性が高いのは、 サード・ストリートに沿ってミッション・ベイから南へ伸びるポトレーロ地区の一部です。 この「サード・ストリート・コリドール」は、 ミッション・ベイ以後のニュー・コミュニティの候補地として、 サンフランシスコの「最後のフロンティア」とも呼ばれています。 ウォーターフロントは、 工場、 倉庫、 ジャンク・ヤードなどの続く低開発地区で、 土地利用区分はほとんどがM-2 (重工業) です。 ゾーニング変更された場合はおそらくミッション・ベイと同じく、タワー部分(最高160フィート) を除く基本ブロックに40-90フィートの高さ制限がかかってくるので、 第二のダウンタウンとまではいきませんが、 新国際空港やシリコン・バレーへの交通の便を考えると、 副都心のような存在になることが十分予想されます。
では、 次回の話題をお楽しみに。
ジャイアンツ・フォー・セール
ご存知の方も多いかと思いますが、 サンフランシスコ・ジャイアンツは、 8月末現在ナショナル・リーグの西部地区で首位のチームです。 サンフランシスコ・ジャイアンツは、 ワールド・シリーズに2回出場しましたが、 まだ優勝したことはありません。 しかし、 ニューヨーク (ブルックリン) から移ってきたロスアンジェルス・ドジャースとのゲームは、 いわば阪神・巨人戦の米国版といえるほどの好カードとして古くから親しまれてきました。
私も早速この間、 フィラデルフィア・フィリーズとのゲームを見てきました (ドジャーズ戦などの人気カードのチケットは、 早くから並んで申し込むか、 「スキャルパー」とよばれるダフ屋から高額な値段で買うしか手に入りません)。 甲子園球場のアルプス・スタンドを思わせるアッパー・デッキ (上階席) からは、 ダウンタウンやベイブリッジはもとより、 湾の向うにオークランドやバークレーも見渡せます。 湾へのビューを確保するために、 レフト側のスタンドが短めにカットされ、 ライト側を見下ろすと、 プレイボールの少し前には、 湾の対岸からフェリーが到着し、 百人ほどの観客が船から直接球場に入ってきます (写真1)。
写真1:ライト側のアッパー・デッキからの眺め。スコアボードの後にマリーナ、湾の向こうにオークランドが見える。
また、 このスプラッシュ・ランディングの位置には、 水辺のプロムナードを歩く一般の人々が無料でゲームを見られるのぞき窓がアーケード内の5スパンに渡って開けられており、 球場と外部の公共空間とのインタラクティブな関係を創出しています (写真2)。 この「只見席」は、 開口部の定員が24人、 合計120人用なので、 3イニングごとに待っている人と交代すべきことが定められています。
写真2:水辺のプロムナードに沿った「只見席」
パノラミックな眺望が確保されています。 このように贅沢な設計のため、 最大収用数は、 以前の3COMパークに比べて1万7,000席も少なくなりましたが、 逆に年間観客動員数は以前の50% 増しになると予想されています。 現在のところ、 やはり新球場を建設したクリーブランド・インディアンズに次ぐ全米第2の観客動員数を誇っています。
内向性から双方向性へ
野球場に限らず、 競技場や劇場など都市の「アトラクション」を担うエレメントは、 そこへ試合や演技を見にゆくのが主目的ですから、 ある程度はやむを得ないのでしょうが、 それらの空間にいったん入ると、 閉塞感というか、 外に開かれていないという隔絶感を感じたことのあるのは、 私だけでしょうか。 場内の空間が巨大であるにも関わらず、 息詰まるような閉塞性があります。
このような主要施設の持つ周辺街路やコミュニティとの関わりは、 その中心となるアトラクションが十分強い場合には、 その度合いが「ディストラクション」(周辺との関わりによってアトラクションへの注意がそらされること) によって減じられることはないはずです。 そして、 現状の関わりだけではなく、 むしろ将来のまちづくりに対して、 積極的な役割を果してゆくことが期待されます。 そこで、 パクベル・パークの周辺地区への今後の影響について考えてみましょう。
1) 数ヶ所にある球場入り口ゲート前の空間が、 それぞれ名前の付いた特徴ある広場になっています。 たとえば、 メイン・ゲート前のウィリー・メイズ・プラザには、 彼の巨大な銅像が建ち、 背番号にちなんで24本のヤシの植えられたアーバン・パークです (写真3)。 また、 サンフランシスコ・シールズのシンボル、 アザラシの像が置かれたバックスクリーン裏の広場は、 既存のマリーナと一体となった水辺の空間を形成し、 ゴールデンゲート・ブリッジからフィッシャーマンズ・ワーフを経て延々と連なる水辺のプロムナードの終点になっています。
写真3:メイン・ゲート前のウィリー・メイズ・プラザ。右端にメイズの銅像が見える。
2) 街路と水辺のプロムナード沿いの歩道レベルに、 レストラン、 ダグアウト・ショップ (ジャイアンツ・グッズの店)、 チケット・オフィス、 ヘルス・クリニック、 フードの売店、 ゲーム・センターなど多様な用途が設けられており、 一般の人が利用できます。
3) 上階のデッキ・レベルに前述のスライダーやミニ球場をはじめ、 ピッチング・マシーンやケーブルカーなどのある子供の遊び場とカフェテリアが設けられており、 ゲームのない日は一般に開放されています。 先日の休日に訪ねた時は、 100人ほどの家族連れが集まり、 カフェテリアもオープンしていました (写真4)。
写真4:デッキ・レベルから湾を見下ろすカフェテリア
サード・ストリートの奇跡
パクベル・パークのある地区は、 一般にサウス・ビーチと呼ばれるサウス・オブ・マーケット地区のサブエリアで、 以前から船のレストラン (映画「戦艦バウンティ」で使われた船を利用) やサウス・ビーチ・ハーバーなど若干の目的地はあるものの、 ほとんどが港湾施設、 倉庫、 駐車場、 空き地などからなる低開発地区でした。
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