橋本征子 建検ガクガク

#7  木と暮らす

野村雅夫 フィルム探偵捜査手帳

ミスマッチの美学 ~チャップリンからの贈りもの~

寒竹泉美の月めくり本2015
文月本 「漫画編集者」 木村俊介・著

インタビュー  チョーヒカル さん

(聞き手/牧尾晴喜)

日常のARTをテーマに掲げ、体にリアルな目や物を描くボディペイントや、さまざまなブランドとのコラボレーション作品で注目を集めるクリエイター、チョーヒカルさん。彼女に、制作の過程やその面白さについてお話をうかがった。

------- チョーさんの作品では、その画力はもちろん、 いつも意外性に驚かされます。 魚に見えるけれどじつはバナナだったり、あるいはミカン みたいなトマトだったり……。こういう「非日常( UNUSUAL )」なテーマは、どんなときに思いつくんですか?
チョー: こういう作品のアイデアは、実際のものを見ながら考えることが多いです。たとえば八百屋さんとかにいるときに思いつきます。野菜の形を眺めながら「これとこれは同じ形だなあ」とか、バナナを見て「このバナナにサンマを描けるかなあ?」とか(笑)。

------- ひとの体に描く ボディペイントだと、紙に描くのとはぜんぜん違うと思いますが、いかがですか?
チョー: ひとの体は物みたいに扱えないですし、動くので苦労しますね。私は、ボディペイント用の絵の具よりも発色がいい絵の具を使っているんですが、これだと、体が動くとヒビが入ることが多いんです。だから「動かないでください」とお願いしないといけません。初対面のひととの会話が得意なわけではないんですが、なるべく楽しく過ごしてもらおうということで頑張って話しています(笑)。紙だとどこまででも細かく描けますが、ひとの体に描いていると細かいところは描きづらいですね。

------ 海外でのお仕事も増えていますが、どんなことを意識していますか?
チョー: 私自身、日本で生まれ育っていますが国籍は中国ですし、国が違うときに意識がどう違うかといったことにも興味があります。国という単位では仲がよくないこともありますが、たとえ国が違っても、個人のレベルでは問題じゃないといった意識に少しでもかかわることができればとおもっています。最初にお話したサンマに見えるバナナなどの作品、じつはそのメッセージを簡単に言うと「ひとは見た目じゃない」ということなんです。いろんな国のひとから「伝わりました」っていう感想もいただいて、アートの力を再確認しました。これからも広い視野を意識して作品づくりをしていきたいです。

------- アートのお仕事をしていてよかったと感じるのはどんなときですか?
チョー: 誰かの心が動いているのを感じたときです。「カッコイイ作品ですね」って言ってもらえるのももちろん嬉しいんですが、誰かの価値観が変わったりするような作品をつくれたと感じられたら最高です。私の作品にはトリックアート的なものが多いんですが、そういうトリックに自分自身がだまされるような瞬間があります。自分もひっかかってしまうようなときには、まわりのひとも楽しんでもらえます。 あと、制作の過程で、最初はただの絵の具の色が、だんだんと物の形になっていく瞬間。こういうときも嬉しいです。

------- どんな 子ども、中高生でしたか?
チョー: ひとを楽しませることは昔から好きでした。文化祭や体育祭でTシャツをつくったり。お笑い芸人を目指そうかと思ったときもあるくらいで、ひとを面白がらせたり、楽しませることが好きでした。 絵を描くことは好きでしたが、特にうまかったわけではないです。美大に進むために美術予備校にも2年ほど通っていましたが、クラスで5番目くらいという感じで、特別にうまいわけではありませんでした。

------- 今年、初の 作品集が出るそうですが、どのような内容ですか?
チョー: 秋くらいに出る予定です。内容が決まってきて、細かい制作をしています。いままでの作品を中心に新作も 10 作程度となる作品集で、制作風景やコラムなんかも入る予定です。

------- 今後のビジョンを教えてください。
チョー: 日本だけにとどまらず、海外のお仕事ももっと増やしていきたいです。 ボディペイント以外にもやりたいことがたくさんあるので、若いうちにいろいろと大きなスケールで挑戦したいと考えています。

「It's not what it seems」

 

「Wireless Charging」

Samsung Galaxy S6 phones

 

「Flat Face」
Samsung Galaxy S6 phones

 

「see right through you」

 

肌衣 靴

Tokone「flamingyo!tights」

 

Tokone「cream soda knee high socks the straw bends when you bend your knee.」

 

チョーヒカル(趙燁)

クリエイター/イラストレーター

1993 年、東京都生まれ。

2012 年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に入学。

UNUSUAL (非日常) ART をテーマに掲げ、体にリアルな目や物を描くボディペイントや衣服のデザイン、イラスト、立体、映像作品などを制作。

衣服ブランド Melantrick Hemlight 、タイツブランド tokone とのコラボレーションや、ポスター、スマートフォン向けアプリのイラストやキャラクターグッズのデザインなど、現役美大生でありながら幅広い分野で制作を手がけている。

日本テレビ「ナカイの窓」「ヒルナンデス」「スッキリ !! 」など多数メディアでも取りあげられる。

2015 年 Samsung Galaxy S6 phones の広告ビジュアルを制作、イギリス本土で作品が発表されるなど海外からも支持を得ている。
2015 年 10 月には自身初となる作品集を出版予定。

#7 木と暮らす

川県丸亀市にある、山一木材さんを訪ねました。大きな材木倉庫は屋根組みも木材で作られた素敵な空間です。さまざまな樹種と技術に囲まれたこちらの会社では、「木と暮らす」ことを伝えるコンセプトショップ「 KITOKURAS 」が敷地内の森にあります。

 

「 KITOKURAS 」とは、山一木材の三代目、熊谷有記さんによるプロジェクトで、カフェや日用品の販売、ギャラリーを設けた木のコンセプトショップ。セミナーやイベントにも使われる広場になっており、開放感のある場所です。ここで開催される様々な企画を通じて、木と長く楽しく、気持よく過ごせることを伝え続けています。

KITOKURAS の魅力はカフェで購入した飲み物や食べ物をトレイに載せて、敷地内を散策できるピクニックが愉しめるところ。木だけではなく、季節ごとに彩る花々も一年を通して変化があるのを感じます。見て、人とふれあい、地元の食材をいただき、風やにおいを感じる、まさに五感をくすぐる森でした。

 

「今だけじゃない、未来にいいものを。」というのは、 KITOKURAS のテーマであり、木は永久的な資源であり、育て続ける限り持続可能なものだと熊谷さんは語ります。

大量生産、大量消費の蔓延る現代では、建材用木材は加工技術も向上し、高温による乾燥で木の収縮率を抑えたものや、歪みが出ないように集成した木材など、日々進化を遂げています。アフターメンテナンスも安易なものが増えてきました。もちろん、便利にするために、クレームが出ないために必要だったのだとは思いますが、このままで良いのだろうかと改めて考える機会を得た気がします。この KITOKURAS を立ち上げた事によって、わたしたち末端ユーザーには伝わりにくい木の性質、そのまんまの木の魅力が、ここに来れば識る事ができます。企業の生き残りが厳しい中、私はこの山一木材の賭けに胸が熱くなりました。

森を臨むこの場所は都会とはかけ離れた憩いの場所です。こだわりのコーヒーを飲みながら、自然との対話がオススメです。木と暮らすことを改めて考える時間をここで過ごしませんか?

 


山一木材の材木倉庫 。この屋根組みを見て!



KITOKURAS の外観。向かいには遊具やイベントスペースが。


森を見渡せる素敵なカフェスペースです 。

橋本征子(はしもと せいこ)
おしゃべりだいすき。CO2の排出量で光合成のお手伝いをしている。
と、思っている。

ミスマッチの美学 ~チャップリンからの贈りもの~

ぁ、私だ。読者諸賢はご存知だろうか。かつてあのチャールズ・チャップリンが誘拐されていたことを。しかも、死後に。ん? 死後? いや、本当なのだ。 1978 年、チャップリンの死から約2ヶ月後、スイス・レマン湖畔に埋葬されていた遺体が棺ごと盗まれ、1億円ほどの身代金が要求された。あなたはこう思うかもしれない。「まるで映画みたい」。夫婦で『ライムライト』( 1952 年)を観直していたグザヴィエ・ボーヴォワ監督が、ふと思い出したこの事件を妻に話して聞かせたところ、同様の答えが帰ってきた。そのやりとりに端を発したのが本作である。

 犯人は2人組。ムショ帰りのエディとその友人オスマン。どちらも移民で暮らしは厳しい。妻が病で入院中のオスマンだが、かつての恩を感じているエディに家の裏にあるトレーラーハウスをあてがい、読書好きのエディはオスマンの娘の面倒をみることに。そんな生活が始まったところに、たまたまチャップリンの葬儀をテレビで見た2人は、大それた「誘拐」を思いつくものの、事態はそううまく運ばない。

 魅力は このポンコツコンビだ。観ていると、そのダメっぷりがだんだん愛おしくすらなってくる。生きていくために犯罪に手を染める話なわけだが、2人は悪賢いわけではなくて、ある種とても無垢だ。それはチャップリンの映画作品の登場人物たちとも通じる。2人に絡むオスマンの娘サミラの存在がまたいい。イノセンスな大人たちの苦肉の策をイノセンスそのものの娘と交錯させることで、どちらも際立たせる格好だ。

 チャップリンへのオマージュも散見されるのだが、そのどれもが表面的ではないので興醒めすることはない。たとえば犯人達が口論する場面。急に音楽が重なって、サイレント状態になるなんて実にシャレているし、お調子者のエディがひょんなことからサーカスに巻き込まれていく流れはチャップリンのその名も『サーカス』( 1928 年)を思い起こさせる。他にも『ライムライト』を意識している場面もあるし、そもそもロケは実際の墓地や邸宅が使われており、親族にも出演してもらうという念の入れようだ。

 そして、特筆すべきは音楽だ。監督がぜひにとお願いしたのは、映画音楽界の巨匠ミシェル・ルグラン。彼の音楽が牧歌的な風景の中での珍騒動に重ねられると、その美しさとオーケストレーションの流麗さが見事に不釣り合いであるがために、不思議な効果をあげている。夜の墓場での手際の悪い犯行を彩る繊細なメロディーは、不気味さとやるせなさと笑いがないまぜになって他の作品では得難いバランスなのだが、それが全体としては物語にフィットするという絶妙な演出になっている。ミスマッチの美学とでも呼ぶことにしよう。 中でも、ルグランがチャップリンの『ライムライト』主題曲のメロディーをモチーフにしている曲は、俳優でも監督でもなく、映画音楽家チャップリンへのオマージュとしてもすばらしい。

 先達への敬意が作品にうまく溶け込んでいるケースは、どのジャンルでも豊かな教授の機会を提供してくれるものだ。これはあくまで結果としてということだろうが、遺体の移動がブラックユーモアとして機能するという意味では、ヒッチコックの『ハリーの災難』( 1955 年)を思い出したりもした。まあ、それはまた別の話だけれど。いずれにせよ、まずは劇場で本作を観て、そこから今度はチャップリンの作品やルグランのたとえば『ロシュフォールの恋人たち』( 1967 年)や『シェルブールの雨傘』( 1964 年)あたりを DVD で観るという流れを作れば、「ボーヴォワからの贈りもの」の楽しみは放射状に広がる。それにしても、死後にこんな愛おしい悲喜劇の種を蒔くなんて、やはりチャップリン恐るべしと言わざるをえない。

 

☆☆☆

長きにわたって連載をさせてもらったこの学芸出版社でのウェブマガジンだが、今月で幕を下ろすことになったと聞いた。およそ 10 年弱。今でこそラジオで映画について語り、上映イベントを企画したり、配給や字幕翻訳を手がけたりと、映画とどっぷり関わって生きてはいるものの、 10 年前といえば、僕はまだ一介の万年学生だった。そんな僕に連載の機会を与えてくれた株式会社フレーズクレーズの牧尾晴喜さんや学芸出版社の皆さん、そして何よりも一度でも僕の拙い文章を読んでくれた読者の皆さんにお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。どなたも素敵な映画体験を!




(c)Marie-Julie Maille/Why Not Productions


『チャップリンからの贈りもの』

原題: THE PRINCE OF FAME

7月 18 日(土)全国順次ロードショー

 

監督: グザヴィエ・ボーヴォワ

脚本: グザヴィエ・ボーヴォワ、エチエンヌ・コマール

出演: ブノワ・ポールヴールド、ロシュディ・ゼム、セリ・グマッシュ、キアラ・マストロヤンニ、ドロレス・チャップリン、ユージーン・チャップリン

音楽:ミシェル・ルグラン

字幕翻訳:齋藤敦子

2014 年/フランス/ 115 分/カラー/シネスコ
配給:ギャガ


公式サイトへ



野村雅夫(のむら まさお)
ラジオDJ/翻訳家
ラジオやテレビでの音楽番組を担当する他、イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」代表を務め、小説や映画字幕の翻訳なども手がける。
FM802 (Ciao! MUSICA / Fri. 12:00-18:00)
InterFM (Alternative Nation / Sat. 17:00-20:00) 
InterFM (CINEMA Dolce Vita / Sat. 11:00-11:30)
ytv (音力-ONCHIKA- / Wed. Midnight)

文月本 「漫画編集者」 木村俊介・著

画を作りあげていく過程には漫画家だけでなく担当編集者も大いに関係しているということは、子供のときから何となく知っていた。巻末のオマケ漫画に漫画家と編集者の漫才みたいなやりとりが載せられていたりするからだ。けれど、実際のところどんな仕事をしているのかは知らなかった。
長回し独り語りのような形式で漫画編集者の肉声がつづられたこの本を夢中で読んだ。知ってる漫画の名前が出てくるし、業界のことや編集者の何でも屋みたいな仕事の内容も面白かった。でも、読み終わって一番に浮かんだ感想の言葉は、うらやましいなあ、だった。
何がうらやましいかと言ったら、ものすごくいろいろある。漫画のファンとしては、あの漫画の作者と一緒に仕事したなんて! と、うらやましい。物語の生み手のひとりとしては、世の中を夢中にさせる作品を生み出していることが、うらやましい。駆け出しの作家としては、編集者にここまで才能を惚れ込まれて尽くしてもらえる漫画家がうらやましい。
エッセイを書こうとしたら、うらやましいでがんじがらめになって途方に暮れた。うらやましいは要注意だ。妬みとかひがみとか、読者が食べてもおいしくない不純物が隠れている。注意深くひとつひとつ濁ったものを外していくと、最後に残ったのは、「楽しそうに仕事をしていてうらやましい」という感想だった。もちろん苦労もたくさん語られている。休みがほとんどない働きっぷりには、ついていけないと思った。でも、この本に登場する人たちはみんな、楽しそうに仕事をしているように思えた。少なくとも楽しく仕事をしていると人に語れている。
自分の仕事にプライドを持って楽しくやるというのは、単純だけど難しい。誰かと比べて卑屈になったり、うまくいかなくて逃げたくなったり、大きな理想に惑わされたりする。 彼らはみんな、ぶれない人たちなんだと思った。そこが、かっこいい。
まだまだ卵の殻をお尻にくっつけた駆け出し作家ではありながら、わたしもデビューしてから何人かの編集者に出会って一緒に仕事をしてきた。いろんなタイプの編集者がいる。作品に惜しみない賞賛をくれる編集者、言葉は少ないけど淡々と一生懸命宣伝活動を展開してくれる編集者、文章の粗を的確な言葉で手厳しく指摘してくれる編集者……。
タイプは違うけれど彼らはみんな、ぶれなかった。何に対してぶれないかというと、「作品を応援する」ということに関してぶれないのだ。作品を生み出す当本人であるわたしが自信をなくしてふらふら迷うのを、暖かく、または厳しく、励ましてくれる。
編集者と作家は作品を介してぶつかり合う。これは、他の仕事にはあまり発生しない作業かもしれない。ある意味、編集者に作家は恋人や親よりも自分の内面を見せているかもしれない。そこには作品に負けず劣らず面白いドラマがある。そのドラマを生々しく描きだしたこの本が面白くないわけがない。


漫画編集者」 木村俊介・著
定価: 1,800 円+税
出版社 : フィルムアート社 (2015/5/25)



寒竹泉美(かんちくいずみ) HP
小説家
京都在住。小説の面白さを広めたいというコンセプトのもと、さまざまな活動を展開している。