阪神大震災復興市民まちづくり
vol. 3

序文


序・飽きた、疲れた、もうどうでもいい

 10月1日現在、 神戸市内のまちづくり協議会は69を数える。 震災前は認定12地区を含む22だから、 47団体がこの半年ぐらいで結成されたことになる。 それら協議会の会合が毎晩、 長田で六甲で続いている。 ほとんどが、 区画整理・再開発の事業区域内である。 重点復興地域はそれなりに、 なんらかの地元まちづくりの動きが見られるが、 大多数(80%を越える)のその他の地域(神戸では白地地域と誰ともなく言っている)では、 新たなまちづくり協議会結成までにはとても至らない。 個々のマンション再建や数少ない共同化事業以外、 全くまちづくりと言える動きはない。 最も再建機運の高い東部市街地(灘区東部・東灘区)でさえ、 戸建住宅のバラ建ちを中心にガレキ跡地の1割程度が着手されているに留まる。 たとえ、 まちづくり協議会が結成され、 住民相互に話し合う場ができたとしても、 自分達でまちづくりの詳細な内容を討議するところまでは困難である。 時間が足りぬ。 その全体的状況は神戸以外芦屋・西宮・淡路などでも同様であろう。

 「飽きた、 疲れた、 もうどうでもいい」が大震災10カ月を経た現在の合言葉であり、 私達支援ネットワークの大多数、 各地の応援組織・ボランティア団体など、 まちづくりに取り組む同志の誰に聞いても「そうやなア」という返事が帰ってくる。 大災害による被災者の心の疲労のピークは10ヶ月後(京大防災研の林さん談)というのを聞くとなる程と思う。 ここしばらくは、 ちょっとひとやすみ。 やすらぎパーカーでも着込んで、 ゆっくりやりましょう。 自分達の手で、 自分達の思う、 自分達の街をめざして、 何ができ何をしていくのか。 当然の軋轢を、 これまでのまちづくり協議会システムでは、 平常時には5年以上の時間で解決していくしかなかった。 今、 震災という突然の災難(突然だから災害なわけだが)に時間がない、 マンパワーが足らぬ。

 大災害時に唐突な都市計画決定が一般的対応であることはわかる。 酒田にせよ奥尻にせよ、 国を先頭にやらねばならぬことをする必要がある。 しかし、 そうした緊急事態での対応が物事の本性を示すことになる。 そのため、 これまでのまちづくり協議会方式の蓄積、 住民主導のまちづくりへの信頼を一気に無くしてしまった。 神戸が他の大都市に誇っていいこれまでのまちづくり方式が、 いかにもろい基盤にあったのかを露呈した。 都市計画の本筋に至っていなかったということだ。 突然の震災復興都市計画決定への住民反発は、 計画内容もさることながら、 その緊急時の手続き・心遣いへの異議申し立てが中心であった。 住民の、 なんでこんな時に、 説明もなしに、 まだ避難所にいるというのに。 だからこその都市計画決定である、 という行政、 との落差。 住民主体のまちづくりは、 どれだけ住民を信頼できるかが、 すべてである。

 それでも、 まちづくり協議会方式による住民意志のまちづくりへの反映・参画しか現在方法論を持ちえないことを恥じる。 緊急事態に恥じていても始まらぬ。 恥じている暇があれば、 せねばならぬことは山のようにある。 すべての地区で、 復興のまちづくりのために〈まちづくり協議会〉をつくり、 最大多数の住民意志を結集しなければ、 なにごとも始まらない。

 復興市民まちづくりは、 その点で始まったばかりであり、 まだ始まってもいない地区が無数にある。

  1995年11月21日


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