阪神大震災復興市民まちづくり
vol 6

序文


「くらし」復興・「すまい」再建

「くらし」復興再構築

 今、 被災地では、 「くらし」再構築が震災復興最大緊急願望である。 そこに想像力が及ばぬため、 非被災地と温度差が生じている。 災厄直後は心痛めた奥尻島普賢岳の被災1年後以降の島民村人の「くらし」を、 私たち阪神淡路住民はどれほど具体的に想像しえたか、 何もできなかった。 だが、 他人の他所の「くらし」を思い計ることは、 非常時なればこそ、 平常時にはお節介というもの。 この不景気、 自分の「くらし」さえ雑用とりまぎれ他への思いなどおぼつかぬのに、 である。 だが、 その日常一般の「くらし」と、 阪神淡路の「くらし」再興との間には、 越えることのできぬ深く暗い溝がある。

 〈被災地復興は被災者の手によるしかない、 それが復興まちづくりである〉という単純結論がすでに用意されている。 第2次大戦後のアジア諸国、 最近の南アフリカ、 ボスニアなど持ち出すまでもなく、 民族自立とまでは言わぬが、 地域主権自治責任のなかでの住民自立が復興である。 支援援助がなければなり立ち行かぬようでは、 復興とはいえぬ。 それでも自ら立ち上がれぬ、 あまりに多くの人々がいる。 その自立のための支援を、 必要十分な援助を、 温度差を越えて想像してほしい。 身動きならぬ老人、 傾きずれたままの陋屋、 貧乏人失業者病人怪我人があふれている。 あまりにも多いその量が復興の質を転化させる。

 「くらし」復興の基本課題はそこにある。

くらし=すまい←→しごと←→まち

 「すまい」「しごと」「まち」再生の三角形が、 「くらし」復興再構築条件である。 この3つが支え合ってはじめて、 暮らしがなり立ち行く。 その最も基本条件が「すまい」である。 人々の生活基礎、 社会基盤である住まいの安定的充足が、 地域活力源である。 住宅再建が進まぬ限り、 市街地に人影薄く店舗商店のあきないも続かぬ。 だが、 「しごと」が満足にない、 まともななりわいが繰り広がらないから、 住まいの再建がおぼつかぬ、 ということにもなる。 雇用賃金の先行き保証もないのに、 とても住宅改修再建に乏しい蓄えを費やす訳にはいかぬ、 というのが健全市民の悲しい常識だ。

 「まち」も形をなしていない。 区画整理再開発の都市計画事業地区では、 住宅はじめ地域社会循環すべてに関する備えと仕組みが、 今なお動き始めていない。 まちづくりこれからスタートというところだ。 それ以外の白地区域では、 東神戸市街地中心にそれでも多くの住宅店舗が建ち始め、 震災後1年半で約半分というところか。 しかしその程度では「まち」にならない。 「すまい」←→「しごと」←→「まち」が相互に関連しあってはじめて、 「くらし」が続く。 〈持続できる発展〉などというやや不遜なテーゼに比べれば、 〈持続する生活〉が被災地被災者の願望とは何ともいじらしいというべきか。

 住まいも仕事も街も、 壊滅したまま未だ組み立て、 立ち上がっていない。 たとえ、 鉄道道路港湾電気ガス水道が復旧しても、 日本国の一部分としてジグゾーパズルの一片はめ込まれても、 阪神神戸地域社会の自律生活圏「くらし」復元にはほど遠い。

被災者の「すまい」再建

 阪神大震災被災者にとって現在最重要関心事は、 「すまい」すなわち住宅問題である。 被災を受けた財産のうち住宅はもっとも大きな個人資産であったが、 それ以上の社会の基本的基盤であったことに、 ようやく気づいた。 なくなって初めて知るのは、 何も親の恩だけではない。 恋人も友情も、 住宅も。

 「すまい」再建なしに「くらし」復興なし。

 いつ、 どこに、 どのような住宅が、 いかなる方針計画デザインで建設されていくか。 また、 応急仮設住宅避難先住宅から恒久住宅定住住宅への移行がどうしたら円滑に進むか。 こうした多くの課題に、 さまざまな側面からの再建検討が必要だが、 とりあえず以下3テーマが重要かつ急を要する。

1996年8月15日
阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク
まちづくり株式会社コー・プラン 小林郁雄


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