神戸まちづくり協議会連絡会
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は じ め に

 

改行マーク阪神・淡路大震災から四年が過ぎた。 五年目を迎える震災記念日の未明からあの時刻まで、 震災復興に関わってきた人々が集まり語り合うことが企画された。 神戸まちづくり協議会連絡会の中島さんと青木さんたちの飲みながらの発意から、 こうべまちづくりセンターや宮西さん・小林に相談があり、 兵庫県・神戸市・神戸大学の室崎さんらと協議して、 「震災復興まちづくり−本音を語る」という徹夜円卓座談会が実現した。 一九九九年一月一七日の深夜〇時ちょうどに始まり、 途中二度の休憩でコーヒーを飲み、 豚汁やらおにぎりを食べ、 ちょうどあの五時四六分に一同で黙祷して、 終わった。 このブックレットはその五時間を超える討論の記録である。

改行マーク私たちにとって、 あの大震災は何であったのか?
 そうした疑問を抱く前に、 私たちは走り初めていた。 被災地のあらゆる市民、 まちづくり協議会の人々、 全国の学者、 まちづくり専門家集団、 国県市の行政担当者、 マスコミ関係者、 個人や組織のボランテイアなどなど、 震災復興のまちづくりに関わってきたさまざまな分野の多くの人々が、 やみくもに走ってきた四年間であった。 震災後三年間でほぼ八割の復旧がなったというが、 それから一年、 すべての指標は停滞凍結されてしまっている。 大震災被災地の現状は、 もはや全国版のニュースどころか、 被災地においてさえ日常に埋没している。 そして大震災の全貌は事細かに解明されたかのようだが、 子供達の何気ない時に表出する心の傷や老人達の移転した災害公営住宅での孤独と憂愁など、 未だ深く静かに被災は進行している。 あの大震災が何であったのか、 私たちにはまだわからない。

改行マーク私たちは、 この四年間何をしてきたのだろうか?
 そうした疑問に答えるには、 まだまだ時間が足りない。 あまりに現在進行形の事柄ばかりだ。 応急仮設住宅に四千世帯近くが残されている(一九九九年三月末)だけでなく、 最激震被災地区での区画整理・再開発事業はやっと街区整備・建築着手が始まったばかりである。 何をしてきたか、 ではなく、 何をしているかが、 まだまだ問われている。

改行マーク震災復興を総括するなぞ、 とても出来ないが、 五年目を迎えるに当たり、 あの激動の直後の状況を思い返し、 さまざまな検証を試みることぐらいは出来る、 のではないか。 あの直後の半年間ぐらいの状況を忘れてしまわぬうちに、 お互いに事実を確認しておく必要があるのではないか。 やみくもに走ってきたけど、 震災直後とやかくいわずに走り出したスタートの時の疑問不審を忘れたわけではない。

改行マークそうしたことを、 住民と行政・議会、 行政とマスコミ、 マスコミと学界、 学界とボランテイア、 ボランテイアと住民、 あるいはそれらの相互の意見交換のために関係者が一堂に会し、 あのころのことを「本音で語る」ことで検証することができるのでは、 ないか。

改行マークこうして、 震災記念日というとんでもない忙しい日の未明に、 こうべまちづくりセンター2階ホールに特設した円卓を討論参加者二十三人(76頁の出席者紹介を参照)が囲み、 まちづくり協議会関係者をはじめマスコミ・行政・コンサルタント・ボランティア・学生など三十人ほどの聴取参加者がその周囲に座り、 全発言を記録する通信衛星放送「朝日ニュースター」の機材スタッフに取り巻かれて(一九九九年一月二十九日「ザ・ディベート」で一時間番組として放送)、 「本音を語る」座談会が行われた。

改行マーク全体の司会は室崎益輝神戸大学教授によって、 第1部「まちづくり協議会の立ち上げの検証」、 第2部「都市計画決定のプロセスの検証」、 第3部「災害時の制度の検証」という内容で、 震災後半年間に限った経緯を中心に、 討議は進められた。

  一九九九年四月十五日
阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク

小林 郁雄(まちづくり会社コー・プラン代表)

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