その基本として二つの大きなテーマがあると私は思っております。
一つは、 地車(だんじり)。 この地域には、 おそらく、 集落ごとにあっただろうと思いますが、 江戸時代以前からだんじりがありました。 そして、 そのだんじりを中心とした集落の文化がありました。 それらが、 財産区とか、 村の社会というように、 いろいろなかたちで現在でも残っています。 それについては木村さんから詳しくお話いただけると思います。
それと、 灘の酒蔵です。 江戸時代以来、 酒蔵がこの辺りのまちの大きな基盤になっているのではないかと思います。 浜手の町の文化です。
阪神間では、 明治後半から大正、 昭和初期にかけて、 国鉄(今のJR)、 阪急、 阪神といった鉄道開通と重なり合って、 新しい文化ができてきました。 新しくできたのは神戸の山手の文化、 もしくは、 阪神間の山手の文化、 と言ってもいいかと思います。
その阪神間の山手の文化とは、 賀川豊彦さんを中心とした生活協同組合の活動とか、 山麓部のいくつかに立地した大学、 あるいは、 その当時のニュータウンとも言える六麓荘とか御影とかいったところのまちです。 そういった近代のまちが、 先ほど申しました江戸時代のまちと重なったところで、 阪神間、 神戸東部の町ができてきていると私は理解しております。
震災でいずれも休止しておりますが、 そういった活動が今後のまちづくりの大きなテーマとなるのではないかと思います。 まちがペラペラのまちに成りつつあるということに気づき、 気を落としながら復興のまちづくりをやっているわけですが、 もう少し、 文化の蓄積の深い、 厚みのある阪神間と神戸東部地域にしていかなければならないと思います。
そういうことも含めて、 今日来ていただいた方々から、 お話をお伺いしたいと思います。
阪神間文化を巡って
阪神間文化の二つのテーマ
私たちは、 基本的に神戸で仕事をしています。 私たちの師匠であった故・水谷頴介さんから阪神間の文化について実践的に講義を受けていました。 水谷さんの持論であった、 この阪神間は全国の中でも有数の住宅地文化を持った地域だと、 私たちも思っております。
阪神間の山手の文化
もう一つのテーマは近代以降の山手の文化です。
阪神間のまちづくり活動
阪神間には震災前から、 河内厚郎さんたちといっしょにさせていただきました甲麓文化研究会とか、 一九三〇年の阪神間世界研究会、 阪急沿線都市研究会というような、 いくつかの阪神間文化、 あるいは阪神間のまちづくりの研究会がありました。
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