ポスト公共事業の基本的価値観を打ち立てる | |
美しい都市をつくる権利
五十嵐敬喜(法政大学法学部教授) 編著 |
読者レビュー 「法律さえ守れば、何をしてもいいのか…」職住が共存する町家街区に、突然建ち あがった大きな大きな壁によって、その美しい町並みが壊され、先祖伝来、綿々と培っ てきたコミュニティを分断された住民の、これがつぶやきである。現在、京都の都心 界隈では、未曾有のマンション建設ラッシュとでも言うべき状況にあり、その土地利 用も町並みも、バブル期以上に急激な変貌をとげようとしている。 本書では、国内外の6つの事例を挙げながら、それぞれの都市の試みと成果、そし てそれぞれの現状が語られている。事例で挙げられた、大切に育んでいきたいとする モノも、人も、それらの関係も、仕組みも、そしてそこに横たわる一つひとつの問題 も、こうした現状に直面する私たちにとっては、なぞるように馴染み深くもあり、目 がくらむほどに羨ましくもある。 殊に国立市の事例は、日本では他に例を見ない市民・行政・議会が一体となった運動 として、鮮烈な印象が残った。建ってしまったものは、まちに大きな爪痕を残したか もしれないが、それ以上に三者が「まちへの思い」を共有しえたことへの感動と羨望 は、誰の胸にも迫るものがあるのではなかろうか。そこには「市民」が存在し、「市 民の都市」が内側から機能しようとしている。ガラスが一枚割れたとしても、そこで は「割れガラスの論理」は起こりえない。 翻って京都は…。幾度となくマンション建設反対運動が繰り返され、幾度となくそれ は溜息にかわり、また一つまた一つと低層の町家街区に巨大なマンションが林立する。 市民の思いは絡み合い、行政は市民に下駄を預け、議会もまた…。割れガラスである。 そんななか、ようやくこの都心界隈にも新しい風が吹きつつある。姉小路界隈を考え る会を中心として、江戸時代の自治管理体制にならい、「現代版町式目」を策定。そ れを基に面として広がる建築協定が今年度中に締結される見込みである。また、さら には地区計画の指定へと住民の思いは尽きない。 美しい都市をつくるということ。6つの事例には6つの方法論があり、一般解はないの かもしれない。しかし手探りでも、それぞれのまちで、それぞれの条件下で、住民の 思う美しい都市を素描していくことから「権利」は始まる。そのための手がかりを、 足がかりを、本書からは随所に読みとることができる…。 (京・まち・ねっと/石本幸良・石本智子)
担当編集者から マーク・トウェインの引用で始まる本書はさらさらと読みやすく、各事例は人類学者の日記を読むように気軽に読めてしまう。だけど、何の本かと問われれば、「革命をめざす本」と、やはり真面目に答えるべきだろう。美しいまちに住む権利を憲法に書き加え、日本を変えようということだ。但しあくまでも、美しいまちへの〈欲求が市民の中に生きているのなら〉、という前提条件が要る。 たぶん、本書を読まれて、「私のまちもこうありたい」と感じてもらえれば、本書も読者も革命への過激な第一歩を踏み出したと言えるのではないだろうか。「それにしてもエディンバラ、ええとこらしいなあ」だと、やはりフィールド・ワークの日記か? ということになる。とはいえ、私自身はハワイ・コナと広島・鞆の浦に惹かれています。 (I) この本は論憲を挑む本である。護憲派の僕は、そんな恐ろしい本を出して良いもの かどうか悩んでしまった。 国はろくなことはしない。だから、せめて憲法が盾になって欲しい。たとえ解釈改 憲でボロボロにされていても、ないよりはましだろうと思っていた。 そんなんじゃ、ダメだ。自ら良い都市をつくる、良い国をつくるという決意のもと で、すべてを見直さなければならないと、五十嵐氏にガツンとやられたように思う。 京都の町並みがボロボロになったのは、行政が開発優先をごり押ししたというより も、石本氏が指摘するように、市民の思いが絡み合い、行政は市民に下駄を預け、結 局何も有効な手が打てないまま現状維持を続けていたからに他ならない。現代版町式 目の策定は、ようやく市民が自治意識を持ち始めたことの証左だろう。それはいつか 、自らの権利を創出し具体化していく権利=美しい都市をつくる権利へとつながって いく。そのときこそ日本国憲法を越える新しい市民社会の憲法が求められるようにな る、その素地が出来ると思う。 (M) |