場所がもつ社会的記憶を 顕在化させるためのプロセス |
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読者レビュー 本書は冒頭から刺激的である。1975年の1月から2月にかけて『ニューヨークタイムズ(The New York Times)』紙上で繰り広げられた、ニューヨーク市のランドマーク指定をめぐる都市社会学者と建築評論家の派手な論争を紹介するところから始まっている。この論争がどのように決着したかは別として、この論争に対する著者ドロレス・ハイデン(以下、著者と記す)の見方が実に興味深い。著者は、これまで「学問としての建築は社会的政治的分野に真正面から取り組むことはなかったし、他方、社会史の分野も空間やデザインを熟慮することなく発展してきた」と両者の欠点を指摘しつつ、「この両者の関係こそが、アメリカの都市の将来の運命を握っている」と断言している。そこで登場するのが「場所の力」という概念である。 「場所の力」とは、著者によれば、「都市の歴史的ランドスケープが持つ力であり、一般市民が共通の記憶を育む際の一助となる力」である。そしてその源泉は、国籍、民族、ジェンダー、人種、社会階層など、時として反目し合うアイデンティティをも超越し得る、より大きな「共通テーマ」(あるいは社会的記憶、たとえば、移住の経験、家族との離散や再会の経験)にあるとしている。故に、「完璧なまでにブルドーザーの下敷きになってしまった場所でさえ、かつて庶民に共有されていた社会的意味、空間的対立の存在あるいは挫折や絶望の記憶を復元するような場所になり得る」のだ。これは極めて重大な問題提起ではないか。 このことを実証するために、著者は、かつての労働者住宅地、アフリカン・アメリカンの暮らし、ラテン系アメリカ人女性の活動、そしてリトルトーキョー(日系移民街)など、マイノリティーの記憶を丹念に追ってきた。本書で紹介されているフィールド(場所)はいずれもアメリカ合衆国内に立地している。 しかし、ここでの問題提起はこれからの日本の都市政策、とりわけ、被差別部落、在日コリアン、近年の外国人労働者問題などのマイノリティー問題を考えて行く上で大いに参考になるであろう。 (立命館大学産業社会学部教授/リム・ボン)
“The Power of Place” という言葉に、大いに惹かれた。これは、本書のタイトルであると同時に、著者が、地域の歴史を顕在化させ公共の記憶として位置づける活動を行うために、ロサンゼルスにおいて立ち上げた非営利組織の名称である。 高度な情報の発達、移動手段の多様化、果てしなく広がる土地開発を背景に、人と土地との結びつきが急速に失われていく中で、古い建築物や歴史的景観を博物館的に修復、保存していく取り組みが各地で展開されている。これらを、土地の文脈を過去から未来へつなぐ取り組みとして評価しながらも、本質的なところで疑問を感じていた私にとって、本書で語られる「場所の力」「社会的な記憶」「場所の記憶」といった言葉は、非常に鮮明に、明快に理解され、抱いていた違和感を解いてくれた。「都市のランドスケープは社会の記憶を収める蔵」であり、再開発や都市再生によってそれが完璧に破壊された場所でさえ、「かつて庶民に共有されていた社会的意味、空間的対立の存在あるいは挫折や絶望の記憶を復元するような場所になり得る」、しかもそれは、「住民参加の過程で議論すれば」、ごく普通の町においても可能であるという(p.33)。重要なのは、ハードな環境の保存そのものでなく、そこで生活する住民たちが社会的な記憶を掘り起こし、場所に新たな意味づけを行うことなのである。 本書は、アメリカにおけるジェンダー、人種、民族の問題をベースに論が展開されており、「場所の力」の持つ意味やその重要性、必要性が、強烈なそして熱い意志をもって伝わってくる。翻ってわが国における意味を考えると、直面する社会状況の違いから、問題が認識されにくい。しかし、戦争を始めとする辛い過去を振り返らないことによる場所の記憶の喪失や、また、都市環境、生活環境の変化による社会の記憶の喪失など、普段は見えにくい問題が、実は静かに進行中なのである。分かり難いが故に、「場所の力」についてより切実に考えなければならないのは、私たちである。 (広島工業大学工学部建設工学科/福田由美子)
担当編集者から 出版不況のなかでも翻訳書の落ち込みはひどく、本書も難産だった。それでもなんとか出版に漕ぎ着けられたのは、三人の訳者の涙ぐましい努力の賜物だが、私自身が「もうダメ」という気分になったときにも、なんとか諦めずに頑張れたのは「場所の力」という魅力的なタイトルがあったからだ。 歴史的文脈とか、ゲニウス・ロキといった言葉は広く使われているが、古くてよいものを大切にするという感じは拭えない。「場所の力」にはもっと積極的な何か、普遍的な何かがある。傍目にはどうしようもないとすら見える場所にも、多くの場合、そこに住んでいる人は愛着をもっている。それは何故なのか。それこそ「場所の力」ではないのか。それを将来への力に変えられないのか。そんな問いに正面から答えようとしているのが本書である。 たしかにアメリカの社会・文化に通じていないと、実感が沸かないところもあり、理屈っぽい話しから離れてしまった今は、なかなか読みづらい面もある。しかし、「場所の力」という言葉に感じるところがあった人なら苦労して読んでみる価値は絶対にある硬派の一冊だと思う。 (M) 歴史の表舞台ではなく、その裏にあるものを見つけだすこと、その埋もれてしまった市民の歴史こそ、ほんとうにまちを知る手掛かりとなるのだろう。 闘ってきた市民、マイノリティにはパワーがある。何でもない風景に惹かれるのも、そこに生活の集積、生きるための力が感じられるからであろう。しかし現代では、市民の生活景は忘れられ、負の歴史はタブーとして葬られてしまいがちである。それをうまく掘り起こし、まちの象徴にするとは、実に画期的な取組みではないだろうか。 本書には、上辺だけの保存ではなく、記憶の継承という、これからの日本のまちづくり、地域おこしを考える上での新たな方向性が詰まっている。 (N) |