スクウォッター
 

大島哲蔵 著

A5変判・192頁・2000円+税
ISBN4-7615-2318-2

■■内容紹介■■
現代建築&建築家の批評,同時代の海外状況の紹介を,独特の文体で綴った批評集.建築の権威化に批判的な目を向け,建築家の在り方を根源性に問いかけてきた大島の文章は,現状にあきたらない建築家たちに刺激を与えてきた.また海外の最新動向を,その背景にあるものまで含めて解説していくスタイルは,若い世代のシンパシーをよんでいる.


 
読者レビュー

1980年代、批評性を喪失し拝金主義的なムード音楽に堕落して最早死んだと思われていたロックミュージックは、 1990年代に入って、雌伏していた幾つかのムーヴメントが一気に爆発する格好で突如再生、中でも1993年に発表された‘Rage against the Machine’のファーストは、充分な速度とグルーヴを伴って叩き出されるヘヴィな音系、そしてそれに絡みつきながら機関銃のごとく繰り出される痛烈な社会/政治批判によって、ロックが90年代においてなお、音楽的には新しい形式を、言説的には新しいアジテーション能力を提示しうることを証明した。
 逝後1年が経って刊行された大島哲蔵の最初で最後の批評集を読んで僕は、そんな‘Rage〜’を初めて聴いた日の衝撃を直ちに思い起こしてしまったのである。
 明晰であって、かつ諧謔を含みながらたたみかけるように展開する大島の文体の、批評対象をザクザク切り進んでいく様は、その批評の辛辣さと相まって、一種快感とも思われるようなスピード感を伴う、それは‘Rage〜’の言説の鋭利さと確実にオーヴァーラップする。
 しかしながら、大島にとって悲劇であったのは、‘Rage〜’には言葉を支える新しい音の形式、それは‘Rage〜’が総合したものではあっても、そのためには、例えばハードコア・ラップ、スラッシュ、グランジといった新しい音系が伏線的に用意されていたのに対し、建築の領域においては新しい形式の可能性は、何ら登場していなかったことにある。そのため、ロック同様形式の純粋性と社会批判性を帯びて登場したモダニズム建築の、それが形骸化、拝金主義的になっていく様に対し、糾弾を続けながら、来るべき形式の存否様態の不明ゆえ、大島の言説は、モダニズムの周辺を回転し続けるしかなかったのだ。
 しかしその悲劇は大島独りの問題ではない。惰性のように続く、自閉症的状況解釈再解釈禍の中で、建築が社会性を恢復するための新しい形式の可能性の一片すら今なお建築家は見出していないという事実、そのことこそが実は、大島が遺した最もヘヴィな批判かつ命題であり、その答えを僕たちに委ねたまま大島は逝ってしまったのだと思う。
 現在ロックは再び自閉的な表現形式へ堕しつつあって、建築はわずかな光が見えてきているようだけれど、さて僕たちに未来はあるのか、そいつはどっちだ?
(キアラ・パートナーズ・アンド・アソシエーツ代表、建築家/松本 正)


担当編集者から

スクの引き出しに、エルンスト・フックスの『Fantasia』と題した画集がある。彼はウィーン幻想派を代表する作家なのだが、この本をみるまで私はその名を知らなかった。画集は2000年の冬、大島さんが「きっと気にいると思うから」と、プレゼントしてくれたものだった。
 大島さんは、渾身を込めて翻訳した出版企画を持ち込んでこられたのだが、実務系の出版物が多い弊社ではとても無理だと、お断りした直後のことだった。それまで親しく言葉を交わしたことはなかったので、腑に落ちなかったことを憶えている。
 一周忌にあたり、大島さんの文章をまとめて本にしたい、そんな相談を受けたのが2003年2月だった。本来ならば同じ理由で断ったのだろうが、腑に落ちないまま『Fantasia』を贈られた私には、何とかしなければという気持ちのほうが強かった。大島流の布石に、もはや捉われていたのかもしれない!
 「スクウォッター」は、若い読者に向けて作られた本です。言葉と意思の強度を感じてください。
(MR)