多文化空間のダイナミズム

稲葉佳子 著

四六判・192(カラー16)頁・定価 本体1800円+税
ISBN978-4-7615-1249-1
2008.10.15 初版発行

■■内容紹介■■
外国人居住者が35%以上を占め、エスニックタウンとして知られる新宿区大久保。多様な文化が混在・共生し、めまぐるしく変容し続けるまちには、常に移民を受け入れてきた歴史的風土があった。20年にわたるフィールド調査から見えてきた、チマチマ雑居空間にみなぎる外国人パワーと、新陳代謝するまちの魅力を徹底追跡。


 
読者レビュー
 稲葉佳子さんが「オオクボ」と表記する東京都新宿区大久保・百人町地域は、「まだ見ぬまち」である。見えないのではない。風景も内奥も、つねに生成変転流動して止むことのない、「分け入っても分け入ってもまだ見ぬまち」なのである。本書は、そんなオオクボの時空間を構成する魅惑の諸要素(人・世間・経済・地誌・歴史など)を稲葉さんが路上で発見し、歩きながら考え、実証し、編集したドキュメントである。わたしたち読者は、彼女が見たもの聴いたもの触れたものを同時進行的に現認していく。多用されている写真と図がたのしく理解を助け、Live感を高める。はじめに好奇心ありき、然るのちテーマ生ず。「大久保を通して『都市とは何か』という命題に迫」る、そのプロセスはスリリングである。
 稲葉さんがはじめてJR新大久保駅に降り立ったのは1990年というから、両者の交流は20年ちかい。わたしをオオクボと出会わせてくれたのもほかならぬ稲葉さんである。阪神大震災後KOBEの多民族恊働のまちづくり活動を記録した映画『多民族社会の風』の上映会をこの地で開いてくれたのが彼女たちのグループで、それをきっかけに、わたしはオオクボに分け入ってしまった。以来、わたしは、「OKUBO共和コミュニティ」をもとめてストリートを徘徊していくことになる。分け入っても分け入っても……。わたしの「OKUBO共和コミュニティ」は幻影なのかと思いはじめていたときに差し出されたのが本書である。
 もとより、稲葉さんは、「OKUBO共和コミュニティ」などといってはいない。そのイメージが本書にあると思うのは、わたしの勝手読みである。オオクボ地域を東西に走る大久保通りと職安通り、それを南北につなぐ細街路の商住空間を舞台に、アジア各国・地域からやってきた“ニューカマー”と日本人“先住民”が繰り広げる日常は、わたしの「共和コミュニティ」像にちかい。1990年当時は地元民としての既得権を振りまわしていた日本人が、「共生」などたんなる言葉でしかなかった時代に、徒手空拳、外国人との難儀なかかわりをへて、彼ら彼女らを隣人として受け入れていく事例に、わたしはオオクボの普遍性をみた。
 本書は、すぐれたオオクボ論であるとともに、日本列島各地の「まだ見ぬ」多文化混在・多民族共住まちづくりの水先案内の書である。
(映画監督/青池憲司)

担当編集者より

 アメリカでオバマが勝った。違いを乗り越えて連帯を信じるアメリカの明るさが久しぶりに蘇った。
 ひるがえって日本をみると、文化の小さな違いも許さない息苦しさが相変わらず続いている。それは、お金さえ儲かるならなんでもあり、すべてをお金という単純な物差しで測る市場原理主義の裏返しの潔癖さ、同質志向のように思えてならない。
 だが、そんな都市が活力を持ち続けることが出来るのだろうか?
 規制緩和にあけくれ、おかげで戦後最長の好景気なんて言われても、実際には誰もがすさんでいたとき、とっても元気だった街がある。潔癖性にはとても我慢ならないようなチマチマ雑居空間に、多文化、多国籍のパワーがみなぎっていた。
 清潔に管理し尽くされる都市なんて嘘だ。もともと流民の都なのだ。
 軋轢を乗り越え互いに変化するるオオクボにこそ創造都市の本質がある。それがオオクボ都市の力だ。
(Ma)