ライト 仮面の生涯



ブレンダン・ギル 著、塚口眞佐子 訳

A5判・512頁・定価 本体3800円+税
ISBN978-4-7615-4086-9
2009-07-10 初版発行

■■内容紹介■■
近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの生涯は、彼の自叙伝中の捏造や財団による神格化などによって謎に満ちている。ライトの友人にして『ニューヨーカー』ベテラン記者が、名作の生まれる過程や施主・社会との関わりを実証的に描き出し、天才建築家の素顔と〈真実〉に迫る。アメリカの超ロングセラー、待望の完全邦訳。


 
読者レビュー
 この本はニューヨークの雑誌記者が、建築家ライトの生涯を綴った『MANY MASKS』(1987年初版)の完全邦訳で、“天才建築家F.L.ライトの一生―その裏表―”ともいえるものである。私はライトの研究者でもないし、作品等もごく有名なものについて一般的な知識しがないうえ、ライトの自伝や他の著書もほとんど読んだことはない(写真集は書棚に並んではいるが)ので、ライトに関する本の書評を書く資格などあるはずがない。というわけで、どちらかというと読後感のようなことでお許し願いたい。
 本が届いて驚いた。なんと上下二段組みで500ページに及ぶ大作である。軽い気持ちで引き受けてしまったことを後悔した。しかし読みだすと面白く、毎日重くなったカバンを抱えて通勤する日が続いた。ライトの出生・少年時代からその生い立ちをさまざまな側面からこまかく述べられており、全30章に分かれていて、彼の性格や人生観または生き様といえるようなことがよく分かって読み物としては興味尽きない内容である。彼がサリバン事務所へ入所した時のことから、独立して自身の事務所をオークパークで始めたころのエピソード、その後オークパークに多くの住宅を設計していく際のクライアントとのスキャンダラスな話、もちろん有名な数え切れないほどの女性関係のことなど、まさに「事実は小説より奇なり」というフレーズそのままの、波瀾万丈の生涯を生きた有名建築家の全貌を知ることができる。
 ここで、その内容を明かす必要はないかもしれないが、一つだけ、われわれがあまり知らなかったことを紹介しておきたい。それは、ライトはヨーロッパの同時代の建築からはあまり影響を受けていなかったと思っていたが、ラーキンビルやユニティー・テンプルは、オルブリッヒのゼッツエッション館の影響を受けているらしい、ということである。実際に影響を受けたかどうかの確証はないが、著者がいろんな資料から判断したらしい。それ以外にも多くの有名無名の作品について、クライアントとのエピソードを交えながらこと細かく述べられており、最後は“永遠の天才魔術師”という章で締めくくられている。
 とにかく建築家でこれほどスキャンダラスな人生を送った人がいるのか、私のようにできるだけ波風の立たないように生きてきた人間にとっては、“そんなことはないだろう”と思うようなことの連続で、穏やかな人生を終わろうとしているものとしては、残されたあとわずかの人生をスキャンダラスに生きることに挑戦してみるか否か、何とも複雑な気分である。大部の翻訳書を読破するのは大変だが、ライトのファンもそうでない人も一読をおすすめしたい。それにしてもこんなボリュームの本の翻訳を成し遂げられた塚口真佐子さんに拍手を贈りたい。
(建築環境研究所/吉村篤一)

 本書はフランク・ロイド・ライトの90年余の長きに亘る生涯をつぶさに辿り直す大部、その邦訳書である。
 本書においてライトとは、もはや「建築家」という枕詞を付さずとも認知される偉人として、また最終章に至っては「神性」をもって描かれるような、歴史的な固有名詞としての響きを獲得している。無論、かれの思想や作品について、同時代を生きた筆者による目撃証言としての価値を十分に有する好著であり、「建築家」ライトに関心のある読者にとっても有意義な読書体験を提供するものであることは言うまでもない。
 周知の通り、ライトの生涯は、本人の資質に由来するか否かに関わらず、常人の幾倍ものエピソードに満ちたものであった。そうした周知の事柄から、知られざるその裏側へと分け入ること、このことを多数の書簡や証言、著作に基づいて徹底するところが、本書の白眉であるといえよう。波乱の生涯のなかで、ライトはどのように自らを演出し、偶像化したのかが詳細に追跡されており、それが原題“MANY MASKS”の示唆するところであろう。なるほど一見すれば、ライトがその都度の意図で、仮面を変え、あるいは新しくつくりだしてきたかのように読める。しかしそれにしても、あれほどまでの窮地に至ってなおかれが楽観的に構えていられたのはなぜか。もしかすると、「非道なまでの自己中心性や欺瞞性」などという「仮面」にまつわる毀誉褒貶とはまったく無縁の境地で、ライトは変わることなく、唯一にして無垢な、それゆえに揺るぎない信念に満ちていたようにも思えてくる。ただライトの思う「常識」と、周囲が思う「常識」とが、あまりにもかけ離れてしまったことで、さまざまな困難が訪れたのではないか。とするならば「仮面」とは、ライト自身がつくりだしたというだけでなく、われわれがライトという「非常識的」な天才を理解するために、「常識的」な補助線としてつくりだしたものともいえるのではないか、とも読めるのである。
 最終章で描かれるライトの「神性」とは、かれが生涯の果てに獲得しえた究極的な「仮面」であったといえる。本書を通読して振り返るとき、この最後の「仮面」こそ、これまでに詳らかにされたような作為的な偶像化というだけでなく、われわれが喜んでかれに差し出した称賛という意味のもとで読み解かれるべきであろう。「仮面」とはそのようにしてはじめて、ライトとわれわれとをつなぐ、架橋となるのである。
(京都大学大学院工学研究科建築学専攻助教/朽木順綱)

担当編集者より

 本書は、ベテラン記者であり教養人である原著者が、膨大な史料の読み込みと原著者自身のライトとの交際の経験を基に、その作品論からスキャンダルまでを客観的に描き切った第一級の評伝です。ライトの重ねた嘘やスキャンダルに関して「ここまで書くか」と思われるほど冷徹に、赤裸々に描いていてどんどん読ませてしまう点は、本書の特徴の一つですが、一方で、常人には不可能なものを生み出してしまうライトという天才への畏敬の念が本書を貫いています。
 これだけライトに振り回されながらも彼を支え続けた施主や友人たちの姿は、芸術家としての建築家と一般社会の関係について、一つの強烈な例をもって多くを示唆しているようです。ライト作品のファンのみならず、建築家という職業に関心を持つすべての方にお読みいただきたい一冊です。
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