評 : 光嶋 裕介 氏 (建築家)
問いをみつけるたしかな視座と勇気ある行動力
建築は、衣食住に関わる大切な仕事のひとつであり、建築家を志すには、何かを神(創造者)の視点に立ってつくるのではなく、自身もまた一プレーヤーとして、「他者への想像力」を発揮して、クリエーション(創造)に立ち向かわなければならない、と常々思っている。
『海外で建築を仕事にする2』には、16人の日本人による奮闘記がものすごいリアリティーでもって綴られている。「2」と題されているように2013年に同名のタイトルで、17名の日本人による奮闘記が記されている。私も何を隠そう、大学院を卒業してベルリンの設計事務所で4年弱働いた経験をもつ「海外で建築を仕事にする」日本人であったが、執筆するご縁がなく、自分で『建築武者修行』(イースト・プレス)という本を刊行させてもらったが、自分の経験を書くことで、少しだけ世界が客観的に見えることがある。
さて、続編となった今回の16人に共通するのは、「ランドスケープデザイン」という射程の広い分野である。建築や土木よりも圧倒的に若い分野であるために、ブルーオーシャンであると言っていいかもしれない。
そうした新しいフィールドに飛び込んでいった著者たちには、ひとつの共通点がある。それは、常に自身と向き合い、石橋を叩いて渡るのではなく、自分たちの「内なる声」に耳を傾かせ、後悔しない確かな決断に突き動かされて行動しているということだ。
大学生活までは、受験に代表されるように「勉強」が「学び」の中心にあり、つねに「模範解答」が準備されていた。「問い」に対して、「答え」があるということは、比較され、競争することを余儀なくされる。
しかし、卒業して、社会に出ると、比較・競争することは続くものの、本当の意味での問題を与えられることはない。そして、そうした問題には、しばしば「正解」がないのである。
この予定調和に進まないところに、やりがいが生まれる。この本に収められた物語には、当たり前だが、ひとつとして同じパターンが存在しない。みな、自分で考え、自分の感覚を信じて、大きな海の中で試行錯誤している。何より、生き生きした現在進行形の話が綴られているのだ。
この一点にこそ、この本が生まれた魅力が宿っている。社会が激変し、少子高齢化社会が進む中、右肩上がりの価値観は見直されなければならない時期に入っているのは、誰の目にもたしかなこと。
経済学者の平川克美は、「移行期的混乱」と言ったが、まさにこの移行するときにこそ、新しい価値観は発見される。そして、それを発見する者たちは、決して決められたルートを登りつめ、与えられた問いにパーフェクトに答えることで誕生するのではない。むしろ、社会を確かな目で考察し、自分の物差しで勇気ある決断をしてきた者たちにしか見えない風景が存在する。
私は、この16人のストーリーを介して自分のこととして自覚をもって、正解を見つけ出すことより、一生向き合えるたしかな「問い」をみつけることの大切さを教えてもらった。
この本の帯に、もはや日本を代表する建築家となった隈研吾が「うらやましい!」と何度も叫びたくなった、と評したのもきっと、彼ら彼女らのそうした可能性にこそ希望を感じたからではないだろうか。
この本から力をもらい、世界に羽ばたく勇気ある若者たちがたくさん出てくることを願っている。自分で行動しなければ、何も掴めない。世界は広く、学びはずっと続くのだから。
担当編集者より
“最近の若者は内向き志向だから(売れないんじゃないか)”・・・と、最初は心配されたこの企画でしたが、続編までできました(めでたい!)。いつの時代にも、「自分は自由だ」と信じて行動する人達が居て、彼らの背中(体験談)が次の自由な人を生んでいるのかもしれない、そう思えると10年後もまた楽しみです。特に都市デザイン、まちづくり、ランドスケープの海外事情は殆ど知られていないので、その意味でも新鮮で役立つ情報を見つけていただけるのではないかと思います。
(井口)
彼・彼女らが世界に跳び出していった当時とほとんど同じ年頃の私にとって、原稿に綴られていた経験の数々はまさに“うらやましい!”の連続でした。日本から出たこと、海外で暮らしたことそれ自体ではなく、決意と行動の軽やかさによって自ら世界を広げていることに、大きな魅力を感じます。失敗を恐れて一歩が踏み出せなかったり、実践する前に自ら可能性を否定してしまったり…そんな、石橋を叩きすぎて渡れない人の背中を、石橋が崩れても自分で建ててしまうようなこの16人が、力強く押してくれるはずです。
(松本)
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