評 : 速水 清孝 (日本大学工学部建築学科 教授)
建築士にしてはじめて可能となる広がり
建築の仕事や建築士であることが肩身の狭いものになって久しい。「それではいけない」と義憤にかられて、というわけではないが、しばらく前、建築士にまつわる本を書いた。
でも、建築士に吹く世間の風の冷たさは、その後むしろ増すばかり。あまりに狭いところに押し込められていくように感じて、「建築士にもう未来はないのかも」と肩を落としもした。
東京建築士会が新たに作るという「これからの建築士賞」のことを知ったのは、昨年、そんな中でのことだ。審査員の顔ぶれからして期待させるものがあった。
この本は、そこで一次審査を通った17者の取り組みを記したものである。
全編を通して感じたのは、現実を生きる建築士のたくましさである。僕が感じたセンチな悲哀など微塵もないのもうれしい。
取り組みの中には、建築の内に向かうものもあれば、外に向かうものもあって、「内に」は、建築の仕事の細分化が招く不自由に抗するかのように、「外に」は、建築と隣り合う領域の惨状を見かねて(?)、いずれにしても、これまでの姿から職能を変え、幅を広げようとしている点は通じている。
その大方に共鳴しつつ、「それでも」と思うのは、「変え、広げる」にちょっとした抵抗があるからである。たぶんそれは、僕の根っこにある「普通の建築士」にこだわるがゆえの甘さに由来する。
けれど間違いなく、変え、広げる必要はあるのだろう。
そしてそれが必要なのは、「変わる社会に適応しないと」ということよりも、建築の外に向かうものについて言うなら、今や建築士が、学校が捨て、地域が捨て、家庭すらもが捨てた、住まうことやその周辺にまつわる全てを包括的に補うことのできる希少な存在だからである。世の中が捨てた領域であるなら、その取り組みは自ずと困難で、そうした困難に草の根的に向き合う姿には敬服せざるを得ない。さらに、こうした広がりは建築士にして初めて持ち得るもの、とも感じられて少し元気が出た。
ただ、気になるのは、そうした取り組みが、ここに紹介された個人を超えるのか、である。編者も指摘するこのことを、多くの建築の外の人が、永続性を予感させる「組織」に、個人にない保証の魅力を感じていることを思うにつけ考えてしまう。
蛇足ながら、本の中には、ご本人は覚えておられないと思うが、中学の先輩、といったように袖振り合った方の今がチラと見えて、そんな個人的な理由からも楽しめた一冊である。
最後に、世の本屋さんに一言。
どうか「資格のコーナー」には置かないで。それでは売れるものも売れません。
これは、僕の本の現実を見てのお願い。
担当編集者より
倉方俊輔さんからこの企画のお話をいただいたのは、昨年、入社してまだ数か月という頃。 自分には手に負えないのでは…と思う一方、世間で「建築家」という肩書きがどこか虚像のような扱われ方をしてしまう中で、あえて「建築士」に立ち返り、その可能性を示すというテーマには個人的にも関心があったし、本にする意義を感じた。
心配していた編集者としての仕事も、倉方さんをはじめとする編著者の方々の熱意に支えられ、なんとか形にすることができた。現在、第2回「これからの建築士賞」が募集されている(4月18日締切)。この本とあわせて、建築士が変わっていく推進力になってほしいと期待している。
(神谷)
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