豊かで幸せな地域社会づくり「緑の分権改革」
今年最も感銘を受けた映画に『幸せの経済学』があります。12/25、TV番組「サンデーモーニングスペシャル」で大々的に紹介されたので、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。映画の監督で原作者のへレナ・ノーバーク=ホッジさんはスウェーデン生まれの言語学者で、『懐かしい未来』の著者でもあります。映画の舞台はインド北部の端にある標高3500mを超える「ラダック」という人口5万人ほどの農村地域です。農業を中心に自給自足の互助経済と自然に寄り添う、心豊かな暮らしがありました。ところが、1974年に外国人の立ち入りが解放され、先進国の消費文化やグローバル企業の安い商品が流れ込み、地域は急激に変化していきました。この40年間でグローバリゼーションの波によってラダックがどのように変貌し地域コミュニティが崩壊していったか。そして今、どのようにそれを回復しようとしているのか。ローカリゼーションこそが、これからの持続可能で心と心のつながりのある社会を再生する鍵だと主張します。
日本人にとってグローバリゼーションは明治時代以降徐々に進んできましたので、ラダックのような急な変化はありませんでした。しかし、近年のリーマンショックをはじめ、社会の様々な危機(心の危機、経済の危機、気候の危機など)が顕在化し、そして大震災・原発事故を経験し、いよいよ信頼、ローカル経済、生物多様性、コミュニティ、低炭素を重視した地域社会づくりに舵を切っていこうという動きが各地で進み始めたように思います。地域も経済も、新たな幸せを求める時代になったのではないでしょうか。
こうした時代に創設されたのが総務省“緑の分権改革”(平成21年度開始)です。「分散自立・地産地消・低炭素型の地域主権型社会へと転換することをめざすものであり、そのために、地域の豊かな自然環境、再生可能なクリーンエネルギー、安全で豊富な食料、歴史文化資産の価値等を最大限活用し、地方公共団体と市民、NPO等の協働・連携により、地域の自給力と創富力(そうふりょく)を高めるしくみをつくる。」まさに私が志し、自己流ながら取組んできた地域づくりと同じ思想、手法でした。行きすぎたグローバリゼーションに対し、実態経済を重視し、幸せで豊かな社会をつくるためのローカリゼーションを推進する政策こそ「緑の分権改革」だと思います。
私は今年度、宮城県大崎市が取組む「蕪栗(かぶくり)沼・ふゆみずたんぼプロジェクト」(http://kabukuri-tambo.jp/)のコーディネータとして「緑の分権改革」事業をサポートしています。大崎市は、東日本大震災で公共施設や民家、店舗などに甚大な被害を受けましたが、こういう時期だからこそ、地域の資源を生かし、周辺の自治体や住民と連携・協働し、地域経済の復興に取り組もうと応募しました。
市内田尻地区の蕪栗沼には、秋から冬にかけて10万羽を超えるマガンなど渡り鳥が飛来します。周辺の水田40haでは冬の間も水を張る“ふゆみずたんぼ”が行われ、渡り鳥の生息場所となっています。日の出のころ、沼から10万羽を超えるマガンが一斉に飛立つ光景は他では見られない素晴らしいものです。そして、これらの田んぼには、同市発祥の“ササニシキ”や“ひとめぼれ”が栽培されています。また、蕪栗沼のよし葦をペレットにして、熱源に使おうという試みも始まっています。さらに、「ふゆみずたんぼ」は津波被害を受けた水田の抑塩・再生にも効果があると、南三陸町、塩竃市寒沢島などで水田の復興をしています。こうした地域の食、農法、農村景観、自然エネルギーを活かし、近くの都市である仙台の方たちにもっと知ってもらおう、使ってもらおうとマルシェやツアーの開催、絵本や映像制作を進めています。
目下、今年度の三次補正予算で被災地を対象とした「緑の分権改革」事業が募集されています。来年度も事業は継続されるとお聞きしています。緑の分権改革制度を創設された椎川忍さんのご著書『緑の分権改革―あるものを生かす地域力創造』をまずはお読みになって下さい。これまで各市町村で取組まれた事例や、諸々のしくみがわかりやすく解説されています。また、第7章「緑の分権改革」理想郷にはAさんという架空の人が登場しますが、「Aさんのような市民として私も地域で暮らしたい!」と思えるロールモデルです。
サステナブルなコミュニティづくりをめざして、地域の様々な方々とワークショップを行い、地域ならではの資源を活用し、湧水のごとくわきだすアイディアを元に企画を立て、ぜひ「緑の分権改革」を活用し、ローカリゼーションを推進されてはいかがでしょうか。
担当編集者より
東日本大震災からの復旧・復興のために、巨額の予算がつぎ込まれると聞く。大きな事業として巨大な防潮堤や高台移転が紹介されている。その是非、好き嫌いは置くとしても、もっと少額でできて、生活再建、産業復興に密着した話題になぜ光が当たらないのか、もどかしい。
ある造園学の大家はこれを、「人からコンクリートへ」だと嘆いていた。
だが、「コンクリートから人へ」の動きが政府から消えてしまったわけではない。また、本書を読んで頂ければ分かって頂けると思うが、そのような流れは民主党政権になって突然生まれた訳でもない。いわば時代の必然として、スローなスタートとはいえ、徐々に広がっている。
魔法のような改革で一夜にして日本が、地域が変わるわけがない。公務員や教員を仮想敵のように見なし、針小棒大に不祥事を膨らませて叩きまくって、どうなるのか。もちろん、いつまでも補助金の多寡で地域のありようを決めるような地方政府で良いわけもない。
一市民としても、自治体には経済・社会の変革に立ち向かって欲しい。そのためのイントロとして役立つなら緑の分権改革も大いに利用して欲しいし、本書がその手がかりになるなら、編集者としてこれほど嬉しいことはない。
(Ma)
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