『家族野菜を未来につなぐ』は野菜の本。たしかに、そう。大和伝統野菜と呼ばれる、奈良県各地の在来野菜が本書の主人公だ。
でも、見逃してならないのは、タイトルにもある「家族」という視点。「家族が好きな食べ物、おいしい顔を知っているということは、あたりまえすぎて見逃されがちですが、実はとても豊かなことなのかもしれません」(本書p.83-84)。著者の三浦雅之さんと陽子さんご夫妻が伝統野菜に注目したのも、もとをたどれば、こうした豊かさの実現につながっているからにほかならない。
とはいうものの、家族なんて、ちょっと内向きじゃない?と思う人もいるかもしれない。だが、はたしてそうか。時代の節目には、政策や制度といった大きな仕組みよりも、むしろ日常的な生活の場から、小さくとも確実に変化は現れるものではないか。いまさら家族なんて――もしそう思う人がいるとしたら、「いまさら」とされかねない現代だからこそ、家族に注目した三浦夫妻の先見の明をよくよく考えてほしい。
ここで思い出す人物が一人いる。西村伊作(1884-1963)。文化学院創設者として知られるが、大正から昭和初期にかけて数多くの建築を手がけ、家具や子供服をデザインし、生活全般の刷新を試みた人物でもある。彼が初の著書『楽しき住家』(1919)で来るべき住宅の根幹に据えたものこそ、家族だった。住まいの楽しさとは、家族の楽しさ。旧弊にとらわれるあまり、このあたりまえの事実が見過ごされている現状を憂い、伊作は家族が日々過ごすリビング中心の住空間を提案し多くの共感を集めた。
後に伊作は、あくまで体制に屈することなく信念を貫きとおし、教育家・社会思想家として活躍することになるが、その原点には家族と過ごす豊かさへの着目があった。そこから1世紀を経たいま、20世紀初頭と同じく、次の時代のカタチが判然としないなかで、ふたたび家族を起点とした変革の試みが動き出しつつある。本書をその静かな宣言書と見ることもできるのではないだろうか。
もとより本書のメインモチーフは、食や農業のあり方、それらを通じた地域づくりにある。おりしも、日本各地でますます在来野菜を再評価する機運が高まっている。そうした関心から本書を紐解かれるのは、もちろん間違いではない。しかしながら、著者にとってそれらがすべて家族への求心力に発すること、そうであるからこその説得力と現代性を、一人でも多くの読者と共有できればと思う。
そういえば、本文は基本的に「僕」の一人称で語られ、明らかにストリーテラーは夫の雅之さんであるけれども、著者としてはご夫婦お二人のお名前を掲げている。これもまた、家族という視点ゆえだろう。
(哲学者、総合地球環境学研究所特任准教授/鞍田崇)
担当編集者より
初めて三浦雅之さんのお話を伺ったのは、本評を書いていただいた鞍田さんが京都精華大学で建築の学生に向けて開催されたレクチャーでした。
建築学生を対象に何故「農」をテーマに?と、その視点が気になりましたが、そこでは「風土」のお話もされていました。農村にある「7つの風―風土、風味、風景、風物、風情、風習、風俗」を大事にしたいと。
自ら伝統野菜を育て、レストランでそれを提供している三浦さんが次世代に伝えたい、残したいのは「農」「食」という領域を超えて、地域の文化であり、それをつくり上げてきたコミュニティなのだと思います。
そういう大きな方向性の一方で、本書では「家族野菜」をキーワードにしました。
なぜ作りにくい野菜を育てるのか?
それは単に美味しいから。家族の笑顔が見たいからなんです。
そうやって愛情を込めて育てられた野菜たちが、幸せな気持ちを運んでくれる。そんな想いを込めた本です。
(中木)
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