富山グランドプラザはまちづくり関係者には、言わずと知れた存在だ。富山市の総曲輪商店街の中心に位置するガラスの半屋外空間。まず、建築デザインが美しい。頭上にはほとんどガラスのみでできた屋根。しかしながら、いわゆるアトリウムのような密閉空間ではないので、空気のよどみが感じられない。人が行き交い、晴れの日には光りが降り注ぎ、雲の流れを感じ、雪が降ればつもっていく様子が感じられる。富山市のように冬の屋外活動が極端に限定されるような場所では、本当に望まれていた空間であることが、ぱっと見ただけでわかる。
しかし空間が美しいからといって自動的に人が集まってくるほど、日本は貧しくない。日常的にエンタテイメントがあふれるこの国で、広場などつくっても見向きもされないケースが多い。だからグランドプラザは、広場というものが日常の生活にしっかりと根付かせることができるのかという重いテーマを背負って運営されている。しかも日本全国の期待を背負って。その中心にいるのが著者の山下さんだ。
この本には、グランドプラザの誕生秘話から立ち上げ時の苦労話、日常的な工夫に至るまで、都市における広場づくりのノウハウがいっぱいにつまっている。原稿を書いている途中の山下さんに会ったとき、言いたいことが有りすぎてまとまらないと悩んでいたのを思い出すが、本を読んでいてその悩みを理解した。本の中での話題は施設の運営論、組織論、広場論、公と民の恊働論と多岐に渡るのだが、彼女の中ではこうしたものが肉体レベルで有機的に結びついてしまっているので、すべてが「あたりまえ」なのだ。だから、どのような言葉で説明してよいのか分からなかったのだろう。それらをなんとか整理し言語化するという苦労の跡が感じられた。しかし、読みすすめていく内に彼女のペースにまきこまれて、「そうそう、広場って、こういうもんだよなあ」と納得させられる感じなのだ。つまり、山下節が本にも出ているわけです(笑)。
山下さんの魅力はなんといっても、まちを愛する気持ちと、人に対する寛容さである。美しい言葉で言うと母性愛そのものの人、悪い言葉で言うと若くしておばちゃん?(大変申し訳ありません)といった感じで、あらゆる立場の人から信頼される才能にあふれている。しかし、それなりに気苦労もしていることが字間から感じられて、なかなかぐっと来る。ちなみに、私個人が山下さんから学んだのは赤の他人の信頼の仕方で、特に、昼間からお酒を飲みにくるようなおじさん達との関係の築き方は、彼女の胆力がよく現れていて本当に関心をしている。
あと、本を読んで驚くべきことのもうひとつのポイントは、彼女のブレのなさである。都市とは何か。都市の中で市民はどう振る舞うべきか。こうしたことに対しての考え方が、どのようなイベントを行ったとしても一貫しているのだ。彼女にとってみれば「あたりまえ」。しかし、そのあたりまえを本能的に知り、具体的な行動に結びつけることができる人はそういない。人、建築、都市、社会に興味が広く行き渡っていないと、こういう人にはならないのだから。
この本によって第二、第三の山下さんが生まれることを祈ります。
(建築家/乾久美子)
担当編集者より
著者の山下さんは、ひとりの市民として広場の計画に関わりだし、気がつけば運営の要になっていた。今では日本各地から声がかかる、広場づくりのプロだといえよう。
公共空間であるがゆえに規制やルールによって使いにくいものになりがちな広場が、実にワクワクする空間になっているのは、黒子である彼女の活躍が大きい。どんなイベントをするのか、果たしてそれは賑わいを生むのか。厳しく、柔軟に、独自の感性で判断し、誰にとっても居心地がよく楽しい場になるように尽力されている。
その力を存分に発揮できるのは、行政・地元事業者などの支えがあってのこと。互いに理解しあい、協力しているからこそ、富山グランドプラザはうまくいっているのだと思う。
山下さんの言葉と行動は、その場所を盛り上げたいという気持ちが集まることで、豊かな空間や時間を作りだすことができるんだと気付かせてくれる。
(中木)
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