評 : 内田奈芳美 (金沢工業大学環境・建築学部講師)
本書の「創造農村」というタイトルを見て「創造都市」の延長的概念かと思ったが、単純にそういうわけではないようだ。「創造都市」と「創造農村」は創造性を生み出す上での必要条件(それはひとのインテリジェンス、と理解しているのだが。)はもちろん共有しているが、農村には異なるコミュニティの力学と豊かな自然資源があり、そこで起こる創造性はあらたな様相を帯びている。例えば、編者の佐々木教授は「創造農村」を本書の中でこう定義している。
「住民の自治と創意に基づいて、豊かな自然生態系を保全する中で固有の文化を育み、新たな芸術・科学・技術を導入し、職人的ものづくりと農林業の融合による自律循環的な地域経済を備え、グローバルな環境問題や、あるいはローカルな地域社会の課題に対して、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ農村である。」(p.21)
つまり「農村」というタイトルはついているが、本書はグローバルとローカル、農村と都市という二項対立的な枠組みを横断した、循環作用のありかたについて実は描いているのである。我々は単純な対立軸をまたいで地域を理解していかなければならないのであり、本書で示された創造農村の事例は、そのための材料を提示している。
本書は第一部で「『創造農村』の時代」と題して、時代を読み取るための概念を示した上で、第二部は「動き出す『創造農村』」として個別地域の事例に着目して論じている。この第二部の「動き出す」事例は、農村のもつ資源である「ほんものさ」(自然、環境、景観)をどのように活用するかという、人間のインテリジェンスを示しているものである。それは食べる、加工するというような直接的な資源利用だけに限らず、その環境自体が場を創り出す、二次的な利用(神山町のグリーン・バレーの事例(p.188)など)にも発展している動きであり、創造性のはたらきかたの日本的モデルを示しているものである。そして農村は「漂泊的定住者」(p.154)などの作用による多様な価値観がぶつかりあう場となり、創造農村のリーダーたちが「小さなコアがネットワークしていく」(p.256)と発見したように、規範に従った農村型コミュニティを超えて、創造的なガバナンスの形成によって、人的資源の活用が進んでいったのである。
「創造農村」の事例は、成長が都市内の様々な問題に目をつぶらせていた時代が終わり、人々はもうひとつの居場所として農村を選び始めたということを示しているのではないか。本書は、「創造性」が、見知らぬ他者との関わりを必然的にもたらす都市部だけの専売特許ではなくなったという、時代的趨勢をたくみに解説しつつ、「創造農村」というあたらしい定義を社会になげかけるものである。
担当編集者より
農村への眼差しが変わっている。
日本の各地で、アートや食・農を媒介として、地域の良さを見直す動きが起こっている。
初めて佐々木先生にお会いした時に、この「創造農村」の思想は、ラスキンやモリスに遡ることができ、それに影響を受けた宮澤賢治は『農民芸術概論要項』を著したのだと伺った。
詳しくは本書に書かれているが、賢治が目指した社会は、まさに農と芸術文化の融合であった。
都会へ憧れる時代のなか、置き去りにされてきた農村に、いま新たな光があたっている。
本書に掲載されている事例は、少し先にその動きを捉えた地域だが、どこの場所にも可能性は秘められている。
日本各地に創造農村が広がると、行きたい場所が増え続けてしまうけれど。
(中木)
|