白熱講義 これからの日本に都市計画は必要ですか


蓑原敬・饗庭伸・姥浦道生・中島直人
野澤千絵・日埜直彦・藤村龍至・村上暁信 著

四六判・256頁・定価 本体2200円+税
ISBN978-4-7615-2571-2
2014-06-01

■■内容紹介■■ 
日本の都市計画は何をしてきたのですか? 近代都市計画とは何だったのですか? 3.11で何が変わるのですか? 今、私たちが引き受ける課題は何ですか?1930年代生まれのベテラン都市プランナーへ、1970年代生まれの若手が投げかける、差し迫った問いと議論の応酬。都市計画の現実、矛盾と展望を明らかにした現役世代に訴える一冊。



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評 : 佐々木晶二 ((一財)民間都市開発推進機構)

 都市計画とは、その時代、その時代における都市問題、地域問題を解決する技術体系、政策体系と考える。
 日本の現在の都市計画法は、人口が増加し都市が拡大するときに、いかに都市の地域を抑制し、公共投資を効率的に実現するかを目的としている。
 これが現時点での都市問題、地域問題の解決に不十分なのは明らかだ。
 現在は、東京都心以外の部分の都市がすべて人口減少、少子高齢化に苦しみ、生産年齢人口の減少、グローバル経済化などから、製造業を中心にして地域経済の衰退が生じている。それに対応しようにも、国家財政、都市財政は大幅な赤字を計上していて、行政も身動きができない。
 この現在の都市問題、地域問題を解決するために、当然、都市計画は大幅な改革、変革、見直しをしなければならない。
 この本は、今の都市計画制度をつくった世代の簑原先輩が、いわゆる「都市計画」なるものの欠点とそれに対する若い学者からの疑問点に答えている。この議論によって、今の都市計画制度の欠陥はよくわかる。
 しかし、「都市計画」なるものが、あらかじめ静的に存在すると考えなくてもいいのではないか。都市問題・地域問題を解決するための技術体系、政策体系であるならば、今の「都市計画」なるものが役立たないのであれば、役立つ都市計画にどんどん変えなければいけないということ。
 まず、この本をよんで、現行制度を作った先輩の「都市計画」なるものの考え方を押さえた上で、若手の、都市計画の専門家、都市プランナー、建築家は、今すぐにでも、次のステップとして、「これからの日本に必要な都市計画は何か」という議論を始めなければならない。

●佐々木氏のブログ 「革新的国家公務員を目指して―自由と民主主義を信じ国益を考える―」



評 : 藤原徹平 (横浜国立大学大学院Y-GSA准教授、フジワラテッペイアーキテクツラボ主宰)

 「これからの日本に、都市計画が必要ですか?」という本がオモシロイとあちこちでしゃべっていたら、書評の話が来て勢い引き受けたのだけれど、実際のところどこから書くか困ってしまった。本書は大学院のゼミのように対話形式で進んでいくが、参加者が何しろ切れ者揃いなので圧倒的に情報量が多い。数ページ読むごとにこちらの傍線やメモがどんどん増えていくという次第で、建築家、都市計画家になりたい人の新たな定番書として知られていくことは間違いないだろう。膨大な情報量を前にどこから書くか逡巡していたら、〆切を過ぎ、インドの視察旅行に突入してしまった。
 そんなわけで実はこのテキストをインドのチャンディガールで書いている。
 チャンディガールは近代建築の巨匠・コルビュジェのデザインした都市で、都市計画として失敗だという悪い評判も聞いたことがあったので、コルビュジェの建築を楽しめればという程度の思いでやってきたのだが、むしろ私は都市計画に強く惹かれた。
 最初の驚きは都市全体が森に包まれていることだった。インドというと砂岩の街というイメージがあったから、混植と単植を織り交ぜた深さのある植生や緑の厚み・量はすごいインパクトがあった。
 次に驚いたのは交通計画である。チャンディガールがセクターとよばれる自動車スケール(800m×1200m)の街区で計画されていることは知っていたが、各セクター内の道路パターンが実に緻密なデザインをされていて、とても歩きやすいことに驚いた。交通から考えた近代都市というイメージだったからもっと非人間的であると思っていたが、むしろ居住都市として丁寧にヒューマンスケールの道路を考えている印象だ。通過交通を抑制するパターン、細街路のグリッドにして通過交通も可能にしているパターン、低層コートハウスによる入り組んだ路地パターン、3〜4層の住居ユニットと一体で道路率を下げグリーンベルトを内包するパターンなど、大した力の入れようである。私が歩いた15くらいのセクターは全て異なっていたから、もしかしたら57あるセクターは全て道路パターンが異なるのかもしれない。(ちなみにコルビュジェのマスタープランにあるセクター内の道路パターンと実際のパターンは違っているので要注意。)調べてみると、チャンディガールでは、7Vsという7段階の道路属性をもつ独自の交通デザイン思想があり、交通デザインを軸にWalkabilityやコミュニティスケールをデザインしていったのではないかと想像される。
 私の知る巨匠コルビュジェはすごく大胆で、そして同時に結構大雑把な人という印象だったから一体どこにこんな緻密なマネジメントセンスがあったのかしらと、チャンディガールの建築博物館で資料を読み込んでみると、どうやらチャンディガールでは、コルビュジェのいとこのピエール・ジャンヌレが大きな役割を果たしていたようだった。ジャンヌレは、1949年にチャンディガールのシニアアーキテクトとタウンアドバイザーに就任し、以来1965年にチャンディガールを離れるまで16年間チャンディガールに滞在している。(ジャンヌレの遺灰は遺言でチャンディガールのスクナ湖に撒かれているからジャンヌレのまさにライフワークであろう。)ジャンヌレとそのチームが設計した建築と住宅タイプは90近くにもなるというのには驚いたが、同時にようやく腑に落ちるところがあった。オリジナルの交通システムをデザインし、それに呼応して無数の道路パターンを描き、道路パターンに連動して多量のハウジングユニットタイプをデザインし尽くすには、ビジョンだけでは足りず、現地での強烈なリーダーシップと緻密なコミュニケーションが不可欠であるはずだからだ。
 さて、書評ということからすっかり遠く離れてしまったようにも思うが、私が「これからの日本に、都市計画が必要ですか?」という書物から受けた最大のインスピレーションは、都市をデザインするための簡単な方法なんていうものはなくて、コルビュジェ+ジャンヌレのようにビジョンだけでなく、マネジメントと思考と時間を捧げて初めて、何かを成し遂げられるのではないかということである。そのために必要な熱量と思考の深さについて本書は、繰り返し語っているようにも読める。
 本書によって、一人でも多くの若い世代が、建築をオブジェクトではなく、都市や社会に関係があるものとしてデザインしていくための覚悟を胸に宿すことを期待している。

担当編集者より

都市計画は問題を抱え、時代について行けないまま、関心を持つ人(読者)が減っていく…、その状況で敢えてそもそも論に立ち返られたのが、大ベテランの蓑原先生と70年代生まれの若手研究者・実務者からなるチームだった。年代の違いによって、問題意識や姿勢の違いが議論にわかりやすく浮き出たと思う。建築出身のお二人の視点も新鮮だった。
編集にあたっては「関心を持つ人が減っている」という心配が大きかったから、それでも無視できない都市計画制度の存在感や問題点に気づいてもらうために、この本を「いかに手にとってもらうか」を考えることがミッションだった。タイトルや装丁も、執筆者の方々が真剣に議論を重ねてくださったおかげで実現したものだと思う。
(井口)