2003.11


連載第六回は「懐石」
町家改造系でしっぽりと初物尽くしの宴……、 のはずがあれれれれ。


みこう
京都市中京区河原町夷川西入一筋目上ル



めにうとお値段
八寸は栗の素揚げ・衣かつぎ・海老の押寿司等/はまち・鯛・鱧のお造り/海老・湯葉・茄子等の天麩羅/黒胡麻豆腐/鰆の幽庵焼/松茸土瓶蒸し/鱧と湯葉入りの赤だし/ご飯・お漬物/ゼリー・果物、ビールそこそこで7000円也

 今回は、いまひとつ盛り上がりに欠けた一席でした。原因は何だったのだろう、と考えてみると、ひとつは、客がわれわれだけだったということがあると思います。静かではあったけど、活気がないという印象もありました。それに、ビールを追加しようと思って声を掛けてもなんの反応もないということが再三であった、という点でも、ちょっと白けてしまいました。手入れされた庭を見ながらの食事は、雰囲気はたしかに悪くないけど、「こういう場を与えておけば、客は喜ぶだろう」という魂胆も見え隠れするような印象でした。もっとも、数ヶ月前に行ったときには、こんな悪印象は持たなかったのですが。
 さて、本題の料理です。
 まずあげるべきは、松茸の土瓶蒸しでしょう。初物だったということを差し引いても、おだしの味もきつすぎず、適度なまろやかさで、秋到来を実感させる美味な出来でした。しかし、次は、というと、なかなか特筆すべきものがあがりません。サワラの幽庵焼というのは、妙に味醂の味とにおいがきつかったので、私はサワラの味を楽しむという余裕をもてませんでした。それから、他の人も書くでしょうが、刺身も、とくに驚くほどの味というわけではありませんでした。刺身にも鱧が入っていたのですが、問題は、赤だしの中にも鱧が入っていたこと。在庫処分でもないだろうけど、これはちょっと失敗なのではないかと思います。そんななかで、イントロの八寸は、いい意味で手間のかかった洗練さを感じさせてくれました。
 結局、季節が秋に入ったような入らないような中途半端な時期で、しかも、あまりお客の来ない火曜日だったということで、いろんな意味でタイミングを逸したのかもしれません。それが盛り上がらない原因だったのだと思います。
 当然ながら、京都に住んでいても再々京料理ばかり食べに行くわけではござんせん。「懐石」なんて、「作法を知らなきゃ」とか「場をもたさなきゃ」なんて妙に緊張してしまうジャンル。でももともとは「食後の一杯のお茶をおいしく飲むために、ひとときをいっしょに楽しもうよ」と始まった茶懐石の流れをくむお料理です。もっとお手軽に楽しみたいなあ、とそんなわけで、今回は5000円以下で懐石を食べられるというお店に出かけてまいりました。
 御池通以北の寺町通は、老舗と新しいお店が混じる、街歩きにうってつけのエリア。昼間は人も多いのですが、一本東に入っただけで夜ともなればひっそりとしています。町家のファサードにぽっかりと浮かぶのれんに引き寄せられ足を踏みいれると、奥まで続く通り庭、その左手に店の間と奥の間が配されています。個室もあるようですが、この日は床の間前の、お庭も見えるお座敷席に通されました。
 まずいただいた衣かつぎと栗チップス、秋を感じさせますなあ。季節のものがちょっとずつ一皿に盛り付けられた八寸は、前菜好きN吉の舌と目の両方を楽しませてくれます。鰆<さわら>は読んで字の如く春が旬かと思ってましたが、秋も身がのってウマイそうです。幽庵焼とは醤油と味醂に切り身を漬けこんで焼いたものだとか。味付けは割合しっかりしています。そして、今年お初の松茸!香りはもちろん、秋の茸は味がしっかりしてて、おだしに魔法をかけるのです。
 んー、でもでも……おいしいのだけれど、全体に印象に残るものがなかったなあ。器も盛り付けも及第点なのだけれど「コレダ!」という驚きが感じられなかったのが残念です。もちろん、我々のコンディションにもよるのでありましょうが。とゆわけで今回やや不完全燃焼でごわす。
 東京方面などから京都に来る知り合いが、まずは行きたがるのが京料理、とりわけ「懐石」だ。八寸から始まって、お凌ぎ、お椀などと続くやつ。京料理の神秘性を、まさにその儀式的な食べ方に感じるのだろうが、もちろん、それなりの値段であるという高級感も重要となる。
 でも、京都に住んでいると、夏なら鱧、秋なら松茸などと、季節を感じさせる京都ならではの食材を、普段使いで美味しく食べたいと痛切に思うようになる。その期待に応えて、高級料亭とは別に、カジュアルに京料理を食べさせてくれるお店が、実はけっこうある。観光客相手の京料理「もどき」の店も多いが、それとはぜんぜん違う、高級店と比べても遜色ない味を出す店が確実にある。その代表格が、この「みこう」ではないかと思う。
 実際、八寸にあった「栗の素揚げ」や、蒸物として出てきた「松茸の土瓶むし」のおだしなどは、高級店のものより洗練されていると思った。ただ残念だったのは、肝心の鱧だ。この季節だと「なごり鱧」として、けっこう油がのって美味しいはず。それがだめだった。実は、7月にもこの店で食べたのだけど、この時の鱧は絶品だった。こうしたことがこの手のお手軽懐石の宿命なのかもしれない。季節がずれて食材が高価になったとき、むやみに安物を使わないほうがよいのかもしれない。しかし、こうした店にわれわれが期待する季節の食材には応えざるをえない。むずかしいところだ。
 でも、あくまで私はこの店の味が作り出す雰囲気が好きだ。気さくなおじいちゃんと息子さんが腕をふるう。アットホームな雰囲気なのに、味はびっくりするほど洗練されている。この雰囲気にこそ、こうしたカジュアル京料理の真髄がある。あ、カジュアル店といっても、実はもともとは河原町蛸薬師にあった老舗割烹「三幸」である。それが、この場所に、流行の町家改造系の店舗を工夫して引っ越してきたのだ。このことは、本来この店が持っていたはずの気さくな気質をより高めることになったと思う。こうした安くて美味しい京料理の店は、例外なく、同じような立地と雰囲気を持っているものだ。

 
  N蔵(えぬぞう):著述業に転進。迫りくる胃カメラデイに募る憂鬱  
   
  N吉(えぬきち):編集者。夏バテで食細りビヤガーデン焼肉に降参  
   
  N丸(えぬまる):団体職員。美食のお供に万歩計で摂生を心がける日々