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今回は、鶏のおいしさを堪能させてくれる店です。
鶏といえば、一方で屋台でワイルドに食べる鶏がありますが(この手の店についてもいずれ紹介します)、こちらは微妙な味の違いが楽しめる上品な町家改造系の店で、花見小路の奥まったところにあります。素材の良さ、香辛料等の組み合わせの巧みさ、といった点で、かなり良質の鶏料理です。
産地による鶏の微妙な違いを楽しませてくれるのが、厳選四種竹串焼きです。秋田の比内、名古屋コーチン、京都の地鶏、薩摩軍鶏という四種で、いずれも良くしまった肉ですが、どちらかというと名古屋と京都がちょっと柔らかめで、秋田と鹿児島が堅めという感じでしょうか。ともあれ、なんとしてもはずすことのできない逸品です。
そして、鶏に神経を使う店というのは卵にも同様であるということを良く示すのが、親子丼です。これは、石焼きピビンバ風なのですが、とにかくおいしい。これだけを食べに行ってもいいくらいです。問題があるとすれば、この親子丼を食べるタイミングです。店に入って、まずビールを呑みながら、地鶏の刺身などつまむ。そして、そこから竹串焼きや鴨団子、鴨つくねに移行して鶏の旨さを堪能する。そんな感じであれも食べたい、これも食べたいという欲求を満たしてゆくと、気がついたときには親子丼を食べる余裕が胃袋に残っていないということになりかねません。でも食べたいし、食べることをお勧めします。本当においしいのです。
侘屋特製ラーメンもあります。ラーメン好きとしてはもちろん挑戦しましたが、これは敢えて食べなくてもいいかもしれません。それよりは、地鶏のスープがお勧め。ここの鶏スープは、塩味が抑えめで、鶏本来の味がよくでています。ピビンバ風親子丼もそうですが、モツ煮込みなども、韓国テイストが隠し味になっており、味に幅が出ています。
なお、コースも四通りあって、これもいいものです。単品を頼んでいくとつい食べ過ぎてお値段も高めになるという、食べ過ぎ懸念の方は、とりあえずコースで満足感を味わうことをお勧めします。
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明らかに食いすぎである。
今回は驚異的に酒も飲まなかったというのに……。
あっさり好みのN吉は、普段から鶏肉をよく食べる。が、これは料理全般に言えることだと思うのだが、味付けが薄ければ薄いほど、素材の味は正直に舌に現れる。やっすい肉を買うと、「目つむって食べると何の肉かわからん」てな事態に陥るわけだ。しかもそういう肉はぱっさぱさで(素材の味を隠す味付けがよく沁みるように、とゆことか?)歯ごたえもない。
ここんちは、どのお料理も「産地違えば味違う」ことを感じさせてくれる。地鶏の種類はN蔵記事に詳しいが、秋田のは味が濃くて身が締まってる。名古屋は軟らかくあっさり、京都はジューシーで軟らかく、薩摩はどっしりした味で歯ごたえよろし。
味付けも変化球。韓国料理的仕上げあり、産地にこだわった塩あり。なかでも気に入ったのが鴨団子。食べた瞬間「あれ?」。バジルが効いてて、うまく鴨の臭みを消しつつ洋風に仕上げられている。
メニュー構成は全般的にこんな調子で幅が広く、ついついあれもこれもと頼んでしまい、気がつくと満腹。でも「卵もうまいんだからきっとデザートも」という誘惑についに打ち勝つことができず、デザートも食べてしまった……。
多彩に揃えられた焼酎と合うように、という配慮だろうか、味付けは全体的にやや濃い目。それでも素材の味はきちんとわかる。しかも鶏肉なんで胃にももたれん。
祇園という場所柄町家改造系だが、もちろん一見さんお断りどす、とゆことはない。ただ、個室はいくつかあるものの狭くて落ち着かず、防音もイマイチ。加えて鶏料理ということで串焼きとか手羽先といった「豪快に喰らって痛快」メニューが多く、美しく食するのは至難の技である。とゆわけで、遠慮しないお相手とゆっくりどうぞ。 |
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顔の見えない店というのがある。お店は綺麗でメニューも豊富だが、アルバイトによるマニュアルにしたがった接客しかできなくて、店主の意気込みが伝わらない店のことである。名前を変えながら次々とチェーン展開している店などは、みなこのタイプの店だ。こうした店が京都にも増えた。実は、この侘家古暦堂もそうした「顔の見えない」店の典型である。「内装、店舗名、グラフィック、テーブルウェア、など総合的にデザインした高付加価値型店舗の展開」をしている東京のグループが、古いお茶屋を改造して仕掛けた鳥料理の店である。こうした店の味は、ほとんどの場合「こんなもんでよかんべ」というレベルである。つまり、客の舌を値踏みして、この程度の味にすれば満足するはずだという戦略で、味の質も設定されるのである。
ところがである。この店の味のレベルは、驚くほど高い。どう見てもアルバイトとわかる店員が運ぶ料理は、しかしながら、どれもこれもすこぶる美味しいのだ。地鶏の「厳選4種竹串焼き」など、明らかに客におもねった色物的メニューなのだけど、ほんとうに1本づつが美味しい。素材だけではない。石焼風にアレンジされた親子丼や、上品な味に仕上げられたモツ煮込みなど、相当に凝った工夫が施されているものも多く、それがことごとくレベルの高い味に仕上げられている。
「こんなもんでよかんべ」では到底この味は出せないはずだ。どうしたら少しでも美味しい味が実現できるか、常にあくなき探求をしていなくては、この味は出せないはず。つまり、味に関して言えば、料理人の顔が見える、というか顔を見たくなる店なのだ。
これは、店舗をデザインするノウハウというものが、味のレベルまでついに到達したということなのだろうか。いろいろ考えさせられてしまう。そうそう、祇園のこの場所も考えさせられてしまうよな。この手の誰でも入れる「うまいもの屋」系が、ものすごい勢いで増殖してしまって、昔のお茶屋の風情は、建物の外観だけに残る、という感じになってきてしまっていますね。
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