|
われわれも京都の夏の風物詩である「床」を押さえておく必要があるだろうということで、老舗新三浦に繰り出しました。早くから日にちを決めていた割には、好天で気持ちのいい宵の一時を過ごすことができました。
目の前に横たわる東山を眺めながらの鶏鍋は、やはり京都の夏を十分に堪能させてくれるものでした。が、同時に、以前からこの店の座敷の方を利用したときに感じていたことを、今回は「床」で再確認したという思いもしました。
それは、まず仲居さんの問題。年配であるということが悪いのではありませんが、とにかく早く帰りたいという気持ちが丸見えで、席が空けば客がいるのに座布団をバタバタと片づけはじめるし、テーブルの上の皿もつぎつぎと引き上げていくという有様です。これでは落ち着かない。それともう一つは、本当にここの鶏は美味しいのだろうかと言うこと。たしかに、鶏ガラで出した特徴のあるスープはさすがに伝統の味という感じで、美味しい。でも、鶏の方はどうもすかすかな感じがします。これは以前からずっと気になっていたことですが(べつに四六時中鶏のことを考えているわけではありませんが)、今回、鶏鍋を美味しく食べるなら、別な店を選んだ方がいいということを確信しました。
では、この店で鶏鍋を食べて鶏が美味しくなかったらどうしたらいいかということですが、一品の方はまずまずでした。竜田揚げや胸肉の大根おろし和えに関しては、鶏の味もよかったし、いけました。鶏皮のキムチ炒めは皮のコリッとした感じがキムチとよく合っていて、ビールのつまみにもぴったりですし、白いご飯と組み合わせても十分美味しく食べられそうです。この店では、どうしても鶏鍋は食べないわけにはいかないのですが、一度一品ものだけでビールを呑みたいと思っています。ただ、最後の雑炊は味がよくしみていて満足のできるものでした。
今回もまた食べすぎました。それは反省しますけれども、その原因のひとつは、つい一品ものの方に関心を移してしまったからではないかと、個人的には思っています。 |
|
|
「納涼床」とゆのは、鴨川の西側河川敷を流れる「みそぎ川」の上に出されたテラスのこと。5〜9月までの営業が許可されてます。風が流れて風情ある、といえばそーなのだけれど、風のない暑い日は「なんでクーラーのあるこのご時世にわざわざ床で飲むねん」とゆ悪態ばかりついてしまう不思議な場所。
まあ、暑いけれども気分がよくて着る、浴衣みたいなもんですな。
四条あたりは街全体の騒音が「ウワン」と床にまで届いて、そんな喧騒の中で風を感じながらお料理を楽しむのもアリ、なのですが、すこおし静けさを求めるならば、北は御池通以北、南は団栗橋以南がよろしいのではないかと。で、今回は押小路にほど近いお店、新三浦です。
一同一品料理をつつきつつ、鳥鍋がゆだるのを待つ。
鶏皮のキムチ炒め、竜田揚げとも、なかなかにしっかり味付けされてます。竜田揚げって元々は「紅葉見立て」のお料理なのに、納涼床でええのでしょうか?などと思っているうちに沸いてきたぞよ、お鍋が。
京都に多い鳥鍋のお店では、まず、小さな湯飲みに塩を入れ、そこへ温まった鍋の白濁スープを注ぎます。これはテイスティングなのでしょうか? ここんちでは、この塩加減からしてもう仲居さんにおまかせです。うん、脂っこすぎず、ちょっと塩味がきついが、いいかんじ。
しんなり煮えたお麩や椎茸、キャベツなどをハフハフとポン酢でいただきます。酸味が夏の暑さによく合うのだけれど、ポン酢自体の味がちょっと勝ちすぎているような気もするので、スープで割りました。お鍋って味覚ユニバーサルなお料理ですね。具は熱いけれど、ほら、西の空もすっかり暮れて、風が出てまいりました。汗をかくほどではありません。
ずいぶんと苦しくなってお腹をさすっていたら、仲居さんがまた現れました。そうです、鍋です、雑炊です。いかん、一品料理にカマケテいて、すっかりセーブを忘れておりました。それでも大丈夫。鳥鍋のあっさりスープに助けられ、おいしく雑炊を平らげたことをご報告いたします。 |
|
|
納涼床も、最近は新参者の店も増えて、急激に昔の雰囲気と変わってきたように思う。そんな中で、床ならではの特徴的なお店として昔から変わらないものに、鳥の水だきの店がある。新三浦、鳥彌三、鳥初鴨川。みな老舗の有名な店だ。なんで木屋町通の床を出す店に水たきの店が3件も集まっているのだろう。ご存知の方は教えてほしいところだが、ともかく、床といえば、涼しい風に吹かれて、フーフー言いながら食べる水たきが、まず思い出される。ということで、今回は新三浦で食べてきた。鳥彌三も、鳥初鴨川も美味しいのだけど、(たぶん)最も手軽に食べられる(と言ってもけっこうなお値段だが)お店として選んだ。
確かに、納涼床に水たきのような料理は合うのかもしれない。高価な京料理を出すお店が多いのだけれど、あの手の繊細な料理は、静かな環境で食べて初めて値打ちがあるもの。床は、周囲の喧騒がダイレクトに聞こえるし、外気や風の寒暖もダイレクトに伝わる。なにより、そうした環境が人をうきうきさせる。そうした場所では、むしろ、ストレートでわかりやすい料理のほうが相応しい。
実際、新三浦の水たきの魅力は、あのストレートな味のスープにあると思うのだ。奥深い味の絶品スープだが、味の基本はあくまで鳥ガラと塩である。他の何者でもない。でも、このストレートさが、涼しさを伝える風に、ものすごくよく合うのだ。
そして、床は暗い。室内の蛍光灯のような明かりは望めないのだから、あたりまえなのだが、だから、料理が見えにくい。料理の繊細な色や形はもうどうでもよくなってしまう。であれば、鍋が一番。よく確認できない(?)食材を、どんどん鍋に入れる。けれど、スープそのものが絶品だから、どれも美味しくなる。そして、これが重要なことだが、この絶品スープが塩味で上品な味だからこそ、鍋も上品さをきちんと維持できる。決して闇鍋状態にはならない。
こんな風に考えてみると、鳥の水たきは、京都の納涼床のために考案された料理ではないか、とさえ思えてきたぞ。 |
|