2006.1

連載第23回は「おばんざい」
まっくらな住宅街で、ほっこりにっこり。


「わらじ亭」
中京区御前六角西入ル角 
tel)075-801-9685

めにうとお値段
ニラ団子、コロッケ、ベーコンジャガイモ、おから、ぶり大根、よこわ刺身、お茄子のたいたん、壬生菜の煮浸し、煮卵、かんぱち照り焼き、鶏肝、かぶらそぼろにビールそれなりにで一人4500円なり。

 今回は相当な覚悟をして出かけました。というのは、下見に行っていたお二人が、今回はなぁ、というような言い方でさかんに牽制していたからです。なぜだかは、他の二人の行間からも感じ取れるかもしれませんが、ようするに人間誰にでも得手不得手があるということです。
  しかし、結論から言いますと、杞憂でした。もちろんおばんざい系なので、苦手なものも多いのですが、カウンターに並んでいるもの見て選べるわけなので、自分から地雷を踏まない限り、まったく危惧する必要はありませんでした。
  で、そのメニュウのなかで、第一のお勧めは、コロッケです。最近は、コロッケを出す店が多くなってきたような感じがします。肉じゃがコロッケなどと称したりもしていますし、小学生の頃に経験したように、商店街で売っているコロッケを買って食べている学生のすがたを見かけることもあります。もっとも、コンビニの豚まんと一緒で、売っているコロッケのヴァリエーションはかなりのものですが。で、このような密かなコロッケ復活ムードがある昨今ですが、この店のコロッケはほくほく感とちょっと甘みのあるポテトの風味とが本当にいい感じです。ソフィストケイトされたコロッケではなく、素朴さを十分に残しています。そして、醤油をかけて味が加わることをちゃんと計算したようなところに奥深さを感じます。ソースでもいいですが、やはり醤油です。ベーコンジャガイモもいい感じです。これもやはり素朴なおいしさです。芋の選択と料理法の勝利でしょうか。
  その他のお勧めとしては、ぶり大根と煮卵があります。いずれもじっくりと味が染みこんだまろやかさがあります。
  要するにこの店のポイントは、京都の町にしっかりと根付いたおばんざい系の居酒屋であり、ちゃらちゃらと町家風にしてみたりしていない、どっしりとした落ち着きがあるという点です。よく味が染みこんだ店です。その点で、ドラマの舞台に使われるというのも納得します。沢口靖子がカウンターに座っている、そんな感じの店です。難点は、強いてあげれば、ちょっと行きにくいということでしょうか? タクシーで行くとしても、この場所という指示がしにくいところがあります。それはまた魅力でもありますが。
 野菜嫌いN蔵には酷か、と悩みつつも、そのおいしさに打たれて選んでしまったのが今回のお店です。情報を下さったE様、ありがとうございました。
  一度目は迷って延々歩いてようやくたどり着いたこの店は、繁華街から遠く遠く離れた場所に位置しています。住宅地でまわりはひっそりしているのにお店の中は活気が溢れてて、でも一見さんにもきちんと目配りしてくれる。好きですね、こういうお店。
  さて、京都の居酒屋さんのメニューには「サラダ」や「揚げ物」等のほかに、「おばんさい」というカテゴリがあるところも多いように感じます。そういうお店で不満なのが、「量が少ない」こと。きれーなお皿でちょっぴりって、懐石じゃないんだから、と思うこともしばしばです。ここんちはその点、不満ゼロ。ゴロッゴロのジャガイモが入ったベーコンジャガイモ、ほくほくです〜。和風の出汁でベーコンは洋風なのに、味が喧嘩してない。おからもたっぷり。自作するとパラパラ感と味付け濃淡のどちらかにバランスを欠いてしまいがちなこの一品ですが、お酒に合うように少し濃い目の味付けながら、気づくと箸を伸ばしてしまうという、まさに「常なるおかず」に仕上がっています。ぶり大根では、骨の周りの身にもしっかり味が染みていて、せせってもせせってもお箸を置くことができません。
  でもー、あれだけカウンターに大鉢が並べられていると、やっぱり一方で色々食べたい思いも抑えがたく……。加えて大鉢以外のお刺身や焼き魚などもあって、それがまたそれぞれでかい。たいへんに無念ながら、メニュー一巡を果たすことができませんでした。というわけで、少食女子二人チーム等には向かないお店かもしれないということを記しておきます。あ、そうか、だから何度も通ってしまうんか。
 われわれは、京都のおいしいお店を開拓しようと、日々努力(?)をしている。しかし、この場合の「おいしい」とは何を指すのだろうか。振り返ってみると、「おいしい」とわれわれが思うのは、未知の味である場合がほとんどだった。いままで食べたことのない味であることが「おいしい」の前提になっているのだと思う。それは、「おばんざい」の店であってもそうなのだろう。おばんざいは、ふだんの日のおかず(広辞苑)の意味だ。でも、ほんとうにふだんどおりの味では、われわれは「おいしい」おばんざいの店とは認定しずらい。そこに、食べたことのない独自の工夫を要求してしまう。しかし、そうした要求が、味に対する一つの偏った認識に基づくものでしかない、ということをこの店の料理は教えてくれる。
  端的に言って、この店の料理は、まさにふだんどおりの味なのだ。例えば、コロッケ。お肉のいっぱい入った家でつくるコロッケっておいしいでしょ?。あの味だ。しかし、その「あの味」が、思いっきり洗練されている。ぶり大根も、そうあのぶり大根の味だ。だけど、ぶりが脂っこくもなく、それでいてこくのある味にしあがっていて絶品だ。
  つまり、いままでさんざ体験してきた味をそのまま使ったとしても、その味を堪能できる料理を作ることは可能なのだ。そのことをこの店は証明している。いや、可能なだけではない。その味わいは、身構えることがない分、しみじみと堪能できることができる。ほっこりとした気分で食べられるのだ。
  あ、でもほっこりと食べられるのは、この店の立地も大いに関わっているのでしょうね。二条駅の裏手の御前六角なんて、少なくとも私は全く縁のないところだ。そう、この場所もふだんの日の生活の場所なのだ。おそらく、この店が京都の中心部にあっても、これほど人気の店にはならなかったと思う。ふだんの生活を、丹念に味にしみこませて堪能させる。そんな店なのである。
 
  N蔵(えぬぞう):著述業。携帯瀕死にて困惑、即レスマスター  
   
  N吉(えぬきち):編集者。パソ老衰にて恐慌、メカオンチ  
   
  N丸(えぬまる):団体職員。TV憤死にて愕然、テレビっ子