今、まちづくり人が求める情報とは
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パネルディスカッション

 

 

城巽五彩の会・坂本さんから

宗田

 まず最初に、 パネリストの方に自己紹介を含めてお話しいただきたい。 そして今日は「まちづくり人が求める情報」ということであるが、 今日は皆さんリーダーの方を中心にお集まりいただいているので、 「メンバーの方に情報発信をする」という発信元でもある。 そして発信しない情報も沢山抱えておられるだろう。 全ての情報を公開するのではなく、 どう情報を整理し、 仲間づくりのためにどのように発信するか、 という繊細な気配りをされていると思う。 このようなことを上手くやられたからこそ、 活発な取組に至っていると思う。 この辺りのお話についても、 お聞かせいただきたいと思う。

坂本

 こんにちは、 私は「城巽五彩の会」の坂本です。 「城巽」は、 二条城の巽の方角にあるのでこの名前が付いている。 「五彩」は、 着物に関わる5つの基本の色を指しており、 この色を当てて「職:ものづくり」「住:安心な生活」「遊:訪れてみたくなるまち」「学:伝統を活かした文化創生」「交:皆さんとの交流」の5つを目指したまちづくりを展開している。

 私たちの会は、 平成13年の9月から活動を開始しているが、 きっかけはその前年から始まった「歩いて暮らせるまちづくり」の「まちなかを歩く日」の第1回が、 隣の本能学区で展開されていた。 そこでは素敵な体験学習を実施されていた。 少しばかり城巽学区の方も参加していたが、 それを見た自治連合会の会長さんが「私たちもしなければいけませんね。 坂本さん、 やりましょう」といわれ、 取組をはじめた。

 平成13年の1月からPTAの関係者や環境の取組をしていた専門家などたくさんの人の知恵を借りながら、 まちなかの老若男女を集めて、 御池通の南北を交えながらいろんな知恵を混ぜ合わせていって、 その年の9月に会を立ち上げた。

 それからは毎年「まちなかを歩く日」に参加しており、 パリのシャンゼリゼ通りのように御池通の歩道にオープンカフェを開いている。 そして、 御池通で分断された私たちの学区内の交流を促進しようと、 これまで3回開催してきた。 そして今年は1,700人の方が来てくれるようになっている。

 しかし、 学区内にはまだ「何をやっているのか」という人もいるし「忙しそうにしているねぇ」といわれることもある。

 情報をどのように発信しているか。 私はこれまで発信の方向はあまり考えてこなかった。 収集するものについては、 「まちなかを歩く日」の推進会議で様々な取組の収集をしているし、 また新聞の情報も集めてきていた。 しかし、 私は真似をするのは嫌なので、 ソフトの面では他とは違ったいろんなことをしていこうと思っている。 例えば「御利益めぐり」として、 最近では安倍晴明の晴明神社が繁盛しているが、 私たちのまちにも神社が2つあり、 祠もたくさんある。 それを巡る企画を考えた。 このアイデアは、 何でもない会話の中で「こんなんしてはどうだろう」と出てきたものである。 みんなでコミュニケーションを取りながら、 次は何をしようかと考えている。

 まちなみ保全などどうするか、 という話も出ているが、 先ずは安心して暮らせるためのマップづくりを現在進めている。

 しかし、 関わっている人はまだ僅かであり、 少しでも関心を持ってもらえるよう、 よその情報誌よりは綺麗にしよう、 と五彩を使ったものを印刷して各戸に配布している。 これは年4回出すことにしているが、 段々と遅れており、 現在は5号まで出ている。

宗田

 情報収集の方法について、 女性らしい視点がいわれていたと思う。 男性はどうしても遠くから情報を求めるが、 「御利益めぐり」など足下から情報収集をされている。


本能まちづくり委員会・西嶋さんから

宗田

 次に西嶋さんにお話しいただきたい。 西嶋さんは、 NHKに登場されるくらい著名になられている方である。 京都市が進めている「職住ガイドプラン」や「まちなみ審議会」の取組にも参加されている。 しかし、 染めの仕事が安定しているか、 というとそうではないし、 伝統産業の衰退やマンションの建設も進んでいる。 しかしコツコツと活動を重ね、 活発な活動として展開されている。

西嶋

 私は確かに「宗田塾」の塾生のようなもので、 「本能まちづくり委員会」の立ち上げの頃からお世話になっている。 またまちづくりセンターや都市づくり推進課の職員の方も親身になってお手伝いいただき、 私たちが立ち上がっていくのに協力いただき、 今日がある。

 まちづくり委員会は、 平成11年12月に立ち上がった。 最初には、 まちの問題点を探ろう、 というところからはじめた。 そして地域には染めに関わる仕事をしている人がどれくらいいるのかというところからはじめた。 当時はマンション、 中でも賃貸住宅が多く立ち始めた頃であったが、 段々と分譲住宅に変わっていく時期でもあった。 旧住民よりも新住民の方が増えていく中であったが、 まずは染めに関わる人も沢山いることが分かったので、 地域の中で仕事が継続できるように考えていくこととした。

 なぜマンションが建つのか。 それは大きな工場が無くなったり、 和装業界が衰退していく中で土地が売られていくことで、 大きな土地は有効利用するとマンションしか建たないのであり、 ある種仕方がないと思うが、 これ以上マンションにならないようにするためにも、 先ずは産業が活発になっていくしかないと考えた。

 そのような中、 「歩いて暮らせるまちづくり」の京都での取組が、 全国の21地区の中の一つに指定された。 「学区内で何か取組が出来ないだろうか」と言われて、 「それなら、 私たちの仕事を見てもらうしかない」ということになった。 これは他の地区の人に見てもらうよりもまず、 本能に暮らしている人、 新しく住み始めた人に知ってもらう良い機会でもあった。 隣近所でも、 表で挨拶や立ち話をする程度で、 工場の奥にまで入ることはほとんど無かった。 そこを年に一度公開してもらい、 職住一体の住宅と仕事を見てもらい、 まちの雰囲気も知ってもらう上では大変意義があったと思う。

 この公開工房は以降毎年実施しているが、 同時期に新しい住民との交流事業を考えようと、 まずマンションの実態調査を行った。 2年前に調査をした時は61棟のマンションが建っており、 全体の4割が分譲であとは賃貸であった。 そして今年に入ってまた調査を行ったが、 マンションは4棟増えていて合計で65棟となっていた。 全体の割合ではファミリータイプの分譲が増加していて、 全体の5割を超えた。 ファミリータイプはこれから地域に根ざして暮らしていってくれることが期待できるし、 私たちの本能小学校は統廃合で高倉小学校になったが、 ここは非常にいい小学校でもあるので、 地域に根づいていって欲しいと思っている。

 現在は地区計画をさせてもらっているが、 今後目指すまちの姿の「しおり」を1年がかりで皆で検討しながら作った。 そこではまちの姿を3つあげている。 これを1つ1つ実行しながら、 地域で安心して暮らせるようなまちを実現したいと思っている。 当面は自主防犯を考えていこうと思っているし、 新しく来た人が地域活動に参加しやすいように、 まちづくり委員会がパイプ役になれるようにしていきたいと思っている。


河原町商店街組合・藤野さんから

宗田

 次に、 藤野さんにお願いしたい。 藤野さんは、 河原町商店街組合の理事。 同時に中京の都心部の16商店街の活性化委員で中心的な活動をされている。 商店街として売り上げを伸ばすだけでなく、 都心のまちづくりに対する提言的な活動もされている。

藤野

 皆さん初めまして。 河原町商店街振興組合理事の藤野です。 皆さんの地域には必ず、 顔の見える商店街があると思う。 昭和26年に京都商店連名という任意団体が発足したが、 法人組合は任意を併せて100商店街が加盟している。 河原町商店街も、 その傘下にある。 市内には11行政区を基本としてあり、 中京区の東の方、 ということで16商店街で構成する「中東支部」というのがあり、 そこで活性化委員会を作っている。 範囲は概ね丸太町、 四条、 烏丸、 河原町で囲まれたエリアで、 皆さんが通常遊ばれるところ、 あるいは青春を謳歌されたであろう場所である。

 私たちの取組は、 坂本さんや西嶋さんの取組と違うのかな、 と思ったところは、 最初から「商店街振興組合」という組織がベースになって取り組んでいるところであろう。 私たちは商店者の集まりなので「儲かるようにするには」というのが前提としてある。 そしてそのために何をするのか、 というのに始まって、 「まちづくりを考え直さなければダメだ」として、 活動をはじめている。

 まず16商店街の次期を担う人が集まってやったことは、 100円バスの応援団をやってきた。 無料利用券の配布や5種類のチケットを集めると「チョロQ」のプレゼントなどを行い、 この成果で100円バスの認知度も上がったと思う。 交通局の人は喜んでいたが、 私たちは商売人なので、 実はあまり儲かっていない、 という反省点がある。

 2年目は、 「交通問題は商店としても重要な課題だ」として、 フォルクスワーゲン社製のバスの乗車体験を「京のアジェンダ21」と一緒に取り組んだ。 河原町で乗車して、 御幸町通りを下がり、 四条通を抜けるというルートで実験を行った。 また、 電気自動車の実験も行い、 問題提起を行ってきた。 各商店街には様々な考えを持っている人がいるが、 彼らにもインパクトを与えて「まち全体をよくしないと、 商店街はよくなりませんよ」と訴えてきた。

 3年目は、 TMO計画についての検討を進めた。 京都では伏見が立ち上がったが、 私たちはおそらくすぐにでも認定がとれたであろうが、 やめた。 それは「造景」に「中心市街地活性化計画」が特集された号があり、 それを読んで勉強をして、 失敗事例を知る中で、 決定した。 京都の中心市街地の活性化計画は、 TMOのいけないところを見直して、 TMS(Town Management System)を勉強して作って提言した。 これは「造景」で勉強したことを踏まえて、 経営者達で検討をしてきた中で進めてきたこと。

 次年度は、 これをベースに各種活動をしていこうと思っている。 「平成版京都町衆の再生」をテーマに、 「まちづくり」ではなく、 まちの資産をどう使うかという「まちづかい」として、 町中をいかに繋いでいくか、 ということを会としてやっていこうと思っている。

 私たちはフェイス・トゥ・フェイスでやっていくこと(実際には飲み会が多いが)を大事にしている。 後は次世代の商人の育成を進め、 ファシリテーター、 マネージャーを育てる活動をしたいと思う。 このようなことを行政に対して働きかけている。


京都旅企画・滑田さんから

宗田

 京都ではよく知られているが「京都起業家学校」という、 自分で起業を考える人のセミナーコースがあり、 そこで優れた提案をした第1期生が滑田さんである。 滑田さんがされていることは、 これまでの観光会社とは全く異なる。 私も滑田さんの企画の相談を受ける機会があったが、 新しいコミュニティビジネスだな、 と感じた。 通常まちの中に埋もれている資源を掘り起こして、 上手に繋いでいくことをしている。 この新しいビジネスが、 京都をどのように変えていくか、 私自身楽しみにしている。

滑田

 皆さんこんにちは、 京都旅企画の滑田です。 私は今も祇園の支配人として23年間つとめているが、 2000年に「京都起業家学校」で、 「目先の収益よりも、 地域に貢献しなければいけない」と学んで、 先生や先輩の起業家の方々に教えを受けて、 その中で京都のまちづくりを考えた新たな切り口で旅の企画を発信しよう、 という会社を立ち上げた。 これは旅行会社ではなく、 プランを作る会社。 つまり「旅のコーディネーター」である。

 先日、 経済産業省の方と総合研究所の方が調査に来られた。 新聞などを見て「マニアックで、 今までにない会社だ」ということで、 話を聞きに来た。 国の方でも「観光立国・日本」というのが立ち上がり、 その一環で来られたようだ。 外国からゲストを迎えるにあたり、 最初は東京に来た後、 次に行く場所は大阪が多い。 大阪もいいが、 やはり京都のような歴史を持っている都市に来て欲しいし、 そのような発信が出来れば、 と思っている。

 祇園は、 全国でも名が通った場所ではあるが、 観光客が避けてとおる場所でもあると聞いている。 つまり「一見さんお断り」というイメージが強いのである。 冷たいまちのイメージもあるようだ。 「そんなことはないよ」と祇園の人はいうが、 「それではウェルカムの意思表示をしよう」ということで5年前に「歩いておくれやす 祇園マップ」を作った。 現在は9社が協賛しており、 費用は9等分している。 20,000枚印刷して、 一軒あたり約2,000枚を店先などで配布している。

 四条通から南は整備され、 自然と観光のルートになりつつあるが、 北側には私の旅館も立地しているが、 人通りが少なくて少し心配していた。 新しいまちづくりをしようというよりは、 まちが壊れていくような危機感を感じていた。 大通りはそこそこ人が歩いているが、 少し細い道や路地などはパッタリと人が通らない時もあった。 まちの人も共通の思いを持っていたが、 なかなか表に出せなかった。 祇園は上顧客がついているので、 急にダメになることはないが、 随分と寂しくなってきていた。

 そこで京都旅企画が、 宿泊客に限りだが、 午後4時から6時の間の2時間、 近くの祇園界隈を案内することをはじめた。 案内人は和服を着て、 お菓子や漬け物などお勧めのところを案内する。 案内するのは老舗で、 どれだけ美味しいものかを私たちは知っているが、 お客さんはそうではない。 しかし「試食をさせて」というと嫌がるので、 「1つだけ分けて頂戴」と予めお願いしている。

 このような企画は、 サービスよりもホスピタリティとしてやっている。 その代わり、 お客様にもきちんとルールは守ってもらっている。

 12月から販売するとあるエージェントのツアーでは、 それぞれのまちに根ざした旅館にまちを案内をさせるという企画を発信してはどうか、 という提案を受けたものが販売されている。 例えば錦市場で買った食材を使った料理を出す、 つまり食材の「持ち込み」を可能にしたツアーなどを盛り込んだものもあった。

 このようなサービスにより、 お客様も喜んでいるし、 まちの活性化に向けた発信にもなっていると思う。 最近は修学旅行でも、 町家など京都のまちについて学びたいという要求がでてきている。 ぜひ、 今日お越しの皆さんと色々情報交換をしたいと思っている。


元造景読者・大森さんから

宗田

 京都のまちで、 様々なことが起こってきていることがよく分かった。 大森さんは、 財団法人京都市景観・まちづくりセンターのプロジェクトディレクターとして、 京都のまちづくりを色々サポートしてきた。 「造景」を含め、 まちづくりの情報雑誌はサポーターのニーズに応えていただろうか。

大森

 初めまして。 私は財団法人京都市景観・まちづくりセンターのプロジェクトディレクターとして5年近く、 まちづくりのお手伝いをしてきた。 また、 元「造景」の読者でもある。 この雑誌は、 専門家は喜んで読んでいたと紹介されたが、 私も学生の頃から読んで勉強をしてきたことがたくさんあった。 そして「季刊まちづくり」という新しい雑誌がでることも、 喜んでいる。

 まちづくりを支援してきた中で、 情報誌はどれくらい役に立ったか。 「造景」は全国の事例が掲載されていたので、 ありがたい雑誌ではあった。 しかし実際に京都のまちづくりの中でどれだけ活かされたか、 というとまちの現場の話からは少し離れていたのでは、 と感じている。

 景観・まちづくりセンターは住民・企業・行政のパートナーシップのまちづくりを進めるための橋渡し役を与えられていたところだが、 前例がない中、 全てがはじめての取組ばかりで、 それぞれ我々で情報を集めて、 整理し、 発信してきた。 仕事の柱の一つとして、 この役割があった。 情報発信の取組の一つとして「ニュースレター」の発行があったが、 これに記事を掲載するに当たっては一般の雑誌や新聞も情報源としていたし、 多くの情報をチェックしていたが、 膨大な情報が集まっていたが、 基本的には「足で稼いだ情報」が一番確実で、 役に立つものであったと思う。 そして、 集めた情報をいかに発信するか、 というのが次に来る。 これはヒント、 キーワードになる話を整理して、 発信していた。

 私は主に京町家の保全再生に係る事業の担当をしていたが、 情報交流をすることが、 一番大事な仕事であった。 町家に住んでいる人、 町家でお商売をしている人、 関心がある人、 住みたい人など色んな立場の人がいる中、 それぞれに求める情報がある。 そして私たちは「何を求めているのか」ということを話を聞きながら判断し、 やり取りを重ねていく中で必要な情報が集約されていくのであった。

 そしてそれぞれの悩みの話は、 情報が繋がっていないことで悩まれていることが多い。 例えば「町家に住み続けられるのか、 直るのか」ということに対しては「直りますよ」とお伝えすること。 そして直らないと諦めていた人も沢山いることが分かった。 そして次のステップの情報は、 というように段々とステップを踏んで情報を伝えて行くことが大事。 そして「この人とこの人をつなげることが大事」ということも、 取組の中で気付きながら、 進めていった。

 様々な情報が飛び交っているが、 私にとっては「知人から口コミで聞いた」という情報が、 現場では役に立っていると思う。 信頼できる情報かどうか、 ということは周辺の情報と照らし合わせながら判断しなければいけないが、 それをまた口コミで広げていくことが大事であるな、 と感じている。


季刊まちづくり・八甫谷さんから

宗田

 大森さんが情報発信に色々工夫と苦労をされていたのがよく分かった。 これまでの皆さんの話では、 どなたもヨーロッパの真似をされていないし、 水戸黄門の登場を待たれたわけではない。 スーパーの女型の取組を展開されている。

 それでは、 ここまでの話を聞いた感想を、 全国の事例の話も含めて八甫谷さんにお願いしたい。

八甫谷

 話を伺って再認識したが、 どのまちでもまちづくりで活性化を図っている事例には共通点がある。 その1つは、 まちの資源を再発見して再利用していること。 京都では町家の活用などがある。 そしてまちの歴史に基づいて、 人間関係を再構築していく。 これによって、 1つのベースが作られている。 今日の話でも、 それがよく分かったと思う。

 2つめは、 プロセスを見せていくこと。 例えばものづくりなら職人の手業を見せていくとか、 隠れているものを見せていく仕掛けを採る。 そして3つ目にまち自体を多面的、 多重的に(路地の再生なども含む)見せて新しいまちの側面を出すことで、 活用していく。

 この3つの要素は全て「まちを共有していく」ことであろうと思う。 外から来る人にも開きながら、 共有する、 ということが行われていると思う。

 このような取組はさすが京都と思うが、 同様なことは全国でもされている。 「さすが」と言われるからには、 新しいビジョンを持ったまちづくりが、 この京都から生まれて欲しいと思う。 現在はその一歩手前かな、 という印象を受けた。

宗田

 私の感想としては、 果たして全国に発信していく必要があるのだろうか、 というように思う。

西嶋

 現在の段階では、 まだ「点」と「点」の取組であることは理解している。 それが「面」の取組になっていって欲しいと思っている。 色々ヨーロッパの事例といわれたが、 私自身はヨーロッパの事例を見たいとも思わないし、 私は京都が一番好き。 京都は何でも美味しいし、 優れた技術もあるし、 京都の知恵がどこに負けるとも思わない。 なので、 旅行に行きたいとも思わない。 それにより「視野が狭いなぁ」と思われるかもしれないが、 私は京都が好きだからだろう。 なので、 「これをもっと世に発信したい」と言うよりは、 「京都が好きな人をもっと増やそう」という動機になると思う。

 着物が現在売れなくなってきている。 現在は全国の催事などで販売されていることが多いが、 作っている段階の10〜20倍の値段を付けて売っている現実がある。 その理由は「京都のブランドがあるから」という。 しかし京都の着物ブランドは、 もう無いと思う。 つまり、 若い人が外国のブランドバックに10万円以上も出して買うのは「信頼」があるから。 しかし着物は場所によって値段が違うのでその信頼が無くなっている。 先ずはこの状態を崩さない限り、 信頼を持ってもらえるようなブランドにはならないと思う。

宗田

 まちづくりの手法として、 技術を発信する以前に、 京都が世に発信すべきものがあり、 それは「信頼」であるという指摘をいただいた。 自分のまちが好きであるというのは、 まちづくりのスタートの段階で大事なこと。 私にしても、 例えば東京の大学で先生をやっているよりも、 京都でやっている方がいい暮らしが出来る。 家から京都駅まで30分かからないし、 冬の朝に比叡山に積もっている雪を眺めるのも素晴らしい暮らし。 一度住んだら、 京都はもう離れられないと思う。

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