京都の老舗の数珠屋さん 中野伊助

 数珠つなぎコラム

「水晶について」

 拝啓、新緑の色ます季節 日野阿聞様におかれましてはいかが御過ごしでしょうか。先日は貴殿御連載の中でのお問い合わせありがとうございました。今回は貴殿が頭を悩ましておられる、水晶について御説明させていただきます。  実は、はっきり申し上げて、このような混乱した時期に職を辞すことが出来て安堵の気持ちでいっぱいなのです。と、申しますのは区別ができないからです。天然水晶・人工水晶・再生水晶・ガラス これらの違いを見分けることは非常に困難だといえます。
 たとえば水晶とガラスの区別は、その昔は透明度や、色・気泡があるなどその違いは簡単に出来ました。しかしながら、技術の進歩とともに、たとえばカメラや眼鏡のレンズのような、技術も高度でコストもかかるような高圧ガラスといったものなどは、形成成分は同じでも硬度・屈折率の違いはあっても見た目の区別はわれわれには無理でしょう。その見た目の区別ができないのを利用して、悪どい業者が行動しているのが、現状ではないかと思われます。水晶珠数の中にたとえガラスを混じらせても区別は出来かねます。たとえばセンター穴がずれてしまっていましたり、玉の穴口の面取りがしてなかったり、穴の中の磨きがなされてなかったり、多少傷があるのを油に浸したりして隠したり、色の悪い玉を美しく見えるように表面だけ着色したりするとか、しかもこの場合、ひび割れや傷の多い方が色が染み込みやすかったりします。
 悪いことをしようとすればいくらでも出来ます。しかし永続性は決して無いでしょう。それはここでわざわざ挙げなくても歴史が証明していることです。ましてや宗教に携わっている我々が、人を救う世界に関係している我々がそのようなことをして良いのでしょうか。もはやこれは人間性の問題です。
 次世代に伝えていくべきこのありがたい仕事を、今この瞬間の利益にだけこだわり自分だけが儲かればよい、自社だけで業界全体を牛耳ればよい、自分が自分が自分が…。あまりにも利己的で、物事をミクロ的にしか見ておられない、もっと広い視野で見て、マクロに捉え、業界全体の利益を考え、後継者に喜んで職を継いでもらえる、そんな風になっていただきたい。「共生」という言葉を真剣に頭に刻んでいただきたい。
 最後は少し感情的になってしまったかもしれませんが、貴殿はいかにお考えでしょうか?お知らせ下さい。それではお体ご自愛下さいませ。
  かしこ。

(こちょうのおきな・珠数師)
平成11年5月掲載 宗教工芸新聞より抜粋