京都の老舗の数珠屋さん 中野伊助

 数珠つなぎコラム

「瑪瑙について」その2

 拝啓、年末ご多忙の折から貴殿におきましてはいかがお過ごしでしょうか。
   さて前回は「瑪瑙」について書かせていただいておりましたが、いかがでしたでしょうか。
 単純に「瑪瑙」といっても多種多様で、自然の力で何万年もかかって色が着いていくものが科学の力で短時間で同じ現象が起きるというのはごく当たり前のこととはいえ、人間の力もたいした物だと思えます。その反面、梵天房の糸が取れることを直すことが出来ないのも、人間の行動のまた当たり前のことといえるのでしょうか。色々現役のときは試してみました(結び目に接着剤をつけてみたりしてみました)。しかし結局は同じでした。人の力で結んで糸を止めているのですから限界があります。
 お葬式や法事のとき僧侶の読経を聞きながら暇(?)なものですので、梵天を何気無しにいじっていると糸が一、二本抜けてしまいます。すると結び目に隙間が出来ますからそこから糸がごっそり抜けてしまい、後は修理かクレームというわけです。
 真言宗や日蓮宗の珠数の持ち方は、菊房部分を手のひらの中側に入れてしまいますから、珠数を擦ることで房部分も一緒に擦りますから自然と梵天も取れやすくなってしまいます。今更、菊房部分を手の外に出していただくわけには参りませんから如何ともしがたいという事です。
 これだけ世の中で技術が発達し、多くの事が機械化されていても「珠数」の世界は今でも何百年前のままで「家内製手工業」そのものと言えるでしょうし、「伝統産業」全体に同じ事が言えるでしょう。需要が少ないとはいえ又、市場が狭いとはいえ、これを克服してゆく事が業界の発展に繋がると言えるのではないでしょうか。そして二十一世紀を迎えるにあたって次世代の方のためのこの先を左右する大切な課題でしょう。
 私は頭の固い老人ですが、ぼけ防止のためにもう少し知恵を絞ってご協力させていただきたいと思っておりますし、年寄りの言う事はお嫌でしょうがもう少し聞いてやってください。お願いいたします。そうすればいずれ修理の件も今よりは良くなっていくのではないでしょうか。
 貴殿もお分かりかとは存じますが、「珠数屋」にとって修理の件が一番の問題といっても過言ではないでしょう。次回はその件について書かせていただきます。
 それでは寒い日が続きますのでお体ご自愛下さいませ。
かしこ

(こちょうのおきな・珠数師)
平成12年12月掲載 宗教工芸新聞より抜粋