京都の老舗の数珠屋さん 中野伊助

 数珠つなぎコラム

「日課珠数」

 拝啓、暑さ寒さも彼岸までとは申しますが、貴殿におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。 
 今年もはや八ヶ月以上が経ち、春の彼岸、夏のお盆が早くも終わってしまい、秋の彼岸が間近かに迫ってまいりましたが、貴殿の御店ではこの商戦にどのように対処されるおつもりでしょうか?私は年老いた身、今年の暑さはかなり堪えていて現役の頃が懐かしい反面「ほっ」としている今日この頃ですが、この暑さと不景気の中で貴殿の孤軍奮闘を陰ながら応援させていただいております。
 さてそれでは今回は前回が浄土宗の「百万遍珠数」でしたので、浄土宗つながりで「日課珠数」について説明させていただきましょう。
 この日課珠数は「阿波介」という人が考案しました。彼は京都の伏見にすんでいた里人でどちらかというと信心のない人だったそうですが、あるときの旅の経験から心を入れ替え、自ら髪を切って法然上人の側に仕えました。最後には陸奥の国(現在の岩手県)で藤原秀衡の建てた光堂で大往生をとげ、その遺骨はまるで水晶のようだったそうです。そんな彼が上人に仕えていた頃、弟子達が片手に持った百八珠数で念仏を唱え、もう一方の手に持った百八珠数で数を取っているその忙しさを見て日課珠数を考案したそうです。
 つまり百八珠数の二連を改作して一連は四十珠にして念仏を唱え、一連は二十七珠にして間に小珠を加えて数を取ってこれで一千遍になります。これに金属の環をいれて弟子珠をつけ、平珠十顆の一顆を上げて一千の数を記し十周すれば一万遍となります。一万遍になれば丸珠六顆の一顆を上げますのでこれを繰り返せば六万遍となるわけです。これが現在の八寸・九寸日課珠数を六万遍繰という理由です。
 実際には計算すると六万遍以上になりますが、当時の事ですからあまり細かい事にはこだわらなかったのでしょう。そしてその数を半減した三万遍繰、つまり二十七珠と二十珠にした日課珠数ができました。と、いうことが有名ではありますが、実際に考案したのは「阿波介」ですが実は中世の頃、一心院の称念上人が改作して完成したものだそうです。宗祖法然上人がその教えの中で「ただひたすらに念仏をあげよ。そうすれば往生できる。」と説いているように、浄土宗では「南無阿弥陀仏」をあげる回数がいかに大事であるかがこの日課珠数からもうかがい知れることが出来ます。もし景気が回復するためなら自分が浄土宗でなくてもひたすら念仏をあげてみるのも良いことでしょう。
 それでは暑さがまだ少し残っておりますのでお体ご自愛くださいませ。
かしこ

(こちょうのおきな・珠数師)
平成13年8月掲載 宗教工芸新聞より抜粋