京都の老舗の数珠屋さん 中野伊助

 数珠つなぎコラム

「日本は元々、恥じの文化である」

 拝啓、惜春のみぎり貴殿におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
 最近、ある文献で知ったのですが「日本は元々、恥じの文化である」と。恥じる事を良しとしないから何でもかんでも右に習え式になるそうです。他人と同じでなければいけない、恥ずかしいのです。
 かってのユニクロもブームと呼ぶには異常なほど、誰でもかれでもそのファッションであった時期もそう言えるでしょうし、ブームの終焉も「自分と同じ服を着ている人を見るのが恥ずかしい」とまたそうなのです。茶髪が流行ればまた誰でもかれでも、です。どうせするなら、たまには青や緑や銀にすればいいのに、まったくと言ってよいほど見受けられません。
 昔は「女の黒髪は烏の濡れ羽色」といって、黒ければ黒いほど美しいのに、今はどこ吹く風です。老人が白髪を隠すために、銀髪に染めたりするのがおしゃれに見えるのは、私が年寄りのせいでしょうか。素人が家庭で簡単に髪の色染めが出来るようになっていますが、簡単に出来るというのは、強い染料を使用する事になるから、髪の毛も傷めている事になるので、よほど手入れをしっかりしておかないと後々困る事になるでしょう。
 しかしほとんどの人は後の事は考えず「流行に乗り遅れるのは恥ずかしい」から、茶髪もしくは栗色に染められます。たまに見かける音楽関係の怪しげな人(髪の毛を鶏のとさかのように立てている人)の髪色のほうが以前は変に思っていましたが、よほど個性的でかえっておしゃれに見えます。これ以外にも、たとえば携帯電話を小学生でも当たり前のように持っていられる。両親共働きによる安全面等必要部分もあるでしょうが、「持っていない子がいじめの対象になる」というのもあるそうです。これもまた日本人の根底に流れる「恥じ」の一端でしょう。
 つまり「いじめの対象」=「周りの大勢と違う」=「恥じ」となるようなのです。このように個性的なファッションが流行る時代といわれているにもかかわらず、実は少しも個性的でないのです(もちろん私たちの若い時代のファッションとは違いますが)。
 今の時代は個性が大事とまことしやかにいろいろな紙面を飾っていますが、その部分を深く考えてみる必要がありそうですし又、そこが商売につながるのではないでしょうか?
 宗教用具業界も多種多様な新製品が毎月のように販売されていますが、目新しさだけではなくて「人の根底に流れていること」「根付いていること」を解き明かしてみる事が、業界発展につながる糸口になるのではないでしょうか。
       「温故知新」 かしこ

(こちょうのおきな・珠数師)
平成14年5月掲載 宗教工芸新聞より抜粋