拝啓、虫の音美しい頃、貴殿におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?
さて前回の続きでありますが、豆腐とともに納豆もまた仏教伝来とともに僧たちの中国との交渉が始まってから伝わったものと考えられています。しかし、納豆菌で発酵させ、強い粘りをもった糸引き納豆の歴史は浅く、由来は明らかではないそうです。日常の食卓に納豆が登場するようになったのは、明治時代以降の事で、関西やそれ以西の地方では近年まで食べられていませんでした。その一方で、大豆を塩水に浸し、コウジカビを使って発酵・熟成させた納豆は奈良時代に伝えられています。塩味が非常に強いので、味噌のように調味料として用いられていました。今で言う大徳寺納豆(京都)がそれです。
ところで納豆の語源は『大言海』では「納所の僧の豆の義」とあり、納所大豆が納豆に略されたようで、納所とは、寺院で布施の物品を入れておく所の事です。さて、このように珠数が日本に伝来してきた同じ頃に、豆腐にしても納豆にしても伝わってきているのに食品とはいえ当たり前の固有名詞として皆さんがご存知ですし、相当多くの方が口にされているでしょう。
しかし、珠数はご存知でもお持ちでない方はまだまだいらっしゃる。同じような歴史(古さ)を持ちながらこの差はいったい何でしょうか?つまりはあまりにも目に付くところに無い、ということからではないでしょうか。
百貨店に買いに行ってもどこにあるかわからないのが現状ですし、第一、脇に追いやられて売場がどこの店でも狭いです。それではせっかく買いにきたお客様を逃がすことになってしまいます。仏壇店の新店舗開店でも珠数についての商談はほとんど最後ですし、ひどいときにはあまったスペースに置かれていた、などという経験もあります。こんな扱いの「珠数」でも今良く耳にする「ブランド力」がつけばまた違った見方がされるでしょう。
そう言う意味で有名人の名が、かなり後押しするような商品が必要です。単純に水晶ですとか何々の珠ですでは世の中に物が満ち溢れていて飽きられているようですが、耳にしたことのある人が推薦というとまた違った印象になるでしょうし、ある種、ブランド品のように付加価値がつくように思います。それにこれぐらいの気合の入った商品が世に出てこないと業界が元気にならないでしょう。大いに期待しています。
前回では「なかなか誰もが知っている商品にはなりにくい」と書きましたが、こうなればもしかしたらもしかするかもしれません。私が現役の時代にこの様な商品ができていれば、又違った人生を歩んでいたかもしれません。私自身もそうですし、珠数業界自体もまたしかりです。
偏った価格競争にならないで、独自性を持ち、なお且つ変わらぬ普遍性があり、脈々と続く工芸品としての芸術性を兼ね備え、それでいて釈迦の時代に出来、日本に仏教伝来と共に伝わり、天平年間以降から今日まで、ほとんど変わらない製作方法(手作業)で繋がっている珠数が今以上に認知されて、わかりやすく言えば「珠数小売専門店」が門前だけでなく街の都心部に堂々といくつも存在する。そんな風になっていたかもしれません。私の誇大妄想でしょうか?いえいえ決してありえないことではないはずです。今からでも遅くはないでしょう、珠数の世界も「ブランド」品が必要な時代になってきたと思います。
編集部より 先月号の「珠鬘」で掲載致しました東京国立博物館蔵「頭蓋骨透かし彫り念珠」を寄贈された亀井半七氏は京都・亀井珠数店当主の御祖父様になるとのことです。
かしこ
(こちょうのおきな・珠数師)
平成14年9月掲載 宗教工芸新聞より抜粋