建築科1年生による休憩所の設計2004中間発表

 9月は前期と後期の間にある集中講議月間となっており、色々な講議演習が用意される中で、例年、休憩所という小さく機能要件が軽いデザイン重視の設計演習を行っている。今年も10数名の学生君たちがエントリー。府立植物園の中で各自が気に入った場所で「憩う」ということを建築にしてみようというものである。9回の演習日程の中間となる13日にスタディ模型をもって公表会を行った。以下、50音順に紹介しよう。本人のコンセプトにさのがコメントをつけている。

1 青木  進   『 軸 〜浄化〜 』

この植物園は、様々な想いの歴史を浄化した産物だと思う。そこで今回、休憩という定義の再構築により、現代府民の想いを浄化する休憩所に挑戦している。そこには、浄化の助けとなる一本の軸が、天と地に存在する。この休憩所の必要物である絵馬と絵馬立て。この2つが天と地をつないでくれる。この軸が、府民と自然と神のネットワークに貢献できることを期待している。敷地に手を入れるのは、かなり怖いが、この休憩所を静かな笑顔で出て頂けるような風景にしていきたい。

 青木君の選んだ場所は、植物園内にある半木(なからぎ)神社の境内に隣接した木立ちの中で、この神社は植物園になる前からそこに存しており、主に職工さんたちの信仰をあつめていたという。青木君の言う「歴史」の含意するものの一である。この神社に詣って、絵馬を書き、願をこめて、絵馬を納める壁に懸けるという一連の行為によって、他の方法では得られない「憩い」(「浄化」)を得ようというものだろう。そのための場所の構成が青木君のねらいとなった。(さの)

 

2 天池 寿志   『湖面の上で』

空と水の発見

 天池君のねらいは、さほど大きく無い池の水面に近接して張られたハンモックにねそべり、滝口からこぼれおちる心地よい水音を枕に空を眺めたいというもののようだ。できれば、熱い日ざしを除ける薄物の屋根が欲しい。この模型はそういうコンセプトからはちょっと遠そうだ。休憩のテーマである寝そべるという姿勢を見た目にも心地よいものであるよう、工夫が必要だね。(さの)

 

3 金政 宏治  「human work or a starfish」(仮)

「ヒトデのかたちをしたイス」

植物園はいささか人為的に造られすぎている。効率よく育てるために植物を等間隔に配置し、手入れしやすいように区分わけをし、大きな道幅をとっている。植物の生態系というよりは、陳列であろう。しかし、植物は長い時間をかけ自らの生態系へとかたちを変えている。土に根を拡げ、空に向かって葉を繁茂させる、風や昆虫の力をかり種子を飛散させ生態を分布させる。人にとってはあまりにもスパンの長い出来事なため気づくことはあまりないが、そのエネルギーは強く、生態系の景観を終わることなくつくりだしている。が、しかしここは植物園である。植物がデザインしていく密林では観覧者にとっては危険地帯である。生態系と人為のバランスの中で、休憩所の可能性にはどのようなものがあるだろうか。雨風を防ぐためのシェルターとしての役割であろうか、自然になじむ肌理(キメ)であるべきか、或いは両方であるのか。「人の手」は、何処まで入れるべきなのか、入れて良いものなのか。

ところで、先日、休憩所案を考えるために植物園を訪れた。暑さを凌ぐために木陰にはいると、生い茂る木々の間から差し込む光は風に揺らいでいた。もし、海底から夜空を望むことがあるならば、水面にうつる星の光はこのようなものであろうか。  

 ヒトデは、漢字で表記すると「人手(ヒトデ)」もしくは「海星(ヒトデ)」である。

 残念ながら、この植物園は、府の職員による管理のしやすさが一番の命題のようで、植物の勝手にはさせない。といって、きめ細かい手入れもできるわけではないので、自然の景も庭園美も求められない。少なくともベースとなる半分程度は、人の手を入れないで、ほったらかしにしてみたらいいんじゃないかと思ってしまう。そうすれば、落ち葉が堆積したふうわりした土壌から、いろいろな芽が生えい出、生物たちも繁殖するのだ。そうなれば、金政君のヒトデも、きっと嬉しいだろう。(さの)

4 倉岡 賢二  「石と三角形のある風景」

神聖な石と人が共に休める場所

 

 水車小屋のあたりは木立が深く、あたりは暗く寂しい。その中に、淀んだ小川のほとりにあるひときわ大きなひらべったい石に倉岡君は着目した。何か神聖な気配を嗅ぎ取ったらしい。石を磐座並みにアップしてあげたい。そこにぬかづいて座すような憩いの場をイメージした。でも、ベンチに座ると、ちょうどくだんの石は足置き場にいいのです!

 まずは神聖な扱いをしてあげましょう。(さの)

5 鈴木 智晴  ” The Lotus Garden ”

まるで海を渡るうねりのように葉を揺らす蓮の美しい景色を楽しんでもらうだけではなく、そこに来た人が幸せに感じられるようなるような時間をすごすことのできる休憩所として設計した。

コンセプトは、

・ 周囲の景観を壊さず、デザインとして優れたもの

・ 落ち着ける空間

とした。

試作の模型は、大まかな外観を形にしたものだが、直径約36mある半月形の池の直径線分中央部から水面上に設置することにしている。当初は北または東の間を望めるような休憩所をと考えていたが、池の形から南に池を望めるように配してある。

休憩所の形は、休憩所が南向きということもあり、南側の屋根の軒をできるだけおとしたものとし、また水面の上に設置することにより、視界を確保するだけではなく蓮との距離や水面との距離による緊張感を、また水面の上に設置することによって水面に高く伸びる蓮との一体感を出せるようにした。最終的なフォルムは、桂離宮やミースの建築を参考にしたような水平に広がりのある休憩所となったのだが、小さい池が設置する休憩所によってさらに小さく見えないように、また休憩所の自体のフォルムを壊さないようにと、水平方向のボリュームに気を使った。試作の模型の屋根は床から2200mmで水平に設置されているが、実際には緩やかな勾配で南側の軒をさらに下げた片流れの大屋根を考えている。

休憩所内には3人ほど座れるベンチを2脚と格子壁を2箇所設置する。格子壁を2箇所設置することによって、開放的になりすぎず閉鎖的にもなりすぎずの落ち着いた空間を狙っている。格子の間隔は今後の課題だが、西側に配する格子幅は、西側の景色を望める程度のものとしたい。

 蓮池に浮かぶ亭は、昔から風流人の格好の居場所であるが、高さが問題である。通常、背の高い蓮の群れを眺めるポイントは、葉の上に床を設けるのだが、鈴木君は池の大きさを考えて、ぐっと落としている。実際、植物園の蓮は未成熟かと思えるほど育ちが悪く、背も低い。むしろ、ここでの見どころは、冬に枯れて無惨に折れ砕ける哀れな蓮の景なのかもしれない。

 模型写真で見るように、格子の面が小さいと、効果は少ない。柱が池の水面から出ていて、床が一部になっているのがいい。現実には、水に接して腐りやすい柱脚をどうするか、悩むところだが。(さの)

 

6 泉水 麻里

 紆余曲折の末、行き着いたところが「腰掛待合」でした。当初より、休憩所には「座る」ための機能と雨や日差しから「守る」ための機能は欲しいと思っており、かつ周囲の環境をなんとなく繋ぐものを目指していました。しかし先生から指摘されたように、先人たちの素晴らしい遺物がある以上、デザインが非常に難しく、やはり私には時期尚早・・・というか永遠に無理かなー、とちょっと後悔。でも今の自分の精一杯を発揮してみたいと思います。

 背面に桜、前面に蓮池を望む外腰掛け待ち合いのようなしつらい。古来から多く数寄者が好む題材であるが、どうぞ、堂々と挑戦するなり、きちんと勉強してください。初心者に限らず、いい勉強になるはずです。(さの)

 

7 南原 那美

休憩所を建てる敷地が少し暗いところなので、無理に明るくしようとせずに、暗さを生かして落ち着ける場所を考えました。生えている木が背の高いものが多いので、休憩所自体が上へ向かってフワッと伸びていくイメージで、大きさが徐々に小さくなっていく円を配しました。また、半島を囲むようにして生えている木と柱を重ねて、休憩所の内部からでも池の水面を見られるようにしています。休憩所全体の高さ、柱の本数、柱の高さはまだ考え中です。

 池に半島のように突き出た部分に、隙間なく立っている荒々しい杉の木立に囲まれ、護られた空間のふところに、かぼそい柱を円状に並べ、不完全な天蓋を戴く二重に護られた空間を意図している。そこに、天蓋から吊るされた籠の椅子にすっぽりはまるのだから、さぞかし、ここには、髪の長いか弱き少女が腰掛けて読書するといった光景が似合いそうだ。(さの)

8 野上 香苗   『水の流れ』

全長20メートル程の池。そのほとりにある半円の石に立つと右奥に小さな滝、池一面に浮かぶアサザが見える。なんとも微妙な大きさの池なので、背の高いものも似合わず、小さいものでも埋もれてしまう。そこで、水面を這ってみることにした。石に立っていると気付かないのだが、滝の反対は小川へと続いている。その滝から小川への水の流れを表現した。ただこのままでは弱い上に材質や具体的な用途等もまだ定まっていないので、もっと詰める必要がある。

 なるほど、こういう柔らかな曲線は女性的ですね。これをガラスでつくるとのこと。透明感のあるガラスか樹脂の厚い板を水面に浮かべる。照明を効果的に使えば、さぞかし夜に映えるだろう!植物園を夜間にフットライトとスポットライトでライトアップしてやれば、それはなかなかいいものになるかもしれない。夜間拝観はお寺だけではないぞ。昼間は氷のような風情にしてやればいいのかな?(さの)

9 羽鳥 裕史   「溜まり」

木に囲まれた不思議な感じのする空間があって、そこにくっ付いたこれもまた木に囲まれた場所があって、そこを閉じるための壁だったり何かいい感じのものを受け止めるためのものだったりします。

 先の南原さんの場合とは逆で、樹に囲まれた空間を開けておいて、その手前に丸太で包まれたベンチを置いて、そこから、先の空間を眺めるというものだ。自らが包まれ護られるか、護られた空間を外から眺めるか、実は、どちらも同じ眼差しによって語られているのだ。(さの)

 

10 濱田 康一    「木の枝の鳥」

 

ヒトとひととの出会いからの目線の変化、ヒトとのつながりを感じる場…ドキドキ

 

 タイトルからも、コンセプトからも、どんな休憩所かよくわからないですね。跳び箱のロイター板さながらに、バネがあって、座ると沈むような弾力性のあるベンチが共同態意識をかもし出すのだそうです。自意識過剰かな〜?(さの)

11 掘越 みどり

早くコンセプトをください)

12 山中 一雄  「四季の変化を楽しめる休憩所」

 

 

水面にある休憩所ということで360度見渡せる空間。橋をわたり湖面の中央あたりに配置するので、どこから橋を架けるかと考えると、針葉樹の方からもみじ・枝垂桜の見える方向に向かって橋を架けたい。橋を渡りながらも両サイドから、もみじ・枝垂桜の見えるので、来る人が「あそこで休憩しよう!」と言ってもらえるような場所であるといい。休憩所から見る四季の草木と水面を見る人の目線(レベル)を変えることで、いつも自分が見る目線とは違った感じで風景・水面を見て楽しんで寛いでもらいたい。

 池の中に浮かぶ休憩所は、毎年挑戦されるテーマであるが、大事なポイントは、舞台の位置。次に、橋がかり。これほど見る、見られるを全面的に引き受けるテーマはない。能役者と同じだ。舞台に向かう橋懸かりと、池に大きく開く側の隅柱に、もっとも重要な緊張がある。舞台の屋根を重くしないこと。(さの)

 

13 横峯 康之

私は,休憩所の場所が,木の葉に包まれた空間の中にあるので、風景を見る場所ではなく,風景の一部として見られる休憩所を作りたいと思い,休憩所は休憩している人達が隠れるような感じにして,休憩する場所を包み込むように作りました。

 これも樹に囲われ護られた空間にさらに自分自身を包み込む容器を考えている。見られる視線を強烈に感じるために、隠れるということをテーマにしている。なんという両義! (さの)