HISTORY OF MESO-AMERICAN ARCHITECTURE
TEOTIHUACAN No.1

テオティワカン No.1
: Teotihuacan, Mexico; Proto Classic - Early Classic; B.C.100-600
- メソアメリカ最初の宗教文明であるオルメカ文明が B.C.200年頃衰退したあと、メキシコ盆地の5つの湖の周辺では小さな祭祀センターが林立した。
その中で、メキシコ市郊外北東約50kmのメキシコ中央高原に、「神々の座所」という意味をもつテオティワカンの神殿複合体が他を圧して一大宗教都市に発展した。
- オルメカの神であったジャガー神は雨の神トラロック神に、蛇の神は文化の神ケツァルコアトル神に姿を変えた。また、雨の男神トラロックに対し水の女神チャルチウトリクエ神、農耕における植物の再生と関係の深いシペ・トテック神が生まれた。
- テオティワカンの時代区分は
- テオティワカンI;形成期後期(Late Formative);B.C.300-100;(オストヤワルコ地区)
- テオティワカンII;原古典期(Proto Classic; B.C.100-A.D.300)
- テオティワカンIII;古典期前期(Early Classic; A.D.300-600)
- (テオティワカンIV;チョルーラ、テスココ湖畔アツカポツァルコに移動)
に分かれ、III期の最盛時には20平方キロを越える面積に人口10万人から20万人におよぶ大都市であった。都市は碁盤の目状に計画されたと思われる。神殿群のある周囲には壁をめぐらした居住区域が広がっていた。
- 平和な農耕と商業の文化が栄え、各地に影響を与えていたが、7cにオトミ語を話す北方の狩猟民蛮族の侵入により崩壊したといわれる(滅亡の理由はよく判らない)。
月の広場と死者の大通。月のピラミッドから南を見る。
- 月のピラミッドは大通りの北端に位置し、左奥には太陽のピラミッドが見える。
1998年10月に月のピラミッドの発掘中、A.D.150年頃生贄にされた者の墓の中から黒曜石やヒスイの人の形の破片が見つかった。
- ほぼ南北(17度東に傾いている)に3kmにわたる死者の大通りを中心軸として、4.2平方キロの区域内に神殿群が広がる。
死者の大通南端から見る。右奥は太陽のピラミッド。
- 突き当たりは月のピラミッドだが、かすんで見えない。
- 月のピラミッドは基底部で140mx150m、高さは45.8mで4層。A.D.100-350年頃。
高さ17m、タルー・タブレーロ様式の5層の付属基壇を持つ。

撮影:堀田晃一

[No.1]死者の大通り
: [No.2]太陽のピラミッド
[No.3]ケツァルコアトルのピラミッド

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