HISTORY OF RENAISSANCE ARCHITECTURE
St. MARIA DEL FIORE No.1

サンタ・マリア・デル・フィオーレ No.1
: St. Maria del Fiore, Italy, Firenze;
Dome=1418-1436; Dome=Filippo Brunelleschi設計


- フィレンツェではひときわ目立つこの建物は「ドゥォーモ(大聖堂)」と呼ばれており、建築としてだけではなく、フィレンツェの都市を構成している都市的な規模の構築物です。
フィリッポ・ブルネレスキのこのクーポラ(円蓋部分)によって中世は幕を閉じました。
かってない大空間を覆うドームの実現を可能にしたのは、ドームを二重にしたりリブを設けたりする構造上の新しいアイデアや、ドームを築く型枠を無くす工法などの施工上の工夫でしたが、ブルネレスキのなした最も革命的なことは、ギリシア古来の美学上の重要な法則である比例に裏打ちされた透視図法による建築空間の創造でありました。
中世が開拓し発展させた建築技術は、中世のように技術を表現の前面に押し、技術自身が表現であるのではなく、このドームが内と外の二重の皮膜によって覆われ、内なるドームと外なるドームにおのずと分けられ、外部空間と内部空間、およびその境界の表現へと深められました。そして、構造技術は表現を支えるものであり、表現は中世的構造技術から自立していきました。
(同様に、視覚的に二重ドームを用いることになった近代建築のの顕著な例としてシュタインホーフ教会(オットー・ワーグナー設計:Vienna,1905-7)があげられます。)
- もとは1296年に起工されたゴシックの建物ですが、鐘塔は1334年からジョットーによって起工され、ドラムの上に載る内径43mの八角ドームは1418年の競技設計でブルネレスキの案が1420年から着工されました。
内径43mといえば、ローマのパンテオン(Roma, A.D.2c)を思い出します。このような巨大なクーポラは過去にあるのはパンテオン、そして1346年に崩壊したイスタンブールのハギア・ソフィア聖堂(A.D.6c)くらいです。
- クーポラの全高と基部の直径の比は2対1で、この比率は大聖堂のあらゆる部分を統御しています。

- ドームの二重性に見られるように、ルネッサンスは<視覚>を通して<表現>が大きな主題となっていった時代です。
特に、フィリッポ・ブルネレスキによって原理的に追求され、レオン・バチスタ・アルベルティによって理論的に確立された「透視図法」の概念は、表現に大きな変革をもたらしました。
このドームにおいても、内部空間、外部空間それぞれの透視図法が「比例」と「尺度」のもとに展開しています。
- 現代の芸術という意味の英語の<art>(アート)にあたる言葉はギリシア時代にはなく、ローマ時代になって<ars>(アルス)という言葉ができました。
じつは、ギリシア時代には<techne>(テクネ)という現代の技術 <technics>(テクニック)に当たる言葉が、その<art>(芸術)と<technics>(技術)の両方を意味していましたが、そのギリシア時代の言葉<techne>がもつ二重性が<表現>という世界の中で明確に分離していったと言えます。
注:<techne>(テクネ)や<ars>(アルス)などについてより詳しく知りたい方は
Architectonについて解説しているページを参照して下さい。

[No.2]

撮影:平松省二

他のサイトにある画像データ:<gopher://gopher.lib.virginia.edu/I9/dic/images/westfall/>

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