HISTORY OF ROMAN ARCHITECTURE
ARCO DI TITO

ティトゥスの記念門
: Arco di Tito, Italy, Rome; A.D.81

- ローマにおいて保存されている最も古い記念門。ドミティアヌス帝(A.D.81-96)によって、父ウェスパシアヌス帝と兄ティトゥス帝のために建てられた。
上部の奉献銘文が記されている部分をアッティカ(古代建築におけるエンタブラチュア上の中二階状の部分)といい、下部の門の部分をピュロン(pylon; パイロン; 門、塔門)という。
- 記念門の代表作として、初期はこのティトゥスの記念門、中期はセプティミウス=セウェルスの記念門、後期はコンスタンティヌスの記念門がある。
ティトゥスの記念門は中央に一つの通路を持つ一門式凱旋門の端正で簡潔な姿をしている。他の二つは3つの通路がアーチで架けられている三門式の凱旋門。[注1]
- 一門式凱旋門は、初代皇帝アウグストゥス(B.C.28-A.D.14)によりいくつも建てられ、こののティトゥス帝のアーチで最高点に達する。
アーチ門の奥行であるヴォールト内部はたっぷりとられ、次第に空間化される。
三門式凱旋門では、ローマのフォルム・ロマーヌムにあるセプティミウス・セウェルス帝(A.D.193-211)の凱旋門(A.D.203, Rome)などのように、三つのアーチ門である大きな中央のヴォールトと両脇の小さなヴォールトの奥行方向の中央に、それと直交するようにもう一つの交差ヴォールトを開けて繋いでおり、さらに凱旋門には内部空間と呼べるようなものが強調され、「ほとんど空間的形成体(ゲビルデ)ともいうべきものに形成されるに至る」[注2]
- 「ルネッサンスにおいては、独立してたつ石造の凱旋アーチは建てられなかった」(かろうじて木造はある)。「ルネッサンスとバロックの建築において凱旋アーチをおろそかにしたのは、門の下を通り抜けるということが、もはや、祭式的に浄めるという意味を持たなくなったからであろう」[注2]

[注1]
- 記念門(Ehrentor, Ehrenpórte)は、凱旋に際して「再生の義において、罪の浄化という意味をもって」[注2]門を通り抜けるというその由来からして、一般に凱旋門(porta triumphalis, Triumphtor)と呼ばれるが、しかし必ずしも厳密に区別する必要はない。
[注2]
- 建築 その変遷---古代ローマの建築空間をめぐって;S.ギーディオン;前川道郎、玉腰芳夫共訳;みすず書房;1978;より

撮影:平松省二
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