JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築

大徳寺(本坊) No.1

- 場所:
- 京都市北区紫野大徳寺町:TEL 075-491-0019
- 拝観:
- 非公開
- 交通:
- バスで大徳寺前下車すぐ。
- 時代:
- 龍宝山大徳寺。臨済宗大徳寺派。雲林院の一部を賜わって1324年(正中1)大燈国師を開山とする。
1325年(正中2)花園上皇の祈願寺となり、1326年(嘉暦元年)法堂完成時に龍宝山大徳寺と命名。
1333年(元弘3)後醍醐天皇より天下無双禅苑の宸翰(しんかん;天子の直筆の文書)を授かり、五山に推された。1467年応仁の乱で焼失。一休和尚が堺の富裕な商人の支持を得て復興。
山内の塔頭の多くは武将が創立した。織田氏の総見院、豊臣氏の天瑞寺、三好氏の聚光院、細川氏の高桐院、小早川氏の黄梅院、金森氏の金龍院、黒田氏の龍光院、前田氏の芳春院など。
- 見所:
- 山門(重文)、襖絵(狩野探幽)、牧谿の掛軸(必見!曝凉展にて公開される)、法堂(狩野探幽の鳴龍)
- 唐門:桧皮葺四脚門。江戸時代初め1603年(慶長8)と明治時代の1899年(明治32)の棟札が見つかり、伝承どおり聚楽第の遺構だった可能性が高くなった。日光東照宮の模した型で、見飽きないことから日暮門とも言う。
- 方丈:1636年(寛永13)造立。一重、入母屋造り、桟瓦葺き。29.9Mx18.5M,6間x1間,唐破風造り,桟瓦葺きの玄関が付く。
- 方丈庭園:1636年(寛永13)方丈の再建と同じ頃に完成されたものと考えられるが資料がなく不明。(京の庭を巡る;重森三玲;白川書院;1975)
- 方丈東庭:七五三庭、または十六羅漢の石組と見られる。一休寺の方丈東庭とよくにている。真珠庵方丈の石組ともにている。(京の庭を巡る;重森三玲;白川書院;1975)
- 一言:
- 方丈の襖絵は狩野探幽作。寺宝には莫大な量の掛け軸があるが、特に牧谿の観音図、鶴図、猿図三幅は必見。曝凉展(毎年10月始め頃)にはぜひ行くべし。
金毛閣(山門)。
- 大徳寺山門。下層は間口11間、奥行6間。上層は間口10間、奥行5間。金毛の獅子に典拠する編額の字は、雲英宗偉の筆。内部は拝観禁止。
- 1529年(享祿2)に単層の山門を連歌師柴屋軒宗長らの寄付で建立。1589年(天正17)利休が私財を投じて上層の構築をし、金毛閣を完成した。楼上には、もと龍翔寺の本尊であった釈迦像と迦葉、阿難の二大弟子の像を安置し、その左右に十六羅漢を祀った。その羅漢像に伍して雪踏をはき杖をついた利休の木像をならべた。(人物叢書 新装版 千利休;芳賀幸四郎;吉川弘文館;1963;p.275)
その利休像の下をくぐって通ることになり、秀吉は利休に堺への下向を命じ、はては切腹させるに至る。(高桐院を参照)
- 内部の天井には長谷川等伯筆の蟠龍図、昇竜図、降竜図の天井画が描かれている(1589年,天正17)。
そのほかにも天井に天人像、迦陵頻伽像(かりょうびんがぞう)、壁や柱に波図なども描かれている。
金毛閣背面。
金毛閣。

[No.1]金毛閣
:[No.2]法堂
:[No.3]法堂内部
:[No.4]牧渓
:[No.5]塀

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