JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築

玉林院 No.1

- 場所:
- 京都市北区紫野大徳寺町74:TEL 075-491-8818
- 拝観:
- 不可
- 交通:
- 京都市バス(205,206)で大徳寺前下車、建勲神社前下車。。
- 時代:
- 1603年(慶長8)、曲直瀬正琳(まなせしょうりん)が月岑(げっしん)宗印和尚を請じて建立。大徳寺塔頭の一つ。
- 見所:
- 簑庵(三畳中板台目切りの茶室)。霞床席(四畳半の茶室)。
- 一言:
- 拝観はできない。簑庵の「すさ壁」は茶室の壁を語るとき必ず出てくるほどのもの。霞床席の床と掛け軸もその奇抜かつ見事な発想でつとに有名。

- 簑庵:三畳中板台目切りという珍しい例。表千家七代の如心斎の好み。露地の中潜り、腰掛け、雪隠などをへて西面の躙口からはいる。
- 霞床席:貴人口をそなえた四畳半の茶室。一間の板床に違い棚を背後の壁から離して設けてあり、広幅の富士の掛け軸を掛けると違い棚が富士にたなびく霞のような景色を与える。
格天井、張付壁などは書院風であるが、柱は杉丸太、床框は太い煤竹、長押も竹の付鴨居と草庵風に自由に崩している。しかも、内法高、長押は四面で高さを変えてあり、格調の中に意匠の変幻を自由に持ち込もうとしているが、その成功しているかどうかは微妙なところである。空間分割は天井ではなされておらず、逆にその内法高の違う壁面の構成、意匠で意味や空間構成の変化を与えている。
- 南明庵:入母屋造り妻入りの祠堂。鴻池了瑛が大龍和尚に牌堂の建設をはかり、如心斎が南明庵を中心に西に小間の簑庵、東に書院として霞床席を配した。
柿葺きの住宅風の瀟洒な建築。楽長入作の赤楽の敷き瓦をはめ込んだ基壇の上にたち、南と東に濡れ縁をめぐらす。

- 亭主畳と客畳は炉の巾と同じ一尺四寸幅の中板で隔てられ、炉によって畳の切欠きをなくすすっきりとした意匠をもたらしている。
自然のもので構成された室内に色香をもたらすような腰高の壁紙と相まって、やもすると泥臭さが強くなりがちな長すさと油壁の表情にモダンなすがすがしさと緊張感を醸し出している。
- それと同時に、お茶を点てる鎖りの間を別に設けた書院の茶のように、はっきりと給仕と飲茶を分け隔てている。如心斎の面目躍如たるところであろう。

- 床の間。右手は花頭に切られた極端に低い給仕口。
- 草庵茶室の壁に白亜しかなかった世界に赤土を持ち込み、油と長すさを混ぜ込んだ壁は、京都の揚げ屋であった角屋の磨大津、青貝の間などとともに壁自体が物語を語りかけるかのような意匠である。
簑庵のわらすさが現す壁は、物質的であるよりもむしろ、自然を象徴しているかのようである。そして物質的な壁に太陽の光が当たると象徴的な壁にへと変身する。
西日が射すとき、油壁の長すさは黄金色に輝き、神々しいばかりであった。20数年前に見たその光景は未だ忘れられない。


北区に戻る
JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTOに戻る

増田建築研究所のホームページに戻る