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人生七十 力囲希咄というものでした[注3]。その朝から雷鳴も轟く荒れた天候のなか、利休屋敷のなかで自刃して果てました。
吾這宝剣 祖仏共殺
堤ル我得具足の一太刀
今此時ぞ天に抛つ(じんせいしちじゅう りきいきとつ)
(わがこのほうけん そぶつともにころす)
(ひっさぐる わがえぐそくのひとたち)
(いまこのときぞ てんになげうつ)
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「天を驚かし地を動かして、関将軍(関羽)の太刀を奪い得て手に入るるが如く、仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、生死岸頭に於て大自在を得、六道四生の中に向かって、遊戯三昧ならん」よりむしろ、「臨済録」にいう
「仏に逢っては仏を殺し、祖に逢っては祖を殺す、羅漢に逢っては羅漢を殺せ」によるべきであろう。
「仏祖を截断し、吹毛常に磨く。機輪転ずる処、虚空牙を咬む」と同じ次元として捉えねばならない。
(注;吹毛とは利剣(=鋭利な剣)のことである。余談ではあるが、「宗湛日記」によると、利休は切腹半年ほど前の茶会に、「吹毛」からはじまる春甫和尚の墨蹟を掲げていた。)
(注;近重物安説に言う、中国蜀の禅僧、幹利休の遺偈が利休遺偈に酷似していたとしても、意は言外にあるとすべきであろう。)
「汝等諸人この山中に来って、道のために頭を聚む。衣食のためにすること莫れ」と説き、遺誡に
「老僧行脚の後、或は寺門繁興、仏閣経巻に金銀を鏤め、多衆閙熱(にょうねつ)、或は誦経諷呪、長座不臥、一食卯斎、六時行道、縦使(たとひ)恁麼(いんも)にし去ると雖も、仏祖不伝の妙道を以て胸間に掛在せずんば、忽ち因果を撥無し真風地に堕つ、併是れ邪魔の種族なり。老僧世を去ること久しくとも児孫と称することを許さじ。或はもし一人あり、野外に綿絶し、一把茅底、折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過ごすとも、専一に己事を究明する者は、老僧と日日相見、報恩底の人なり。誰か敢えて軽忽せんや。勉旃、勉旃。」と述べるが如くに、まことに仏道の正脈を堅持しようとした求道一途の禅僧であった。そして利休遺偈もまた、妙超の禅の道をなぞらえるがごとく、まさに利休が発心し、求道し、生きぬいた侘茶の道そのものであろう。
(「いかに形の上で立派になり、学徒が集り、規矩が行なわれても、仏祖不伝の妙道を胸におかなければ真風は地に堕つ。小さな草庵で脚の折れた鐺(なべ)で野菜根を煮なければならないような生活をしていても、己事を究明している者は宗峰と日日相見する報恩底の人である」(「日本中世禅思想の展開」荻須純道)
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