JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築
真珠庵
- 場所:
- 京都市北区紫野大徳寺町52:TEL 075-492-4991
- 拝観:
- 特別公開時のみ(春、または秋に年1回ぐらい)。
- 交通:
- 京都市バス(205,206)で大徳寺前下車すぐ。
- 時代:
- 永享年間(1429-1441年)に一休宗純を開祖として創建。応仁の乱(1467-77)により大徳寺は荒廃、真珠庵焼失後、1474年(文明6)一休宗純が大徳寺の第47代住持に任ぜられ復興に盡力、真珠庵は1491年(延徳3)堺の豪商尾和宗臨(おわそうりん)によって再興された。
- 見所:
- 庭玉軒(茶席)。方丈障壁画(室町時代)。七五三の庭園。一休禅師墨蹟。
- 庭玉軒:金森宗和好みの茶室の写しと考えられる。
- 松平定信(楽翁)(1759-1829)が作らせた起し絵図集の「真珠庵囲」の表の付箋に、金森家が建立した金龍院が売却されたのち、天明の火災で焼失したが、その金森宗和好み囲の写しが真珠庵にあり金龍院のと同じであるのでそれで「真珠庵囲」起し絵図を作ったとあり、庭玉軒はおそらくそれに該当するものと考えられている。(参考:図説 茶室の歴史;中村昌生;淡交社;1998)
- 二畳台目、中柱付き、台目切り、下座床。床柱は栗。壁は油壁といわれ、独特の味わいを見せている。
- 中柱は赤松皮付きで壁押さえには製材を用いている。同じ構えの高桐院松向軒の曲がり中柱に横竹を入れているのに比べ格式の高さを示している。
- 中潜りは建物に密着し、内露地は屋内のようになっており、座敷の上がりには二枚障子となっている。
この内坪の外観が建物を小さく見せ、きわめてこじんまりした珠玉のような七五三の庭に対して適切なスケールに納まっている。
- 天井は客畳は掛け込み天井、亭主畳は落ち天井とこれも松向軒と同じ。ただ、庭玉軒には墨蹟窓がある。
およそ20年前に未公開ながら電話して押しかけたことがある。その時に、あまりのスケールのこじんまりさに驚嘆した。しかも、各部の寸法は厳密でまさに「花の占めたる位置の確かさ」であった。
七五三の庭から中潜りを経て、茶室内にはいると、その狭小な空間に濃密な、しかもとぎすまされた空間があった。かなり長い間その中で心を澄ましているとそれぞれの素材の息づかいが触れんばかりに語りかけてくる想いであった。
先日再び訪れたが、もう庭玉軒の中に入れさせて貰えなかった。しかし、その濃密な空間は未だに息づいている。
同様な空間を経験したのは、フランク・ロイド・ライトの作品であった。兵庫県芦屋市にある山邑邸である。そして目白にある自由学園でも少しばかりその気配を感じた。こちらの方は、その非常に小さいスケール感が庭玉軒を思い起こさせた。
近年は年に1回ぐらい秋、または春の特別拝観がなされることがある。各名席が拝観拒否をする中で、普段一般公開はしないとは言えその機会を与えてくれるのは非常にうれしい。真珠庵での感動は私の建築観の源泉の一つになっている。

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