JAPANESE ARCHITECTURE IN NARA
奈良の日本建築
法隆寺 No.2
法隆寺東院伝法堂(講堂)。奈良時代 729-743年。北西より見たところ。
- 聖武天皇夫人、橘古那加智(たちばなのこなかち)邸の一部を移築改造したものと考えられており、従って本来は<住宅>です。
- 現在桁行き七間であるが移築前は五間であり、三間が仕切られた<室>で二間は吹き放ち、さらにその前に広い簀の子縁がありました。古く、浅野清の復元研究があります。
- 大斗肘木、二重虹梁蟇股。勾配の緩い軽快な屋根、太く力強い軸組・架構は天平建築の特色。
柱間の構造横材は細目の頭貫だけで柱の力強さが強調されています。
- 床を張った現存最古の建物。
古代の住居形式として、竪穴住居、平地住居、高床住居と分類できます。地面そのものである<土間>に木の枝やアンペラ(むしろ、あるいはむしろ状のもの)を敷いて、おそらく寝所だと想われる領域をつくった例は竪穴住居に既に見られますが、床を上げ、土間からきり離すことによって土間と意味を違えた領域を空間化していったのは平地住居からだと考えられます。
いま現在の私たちの住居も、平地住居のひとつだと考えられます。
- 法隆寺東院鐘楼。鎌倉前期。
- 三間二間の楼造、一階に腰板を張って軸部を見えなくした袴腰付。鎌倉時代以降は袴腰付き形式の鐘楼が多くなってきます。もう一つの形式として、四本柱を立てた一重の鐘楼があり、普段よく眼にするのはこれです。
袴腰は、単に内部の4本柱の構造を隠した化粧であり、東大寺の鐘楼の構造自身の豪壮さを表現しているのと対照的な、表現主義的なものとなっています。袴腰の上に設けられた勾欄も、実用性はなく全くの装飾です。
- 古代寺院では鐘楼と経蔵が講堂の前方左右に配置され、伽藍の重要な位置を占めていました。
[No.1]:金堂・塔・講堂
[No.3]:東院夢殿・金堂・塔・中門

撮影:平松省二
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