JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築

実相院 No.1

- 場所:
- 京都市左京区岩倉上蔵町121:TEL 075-781-5464
- 拝観:
- 9:00-17:00(12月-2月は9:00-16:00):500円
- 交通:
- 京都バス24,28番で岩倉実相院前(終点)下車すぐ。叡山電鉄岩倉駅徒歩15分。
- 時代:
- 鎌倉時代初期の建立。大納言鷹司兼基の子、静基僧正を開基する。
- 見所:
- 一仏八僧の枯山水庭園と借景。桃山時代の回遊式庭園。京・江戸両狩野派の124面の襖絵。本尊の不動明王木造立像は鎌倉時代。
- 一言:
- 岩倉村の中心をなす。天台宗の名刹。もと園城寺に属し、寺門派で数少ない門跡寺院。
- 花 :
- 紅葉(11月中旬)。

- 実相院の前身である実相房は、970年(貞元3)頃には園城寺内にあった。
天台宗寺門派で数少ない門跡寺院であったが、皇族の入室制度は明治以降廃止され、1952年(昭和27)独立して既成宗派に属しない単立寺院となった。
鎌倉時代初期の1229年(寛喜1)(現在の北区紫野上野町にて)創建。
大納言鷹司兼基の子、静基僧正を開基とし、現在の京都市左京区小川通今出川を寺地とした。
のち五辻通小川(現在の上京区実相院町。この町にはのち、本阿弥光悦が住んでいた)に移り、そして1411年(応永18)、もと大雲寺の塔頭寺院、成金剛院があった現在地に移される。
室町時代末、兵火により伽藍の多くを焼失、1641年(寛永18)第17世義尊僧正(足利義昭の孫)が、皇室と徳川3代将軍家光の援助により再建した。
その後、後西天皇の皇子義延親王が入室し、以後法統は代々皇孫をもって継承され、義周法親王が第20世門主となったとき、大宮御所から東山天皇の中宮「承秋門院の旧殿」を賜わり、1721年(享保6)四脚門、御車寄せ、客殿(本殿)など移建し、それらは現存する。
- ここより少し奥の長谷(ながたに)に寺門派の長谷寺という解脱寺があった。足利義政も常に逃避地として撰んだ所であり、智証大師の木像(康治年間(1142-3)の墨書あり)もあった。
- 大太古代には、古い植生を保存することで高名な深泥ヶ池と、巨椋池とが連続した淡水湖であり、両方で食虫植物のタヌキモが見られる。現在深泥ヶ池と宝ヶ池の北に宏開される高原地帯が岩倉と呼ばれる地域となっている。
- 狩野派の絵画が多く現存する。
- 御車寄せの大衝立の「唐獅子図」:狩野元信の筆と伝える。
- 御車寄せ、使者の間の「七仙人の図」「四季の草花」「紅梅下の鶏」:狩野永敬筆と伝える。
- 仏間の「竹林に虎」「松に藤」の杉戸:狩野探幽の筆と伝える。
- 公家の間の「坪割の図」「琴棋書画」の図:狩野永徳の筆と伝える。
- 客殿の三つの間と上段の間の「群鶴」「波」「滝」「謁見の図」:狩野永眞の筆と伝える。

- 往時は蹴鞠の庭であったが、明治に枯山水庭園に作庭。釈迦が伽邪園において八大弟子に華厳教を説いた構図。中央の石仏は鎌倉時代の作。


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