JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築

来迎院 No.1

- 場所:
- 京都市左京区大原来迎院町537:TEL 075-744-2161
- 拝観:
- 9:00-17:00:500円。
国宝、重文の寺宝は毎年5月1日-5日、11月1日-5日に公開される。
- 交通:
- 大原行き市バス、京都バス17,18番 終点大原下車徒歩25分。三千院の近く。
- 時代:
- 慈覚大師円仁が唐で声明(しょうみょう)を修得し、帰朝後、声明の道場としてその発祥の地、中国天台山に模して堂塔を建立したという。
後に衰退し、平安時代末期に融通念仏寺開祖の聖応大師良忍上人によって再興されたといわれる天台宗の古刹。
- 見所:
- 木立の中に埋もれた俗界から離れた寺域。
国宝を含む寺宝:日本霊異記中・下巻、伝教大師度縁案並僧綱牒一巻など。
- 一言:
- 円仁が伝えた天台声明を統一させて魚山流声明を確立、声明の根本道場とした。
大原はオホハラと呼ぶべきではなく、オハラと発音するという。
- 花 :
- 紅葉。11月中旬。

- 慈覚大師円仁(794-864; 伝教大師最澄の弟子、叡山の第二祖)が838年から847年にかけて中国(唐)に渡った際、山西省五台山の太原(タイユワン)で五台山念仏「声明」を修得した。
唐から帰朝後、太原に似た環境の大原の地に、声明音律(梵唄)の道場として中国天台山に模して堂塔を建立したという。
- 藤原時代(10-12c)に大原の里一帯は、叡山を離れた念仏聖が修行する隠棲の里となった。
声明は叡山において師資相承されてきたが、9代目寂源上人が1012年(長和1)に声明専門道場として大原の地に勝林院を開いた。
聖応大師良忍上人(1072-1132)は 勝林院の永宴について声明を研究し、魚山流の梵唄を伝授され、1109年(天仁2)に三尊院、のちの来迎院を建立、円仁が伝えた天台声明を統一させて魚山流声明を確立、大原を声明の根本道場とした。
1426年(応永33)の火災で三尊院は多くの堂塔を焼失したのち、大原は、上院来迎院と下院勝林院を中心として坊が集落化する別所となり、総称して魚山大原寺(ぎょざんだいげんじ)と呼ぶようになった。
- 声明は経文に音曲をつけて歌詠するもので、起源はインドにおいて数千年前、サーマベータ(吠陀教)に始まる。今様、浄瑠璃、謡曲、民謡などの邦楽に影響を与えた。
声明発祥の地とされる伝説の地、中国の魚山には、寺域に、声明の音律になぞられて、呂(りょう)の川、律(りつ)の川、音無の滝があり、大原の地一帯もそれにならって昔から魚山とよび、呂川(りょうせん)、律川(りつせん)、音無の滝とそれぞれ名付けられた。(「八瀬・大原 三千院;海青社;1988」山田恵諦天台座主巻頭言による)
三千院、来迎院の境内は呂川、律川に挟まれており、律川を300m遡るところに音無の滝がある。
また、「呂律(ロレツ)が回らない」の呂と律は、ここからきている。
- 唐から声明を伝えた円仁は、天台密教の修行法として常行三昧を重視し、848年(承和15)常行三昧堂を叡山に建立した。その常行三昧堂の中で真言を唱えながら阿弥陀仏のまわりを回り歩くことによって、次第に修法を音楽的な念仏と結びつけていった。
円仁が比叡山で常行三昧を初めて修してから、これが不断念仏として定着、阿弥陀仏を念ずることによって浄土の世界への成仏を願う信仰が流行し、比叡山の横川で浄土教が生まれていくことになる。
一方で阿弥陀仏のまわりを常行する修法は、山岳修験道と結びつき、千日回峰行の密教的修行として比叡山無動谷を中心として密教の自然回帰へと展開してゆく。


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