JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築

三千院 No.1

- 場所:
- 京都市左京区大原来迎院町540:TEL 075-744-2531:FAX 075-744-2480
- 拝観:
- 8:30-16:00(12月-2月)、8:30-16:30(3月-11月):600円、中高生300円、小学生150円
- 交通:
- 大原行き市バス、京都バス17,18で終点下車徒歩15分。
- 時代:
- 伝教大師最澄上人(767-822)が開基とされる。
- 見所:
- 往生極楽院と庭園。本尊の薬師瑠璃光如来(秘仏)。往生極楽院の阿弥陀如来坐像とその脇侍。
- 仏像:
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- 往生極楽院:阿弥陀如来坐像、観音菩薩正坐像(1148年)、勢至菩薩正坐像(1148年):木造漆箔。平安時代。
- 救世観音半跏思惟像:重文。寄木造漆箔、玉眼。鎌倉初期。胎内に中臣行範の五箇条の願文が納められていた。
- 不動明王像:重文。木造古色。平安時代。胎内に円仁作の不動明王像の頭が納められていた。
- 薬師瑠璃光如来:本尊。秘仏。木造。
- 不動明王立像:秘仏。木造金色。平安時代。毎年4月28日-5月5日に開張。
- 一言:
- 青蓮院、妙法院とならんで天台宗三門跡のひとつ。京都三阿弥陀堂の一つ。写経は8時〜15時:納経料 1,000円
- 花 :
- 紫陽花(6月下旬-7月上旬)3000株以上。紅葉の名刹。

- 伝教大師最澄上人が比叡山の東塔南谷に円融房を建てたのが始まりとされる。
860年(貞観2)に承雲が修造し、最澄自作の薬師如来を本尊として円融房、一念三千院と称し、琵琶湖側の比叡山麓の東坂本梶井に里房を作り、後には梨本流と呼ばれる法流の拠点となった。
- 慈覚大師円仁(794-864;叡山の第二祖)は唐に渡った際、山東省黄河のほとりにある魚山で声明 [注:来迎院・および勝林院を参照] を修得し、それを良忍上人に伝え、天台声明を確立させて大原を声明の根本道場とした。
寺の両域に、声明の音律になぞられて、呂(りょう)の川、律(りつ)の川、音無の滝がながれる中国の魚山と同様のを環境を求め、大原の地に三千院が建立された。
1086年(応徳3)に白河天皇中宮藤原賢子の菩提のために供養が行なわれ、丈六の九体阿弥陀像が安置され、円徳院と称されるようになった。
1130年(大治5)に堀川天皇の第二皇子の最雲法親王が梶井の第14世法王となり、梶井の宮と称され門跡寺院となる。この時、大原に円融房の政所が設置された。
東坂本梶井の御所が1232年(貞永1)に焼失したのを機会に京都市中に居を移し、応仁の乱の後、寺地を転々として現在地に移った。
明治維新に昌仁法親王が還俗し、梨本宮家が興され、1871年(明治4)に大原政所は梶井門跡の本殿と定められて三千院と号された。

- 池泉回遊式の有清園庭園が往生極楽院のすぐ左手山畔に少し見えている。

- 三千院という寺名になったのは明治のはじめ。東坂本の梶井に円融房の里坊があったところから梶井門跡と呼ばれ、また梨本門跡、円融院門跡とも呼ばれる天台宗五箇室門跡のひとつ(他は青蓮院、妙法院、毘沙門堂、曼殊院)。
門跡寺院とは皇子皇族が住職になった寺のことで、三千院は宮門跡である。
- 往生極楽院は天文年間に三千院境内となったが、明治維新のとき境外となり、明治29年に再び編入され本堂とされた。
- 紫陽花苑:昭和時代第59世神原大僧正の計画。
- 宸殿:1926年(大正15)建立。正面5間向拝付、背面8間。外観は宸殿造の形式にのっとっている。
- 金色不動堂;1989年建立。祈願の根本道場。長い間秘仏であった金色不動明王像(智証大師作と伝え、鎌倉時代初期風)を本尊とする。
[参考文献]:
- 古寺巡礼 京都17 三千院;水谷教章、瀬戸内寂聴;淡交社;1977/09/20
- カラー京都の魅力・洛北;中村直勝;淡交社;1971/08/16


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