JAPANESE ARCHITECTURE IN KYOTO
京都の日本建築

勝林院

- 場所:
- 京都市左京区大原勝林院町187:TEL 075-744-2409
- 拝観:
- 9:00-17:00:200円
- 交通:
- 大原行き市バス、京都バス17,18番 終点大原下車徒歩25分。三千院の近く。
- 時代:
- 慈覚大師円仁が唐から声明音律学をもち帰り、比叡山で伝承されていた道場を、門弟の寂源が1013年(長和2)にこの地に移し、寺院を建立したという。
- 見所:
- 本堂、鐘楼。
石造宝篋印塔:鎌倉時代。重文。高さ約3m。基壇上部に「正和五季(1316)丙辰五月一日」と造立年代が刻まれている。
本尊:丈六の阿弥陀如来座像。脇侍に不動明王立像、毘沙門天立像。
- 一言:
- 声明、および大原講義、大原問答の寺として高名。
- 花 :
- 紅葉(11月中旬)

- 声明は叡山において師資相承されてきたが、9代目寂源上人(左大臣源雅信の第5子時信。19歳で発心出家し法号を寂源と号した)が1012年(長和1)に声明専門道場として勝林院を開き、良忍上人は勝林院の永宴について声明を研究し、魚山流の梵唄を伝授された。
目安博士(めやすはかせ)の音譜を発明し(博士とは音譜のこと。墨譜ともいい、後世の謡曲、浄瑠璃本などの節附けの源流)、1098年(承徳2)来迎院をその専門道場に充てた。
ここに魚山の声明は、勝林院流(下院流)、来迎院流(上院流)との二派に分かれた。
- 大原講義:1020年(寛仁4)開祖寂源が本尊阿弥陀如来の前で、台嶺(叡山のこと)の碩学を講じて法華八講を修した。
そのおり、覚超(恵心僧都の弟子)と遍救(紗那院の弟子)の二僧が「仏果」(修行によって得るむくい)の空、不空について講義したが、覚超が不空を論ずると本尊が姿を消し、遍救が空(万事万物はすべて因果によって生起する仮相で実体はないという仏説)を論ずると姿を現したという。
それにより、本尊が中道実相(有、空どちらにも偏せず生滅無常の相を離れた万有の真説)の本意をあらわしたことから本尊を「証拠の阿弥陀」と呼んだ。
- 大原問答:1186年(文治2)顕真僧正(天台座主第61世)が叡山黒谷に籠っていた法然上人を招き、笠置寺の貞慶上人、東大寺の重源など当時の宗教界を代表する学僧たちとともに、浄土教について一問一答の論議をした。
法然上人が阿弥陀の本願が来世の凡夫を救うことを論述したとき、本尊の手から光明を放ったことから、「証拠阿弥陀如来」と称し、本堂も「証拠堂」と呼ばれたという。
- 1736年(享保21)に「証拠の阿弥陀仏」とともに焼失、1778年(安永7)に再建。桁行7間、梁間6間、入母屋造柿葺。3間の向拝、周囲に擬宝珠勾欄付の縁をめぐらせる。
- 鐘楼。梵鐘(重要文化財)は平安時代。創建当初のものと思われる。

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